第4話



 ――…知っていた。わたし、思い出していた…

あの時思い出した、遠い空の記憶を…その意味を。だってこれが、ソラがわたしについていた、優しい嘘。


 思い出していたのに、どこかでずっと、感じていたのに…確かめたくなくて、ずっと目を逸らしていた。わからないフリをしていた。…逃げていた。


 かなしくて、つらくて、くるしくて…弱虫で卑怯なわたしは、あの日自ら死を選んでしまった。

 わたしがこの世界にくる前に居た場所は図書室なんかじゃない。ソラはきっとわたしにソレを思い出させたくなくて、嘘をついた。

 あの日わたしは屋上の…フェンスの向こうに居た。青い空を見上げていた。

飛び降りるその瞬間、屋上のドアが開いて、必死な顔したソラがわたしに手を伸ばして──


 わたしにその手が届いたのか、そこから先はもう思い出せない。憶えていない。わたしがもうここに存在して居ないのなら、届かなかったのかもしれない。

 だけどそれが、わたしの最後の記憶。

 すべてを知っていたソラがわたしについていた、優しい嘘。

 今までずっとただ黙って、わたしを見守ってくれていた、ソラは──


「わかったでしょう? 戻っても、帰っても、苦しいことばかり、辛いことばっかり。意味なんかない…だってなんにも、無いんだもの! だったらずっと、ここに居ればいいわ。東の魔女が言っていたでしょう? ここはあなたの為に用意された世界。あなたがひとりにならないように、あなたの為にヘレンが用意したの。ずっと、ずぅっと、ここでみんなと暮らせばいいじゃない」


 ――…みんな? 皆って、誰? もうわたしに、は誰もいないのに。何も無いのに。


「あなたはヘレンの血を、そして力を色濃く継いだ。あなたが力に目醒めれば、きっとこの国も世界もぜんぶあなたのものよ、みーんな奴隷にしちゃえばいいわ! アタシが手伝ってあげる!」


 ――…ちがう…違う。


「…おばあちゃんは、そんな人じゃない…」


 いつも明るく笑って背筋を伸ばして、前だけを見て生きていた。優しくて強くて自慢のおばあちゃん。

 わたしおばあちゃんが、大好きだった。わたしの誇りだったの。


「おばあちゃんが…そんな甘ったれたこと…そんな逃げ道を、残すわけない…っ」


 風貌だけじゃなくてその心を。わたしも、欲しかった。もっとちゃんと受け継ぎたかった。

 こんなに弱い心じゃなくて、まっすぐ揺ぎ無い──強い心を。


「一緒に居てほしいのは…これからずっと、歩んでいきたいと願ったのは…誰でもいいわけじゃない……!」


 わたし、期待していたんだ。どこかでまだ、生きていてもいいんだと。

 戻れるなら、帰れるなら…例え先輩たちがわたしのことを忘れてもよかった。哀しいけれどそれでも、みんなで無事に帰れるのなら…またひとりぼっちに戻ったとしても、それでも。ここで見つけた確かなものがあったから。


「……断る気? 嫌だっていうの? この世界が…ここは、あなたの世界なのよ…?」

「ちがう、ここは…ここはわたしが生きる世界じゃない…!」


 ──ソラが、居てくれる。そう思っていた。信じていた。

 今までみたいに、笑ってわたしの隣りに居てくれるのなら…それだけできっと、何度だってやり直せる。強くなれる。そう、思っていたんだ。

 だけど。


「もう、帰れなくても、戻れなくても…わたしはわたしの本当の居場所を…今ここにある感情こころを、これ以上見失うことなんてできない…っ」


 だけどそれが無理でも…もう本当に全部失くしてしまったとしても…もうわたしは、逃げちゃいけない。

 わたしの願いは、もうあの時とはちがう。夢見てしまった。願ってしまった。

 願いは、未来にあるから。




「そうだよ、うらら。君は未来を、生きるんだ」


 突然聞こえたその声に、うららも西の魔女もひかれるように視線を向ける。


「うららはまだ、死んでなんていない。生きてる。魔女の言葉に、惑わされないで…君が生きる場所は、ここじゃない」


 視線の先の優しい声音を、きっとうららは聞き違うことはないと思った。

 外壁の淵に、光を纏って立っていたのは──


「──ソラ…!」


 名前を呼ぶだけで涙が溢れた。光が、熱が灯るように、胸が熱くて。


 ――来てくれた。こんなわたしをまだ、守ってくれようとしてくれている。


 いろんな感情が混ざり合って、その意味を留めない涙が溢れた。嬉しいはずなのにこの胸は、痛くてこわくて張り裂けそうだった。


「──どうして、ここに…」


 ゆらりと西の魔女が立ち上がり、おぼつかない足取りでソラに近づく。

 その声音にうららがびくりと顔を上げると、ソラと目が合った。


「ソラ…!」

「うららはそこに居て」

「…でも…っ」


 うららに背を向けた西の魔女の表情は、もう見えない。だけどその後姿は異様な黒い空気を纏っていた。

 今の西の魔女は、何をするかわからない。そんな空気を全身から放っている。


「…うららを連れていかせやしない」

「うるさい…! アンタ邪魔なのよ…!」

「お前はここで、消えるんだ」


 ソラの居る壁際へと少しずつ確実に、西の魔女は距離を縮める。


「アタシはアタシの世界を手に入れる。ダレに生かされるでもない、自分の力で生きる世界を…!」

「生きる世界は選ぶものじゃない。僕たちが選べるのは、生き方だけ。生まれた世界でどう生きるか…生きていきたいか。それを見失わなければ、ひとは何度だって取り戻せる…やり直せるんだ」


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