第12話
「レオ…?!」
リオが叫んだ声は、届いていない。激しい雨粒と風が吹き荒れ、レオの声すらも途切れ途切れにしか聞こえなかった。
「だけどそれは、望んだんじゃない…願ったんじゃない。投げ出していただけだったんだ」
「…どういう、ことよ…なんでアンタが、ソコにいるのよ…! なんで…」
「だけどオレには、まだ捨てられないものがある…諦められない、ものがある。これ以上オレなんか信じるヤツを、裏切るのだけはゴメンだ…!」
ライオンの輪郭が徐々に小さくなり、縮んでいく。それはやがて人のカタチへと、そして見慣れたレオの姿へと変わっていった。
「い、や…イヤよまさかアンタ、アタシを消す気…?! やめて…まだ手に入れてない、アタシの願い…叶ってない…! やめて…!!」
レオの手が東の魔女の喉元へと移り、魔女は明らかな恐怖の悲鳴を上げた。
「──うららは返してもらう。おまえは在るべき処へ、かえれ」
レオが呟くのと同時に、その手に力を込める。
魔女の首元の黒いチョーカーを引きちぎり、それについていた何かをぐしゃりと握り潰したその瞬間。
レオのその拳から光の矢が弾けるように溢れ出し、パリン、と何かが音を立てて壊れたのがわかった。
それと同時に、魔女が甲高く悲鳴を上げた。
目の前で魔女の身体が光を放つ。そしてその身体が輪郭を徐々に失い、空へと溶けていった。
魔女の消滅と共に降り注いでいた雨は止み、濡れた大地に光の粒が降り注ぐ。
レオがゆっくりと空を仰ぎ、リオとアオもそれに倣った。
呆気ないくらい一瞬だった、東の魔女の最期。光に溶けた、空へとかえった最期のその瞬間だけは、綺麗だとそう思えた。それが正しい感情なのかは、誰にもわからなかったけれど。
そしてレオが虚空を見つめたまま、手を差し伸べる。
雲間からは光が差し込み天使の梯子がいくつも地上へと光を下ろしていた。レオはその下で、光を浴びながらまっすぐ空を見上げている。
その光景は、あまりに綺麗で。誰ひとり言葉を発せられずにただ見守った。
「……──うらら」
空を仰ぎ右手を差し出したまま、レオが小さく、だけどはっきりと名前を呼んだ。
初めて聞くその声音は、やさしくどこか甘い響きを孕み、その声が彼女の名前を呼び続ける。雨に濡れたその輪郭が、降り注ぐ光で淡く瞬いていた。
「…うらら、はやく…はやく戻ってこい、バカ…オレの声、聞こえてんだろ…?」
レオの表情はよく見えない。その体から滲む金色の光に、輪郭さえも淡白く滲む。だけどなぜか、泣いているようにも思えた。
◇ ◆ ◇
涙が溢れて止まらない。止められない。
小さな女の子の涙が、まるで自分に乗り移ったみたいだった。
ただすべてが哀しくて、苦しくて…胸が押し潰されてしまいそうで。
この痛みを、知っている。絶望にも似た、この痛みを。
『──…あーあ』
ふいに頭に響いた、心底つまらなそうなその声は。
『油断しちゃった。まさかアタシが、あんなヤツらにヤられるなんて…こんな予定じゃなかったのに、あたしの先視もまだまだね』
───東の魔女。
顔を上げたうららと向かい合うように、東の魔女はすぐ目の前でその赤い瞳を緩く細めた。
状況を理解するよりもはやく、その光に溶けるような透けた身体に。心が先に理解した。
『この世界は願いが強ければそれだけ、力を得る世界。アタシの願いがアイツらに負けるなんて、心外もイイトコだわ』
どこか吹っ切れたような、毒気の抜けたその笑み。空になったその両手。
「…あなたの…叶わなかった願いは、どこへいくの…? あなたの、その思いは…」
『…さぁ。アタシには、わからないわ。だけど』
もうその身体の殆どが、光に溶けかけていた。目の前に在るのに、声が遠ざかる。だけど東の魔女は怯むことなくわらった。
『永遠に叶わないかもしれない。だけどアタシじゃないダレかが、叶えるかもしれない。アタシの願いはアタシだけのものじゃないから。うらら、あなたもそうでしょう? 願いがひとつである必要なんか、どこにも無のよ。──サヨナラ、〝ドロシー〟。あたしは先にいくわ』
最後に冷たい笑みを残して、その姿が光に消えていく。その光を見送って。
――…わたしも、帰らなくちゃ…
ちゃんと届けなくちゃ。あの言葉を、想いを。
こんなにも自分を呼んでる、声がきこえるから。今度こそあの手を、とらなければいけない。
――わたしはわたし自身と、大事な想いを託してくれた人の為に──
◇ ◆ ◇
淡い光の中、差し伸べた手の触れた指先に温もりを感じた。
瞼を押し上げるとすぐ目の前でレオが少し呆れた顔で笑っている。
ゆっくりとうららの身体が地面に着地し、レオの手を取ったままその顔を見上げた。
「…なんだよ、やっぱ泣いてんだなお前」
「……、レオ、せんぱ…っ」
繋いだ手を握り直す。いろんな感情を押し退けて、あの笑顔が浮かんだ。
――とにかく伝えなきゃ。ちゃんと、言葉にして届けなくちゃ。約束、したから。
「ゆ、いちゃんが…レオ先輩に、伝えてって…わたし、頼まれたんです」
うららの口から出てきたその名前に、レオの瞳が丸く見開かれた。繋いだ手に、力が込められる。それでもうららは目を逸らさず、その手を離さずに続けた。
「もう、いいよって…待ってなくて、いいよって。今度はゆいちゃんが、呼ぶから…だから、レオ先輩…レオ先輩は、自分の道を──」
そこでうららの言葉は最後までカタチになることなく、レオの腕の中に吸い込まれた。うららの体ごと、ぎゅっと強く、押し込められていた。
「レオ、せんぱ…」
「…いい。今はもう、いい」
力強い腕がすべてを包み込む。震えながらも零さないよう、力を込めながら。
「お前が、戻ってきたから…今はそれで、いい。あとは全部、これから考える」
小さな声が頭上から落ちてきて、涙が込み上げた。震えるその大きな背中をうららも精一杯の力を込めて、抱き締め返した。溢れたのは哀しみだけじゃなかった。
震えている。泣いている。鼓膜も心臓も身体も心も、ぜんぶ震えてやがて一筋の光を放つ。
目を向けた先のずっと向こうまで、見慣れた景色が広がっていた。
「……金色の、道…」
その金色の道はいつかと同じように、自分の足下から伸びていた。
そしてうららの足には、懐かしい銀色の靴。記憶の中の形とぴたりと重なる。
「…そっか…ずっとここに、あったのね…」
しまいこんでいた記憶と、願いの中。そしてまたうららを、導いてくれる。
「…行こう」
レオが確かめるように口にして、うららも強く頷いた。
リオも、アオも、ソラもみんな居る。
再びうららの足元に現れた金色の道を一歩踏みしめたのと同時に、銀の靴が溶けるようにその姿を変え、以前と同じ学校指定の茶色いブーツになっていた。
だけどなくなったわけではないことを知っていた。わかっていた。ずっとここに、あったことを。
黄色い道を進み丘を越え、眼下に広がるその光景に思わず目を細める。
その先には地平線を覆い尽くすほどのエメラルド色の壁が連なっていた。わずかに光を放つその壁は、果てなく続いているようにも思える。
金色の道はまっすぐその場所まで伸び、その先には丘の上から見て取れるほどの大きな門があった。ここまで来ればもうその道がなくとも、行き着く先はひとつだった。
「あれがエメラルドの都か?」
「すっごい光ー! 壁一面光ってんのかなあれー」
「……あんだけウザく主張されっと、イライラする」
「目にはあまり良くなさそうだね。うらら、大丈夫?」
「…だ、だいじょうぶ…まぶしいけど…」
丘の上で横一列に並び、それぞれ感想を口にしながら思わず顔を見合せる。
くすりと誰かが笑って、それを合図とするように歩き出した。
下り坂の風に背中を押されながら。
すぐそこに、偉大な魔法使いオズが居る。
――ようやくわたし達の願いが、叶えてもらえるんだ──
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