第5話



 ――どう、生きていきたいか。わたしは一度それを放棄してしまったのに…そんなわたしにも、もう一度なんてあるのかな。もう一度願っても、いいのかな。


 ソラはまっすぐ西の魔女を見据えたまま。その身体が僅かに光を放っているようにも見えた。


「アンタだって嘘でしかうららを守れないじゃない…! アンタはアタシ達とは違う。願いが叶って、ここにいる。だったらもうアンタこそ、在るべき場所へかえりなさいよ…!!」


 怒りの滲む声に共鳴するように、渦巻いていた黒い力が振り上げられる。

 その力の矛先にいるのはひとりしかいない。

 恐怖で背筋が凍り、声にならない悲鳴が漏れた。

 この感覚を、知っている。失う恐怖。無力な自分、残ったのは後悔──


 ――もう二度と、ソラを失いたくない。


 守れるのなら守りたかった。失わずに済ものなら…取り戻せるのなら──

 それだけが真っ白な頭を過ぎった。


 無意識に立ち上がったうららは、西の魔女の背中目がけて駆け出していた。


 ――ただ黙って見送るのは、もうイヤなの……!


「……っ、うらら!!」


 勢いのままに自分の体ごと、西の魔女へと飛び込む。

 ソラと視線が交差してソラが咄嗟にその手を伸ばすけれど、うららはとろうとしなかった。今この手を、離すわけにはいかなかったから。

 あの時と同じ。屋上から飛び降りようとした、あの時。ソラはいつだってうららを助けようとしてくれる。その手を差し伸べてくれる。うららもそれに、報いたかった。

 青い空を背負ったソラが、顔を歪めてその手を伸ばす。泣きながら叫ぶ声にうららは笑った。


「大丈夫…っ、だって、この世界は…!」


 西の魔女とうららの身体は空へ…そして地上へと吸い込まれる。ここに来た時と同じだ。青い空の向こうに、この世界があった。

 

 ──守りたかった。ただ、それだけだった。

 離れたくない──無力なわたしは、ただそれだけだったの。それがあの時のわたしにとっての、すべてだった。


 失いたくなくて、奪われたくなくて、信じたくなくて…願ったのは、あの日にかえりたいというただそれだけだった。


 みんなが笑ってる。誰ひとりとして失わず、しあわせだった、あの日に…

わたし、かえりたかったの。


 こんな世界、イヤだったの──


「──うらら!!」


 遠くで、ソラの呼ぶ声がする。視界の隅に映る、ソラの哀しそうに見開かれた、青くて綺麗な瞳。

 憶えてる。それはふたりのおそろい、大切な繋がり。


 ――ああ、わたし…ソラに名前を呼んでもらうのが、好きだった。

 昔からずっとわたしの傍にあったもの。ここに来る前も、ずっと。そう思ってた。

 だけど、違う。

 …違ったんだ。


「……全部、思い出したのね」


 落ちていくその意識の中、目の前の西の魔女が感情の無い瞳でうららを見据える。

 西の魔女に身体ごと飛び出したうららは、抱き合うようなその格好のまま、落下する感触に目を細めた。


「…思い出したわ。わたしがどうして生きることを放棄したのか…どうしてソラのことだけを、思い出せなかったのか…その理由もぜんぶ、思い出した…」

「…なら、わかったでしょう? 現実に戻っても、ダレもいない。あなたはまた、ひとりぼっちなのよ。ここでなら…この世界でなら…アタシ達がずっと、一緒に居てあげられるわ。その為にこの本は、開かれたのだから」


 今までとは打って変わったようなその声音に、うららは少しだけ笑う。

 〝この本〟がそういう役割も持っていたことは、きっと事実なんだろう。


 ――でも、わたしは。


 西の魔女の身体を抱いたままうららはふるふると首を振った。


「ひとりでも、わたしは生きていかなくちゃいけなかった…わたしは、わたしひとりだけのものではないのだから。わたしが知るすべての人の為に、わたしはどんなに辛くても、寂しくても怖くても孤独でも。逃げ出しちゃ…この命を投げ出しちゃいけなかった」


 この世界で〝ソラ〟は、たくさん、嘘をついていた。だけど全部、うららを守る為に。嘘を重ねてまで、傍に居てくれた。


「わたしが生きることで…パパもママも、おばあちゃんも…ソラも。生きた、証になる。軌跡になる。わたしはそれを、決して手離しちゃいけない。だってわたしは、ひとりで生きてきたんじゃないんだもの。……そうでしょう…?」


 呟いたうららの頬に、西の魔女の手が触れた。

 姿形は変わらないのに、それはさっきまでの西の魔女ではなく別の人であることが、うららにははっきりと分かった。


「それがおまえの、選んだ道なのね…?」

「……うん…」

「現実に戻っても、待っているのはやはり孤独かもしれない…。明かりの見えない、明日かもしれない。それでもおまえは戻りたいと。帰りたいと、心から言えるの?」


 溢れる涙を何度も拭った。笑って答えなければいけないことを、頭ではきちんとわかっていた。だけど涙は止まらなかった。

 だからせめて、精一杯笑った。


「戻りたい…帰りたい…! だってわたしは、ひとりじゃないから……!」


 うららの答えに西の魔女は、優しく微笑んだ。

 それは見間違えるのこのない、大好きな祖母ヘレンの笑顔と重なって見えた。


 そして光が世界を包み込んだ。


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