第3話



 レオもリオもアオさえも。思わず目を丸くし〝オズ〟と呼ばれた男とソラを交互に見つめる。

 男は視線を塔に向けたまま、振り返ることなく答えた。


「私がダレなのか。いまそれは重要なことではない。確かにオズと呼ばれる存在ではあるけれど、エメラルドの都に居たオズではないしね。ただ役割を担い、この姿を借りているに過ぎないのだから」


 仮面の男は言い、翳されたその手が光を帯びる。風は吹いていないのに人工的な風が吹き荒れていた。それはオズと呼ばれた男の手から、作り出された風。


「知っているかい? 〝偉大な魔法使い・オズ〟の正体を。オズという魔法使いなど、本当はどこにもいないのだよ。オズは魔法なんかひとつも使えない、ただの人間だったんだ。だから魔女たちを恐れた。だけどね、童話の中でも彼は、物語の住人たちの願いを叶えたんだ。言葉の魔法と、オズの名前の魔法さ。オズの国に住む人々が、彼を信じ敬う者たちが、彼を偉大な魔法使いにしたんだ」


 魔法が使えること…願いを叶えてもらえること。当たり前だと思っていた。疑わなかった。だけどそれは、自分の思い込みで完結する世界での話だった。

 オズの国の住人にとってオズが偉大な魔法使いであることは、目には見えない真実。

 たとえそれが嘘だとしてもきっとあの国では揺るぎない真実として、永遠に在り続けるんだろう。


「この世界のオズも同じだったけれど、〝夢みる王子〟の魔力のおかげで、オズもオズの国も一抹の力を得た。それでもオズは、東西の邪悪な魔女たちには敵わなかった。魔法が、力が、今この世界の均衡を崩そうとしている…皮肉なことだ。でもすべては、物語が開かれた瞬間に始まり、そしてやがて終わる…そうしてこの物語はいま、終章へと向かっている」


 ピリピリと、鋭い熱を孕んだ風が塔全体を取り巻いていた。その場に居た全員が思わず怯む。その様子を見届けながら、北の魔女が微笑んでオズの言葉を継ぐ。


「うららの最後の選択の時です。何を望むか、彼女が何を選ぶか…最後の選択。そしてあなた達の願いの果てがこの先に待っています」

「あんた達は、いったい…」


 明らかに、ただのこの世界の住人じゃないと思った。今まで会った住人達とは、明らかに違う。それだけはわかった。


「…我々は〝見届ける者〟。逆に言えば見届けることしか、できない者。あなた達と同じように、願いを、想いを糧に、ここに居る時間を許された存在…。あなた達の中に物語の住人がいるように、私たちはこの姿を一時だけ借りて、ここにいます」


 パリン!と鋭い音を立てて、レオ達の目には映っていなかった結界というものが壊れたのが分かった。

 それは日の光を反射しながら頭上から降り注ぎ、思わず目を奪われる。


「──さぁ、あなた達は行かなくては」


 オズと北の魔女が示した先には、塔のてっぺんへと続く長い金色の階段があった。塔の屋上へと沿うように、ぐるりと伸びた螺旋階段。

 いろんな感情も、疑問もわだかまりも。すべて押し込めて頷き合う。レオ達は一礼だけ残し、階段へと向かった。

 その一番後ろで、オズと北の魔女がソラに言葉をかけた。


「──ソラ。大丈夫だよ、きっと」

「もう一度だけうららを、信じてあげてね」


 その言葉の真意をレオたちは誰一人理解できず、だけど深く追求することもできす。

 小さくソラが返事を返し、北の魔女と偉大な魔法使い・オズは姿を消した。


◇ ◆ ◇



 ―─寒い…

体に触れる何もかもが、氷のように冷たかった。その感触に心まで凍えてしまいそう。

 ――ここは、どこ…? わたしは、どうして──


『──泣かないで、うらら』


 ――だれのこえ? だれのことば? なんてやさしくて、懐かしい響き。


『僕がいるよ…ずっと…ずぅっと、そばにいる。約束だよ、ずっと君を──』


 ――だれとの約束? 記憶にない…だけどわたしが、思い出せないのは──



「──さぁ、起きてうらら。本当のこと、教えてあげる。知りたいんでしょう? かえりたいんでしょう…?」


 ひどく冷たい呼び声に、泣きたい気持ちでうららは瞼を開いた。

 視界に一番に映った空は、吸い込まれてしまいそうなほど、青く。胸を突く懐かしさが込み上げる。


 ――そうだ、わたし…あそこに、行きたかったんだ…


 体のあちこちに冷たい感触を感じながら、ふらつく上半身をなんとか持ち上げる。

 体が未だ浮遊感の中を彷徨うようで、地面についた腕に力が入らない。


「やっとお目覚めね」


 自分に向けられる冷たい声に、うららはゆるりと視線を上げた。視線の先に居たのは、至極楽しそうに笑う西の魔女だった。


「……ここ、は…」

「ここは〝真実の塔〟と呼ばれる場所の、てっぺん。今からあなたに、イイモノを見せてあげようと思って」


 口元は笑っているのに、どこか笑っているようには見えない冷めた表情。すぐ頭上には太陽が出ているのに、凍てつくような寒さにうららは身を竦ませる。

 うららはまだどこかぼんやりと、コツコツと歩み寄る西の魔女を見上げた。

 塔のてっぺんと言われた場所はさほど広くはなく、うららはちょうどその真ん中あたりに居た。ぐるりと円状に囲まれた外壁は低く、すぐそこは空。青い空の真ん中に居るような錯覚さえする。

 足に力が入らず、まだ立ち上がれない。愉しそうに西の魔女はうららの目の前まで来ると、まっすぐうららの後ろを指差した。


「あなたのすぐ後ろには、鏡があるの。これは、〝真実の鏡〟。あなたが知りたかったことすべてを、みることができるわ」

「──真実の、鏡…」


 ――知りたいこと…わたしの、最後の記憶…?


「さぁ、振り返って、みてみるといいわ。これが、真実。あなたが忘れていたことよ」


 うまく思考が働かず、うららは西の魔女に導かれるままに体勢を変えながら、上半身をひねって後ろをふり向いた。

 そこには西の魔女の身長よりも大きな半透明の〝円〟があった。

 地面からわずかに距離を置いて浮いているかのように、長い楕円の鏡と思われるものが支えもなくただそこに在る。うららの後ろにいる西の魔女の姿が映っていて、ようやくこれが鏡なのだと理解した。鏡の中には指を指したまま愉しそうに笑う西の魔女の姿と、その背景は青い空。


 ――どうしてだろう、青い空を見ると胸が痛くなる。

 そんなことを考えていたら、ソレを認識するのに時間がかかった。その違和感はあまりにも不自然で、その事実はなかなかうららの頭に到達しない。

 西の魔女が鏡の中でわらっている。

 そこにうららの姿は映っていなかった。


 ――わたし、は…居ない…

 その瞬間。頭の中で何かが弾けた。それはひび割れるように、もしくは破裂するように。音を立てて崩れていく。〝真実〟と共に、溢れていく。


「覚えているでしょう、あの空を…あなたがすべてを投げ出して、焦がれた空を。……思い出したでしょう…?」


 西の魔女の声を背に、うららはそっと鏡に手を伸ばした。驚くほど近くにあったその鏡は、触れるのに決して、うららの姿を映さない。真実しか、映さない。


「……わたし、は、もう…いないの…?」

「ええだって。自ら望んだんじゃない、うらら。あなたが自分で、選んだんじゃない…〝空の向こうへ行きたい〟と…〝あの日の空へ、かえりたい〟と。あなたがそう強く願って、あの銀の靴を履き、絵本を抱きしめて…そして飛び降りたんじゃない、学校の屋上から……!」



 涙が、落ちた。


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