第6話
――嫌なの。もうあんな思いは、嫌なの──
『うらら、おいで』
『…パパ…?』
『紹介しよう、ほら、隠れてないで出ておいで』
パパとママが、やさしく笑ってる。
これはいつの記憶だろう…だけどずっと前の記憶だということだけは、漠然と分かった。パパとママが居るから。やさしくわたしを、呼んでいるから。
わたしの低い視線は呼ばれるままにパパへと近づく。そしてパパの大きな背中から小さな影がおずおずと顔を出し、その瞳が怯えるようにわたしを見上げていた。
綺麗な青い瞳いっぱいに、映っていたのはまだ幼いわたしだった。
『わぁ、おそろい…! パパこのコ、うららとおそろいの目なのね』
そうだこれは…わたしとソラが、はじめて出逢った日の記憶。まだ輪郭すらぼやけて滲むその記憶に、ソラはちゃんと居た。
ちゃんとここに、居たんだ──
ソラの体が地面に吸い込まれるその場所に、うららが到着するよりはやくリオの姿があった。うららは悲鳴のような声で叫んでいた。
「リオ先輩…っ」
「うーちゃんはソコにいて、あぶないから」
「でもそしたらリオ先輩が…っ」
「だいじょうぶ」
いつもの緩やかな口調でうららを制止し、リオは笑う。確信めいたその笑みには余裕すら浮かんでいるように見えた。
「おれの中のかかしが大丈夫だって言ってるから…大丈夫なんじゃない?」
「かかし、が…?」
リオはそれだけ言って、視線をまっすぐ空へと戻す。うららの躊躇を置いて、ソラはまっすぐリオの待つ場所へ落ちてくる。スピードを増しながら。
――あぶない…! このままじゃふたりとも…!
思わず背けたくなる目をなんとか抑える。恐怖で体が震える。だけど。
大丈夫だと。リオが、そしてかかしが言うのなら。今のうららには信じて見守ることしかできなかった。今のうららには何もできなかった。
「…ソラ…っ リオ先輩…!!」
速度を増して近づいてくるソラの姿を目に、無意識にうららは叫んでいた。
ぶつかると思ったその瞬間。落下するソラの体がリオに到達する本当に一瞬手前で、ピタリと止まった。まるで時が止まったかのように一瞬、風が止む。
淡い光を撒き散らしながらソラの体は空中で静止し、余波で埃と土が舞い上がる。
リオの体の周りを、赤白く淡い光が舞っていた。リオを、ソラを、包み込むように。
その瞬間、リオだけが笑っていた。揺ぎ無い自信が確かにそこにはあった。
共に居るかかしの言葉を、誰よりもリオが信じているから…だからきっと、笑えるんだと思った。うららの目からは涙が溢れていたけれど、理由はもうわからなかった。
空中からゆっくりと落ちてくるソラの体を、リオがドサリと受け止める。衝撃も外傷もほとんど無く、ふたりとも無事だった。そのまま地面に下ろされたソラの姿に、堪らなくなってうららは駆け寄る。
「ソラ…!」
「意識を失ってるみたい、動かなさい方がいいかも」
「……っ、」
「まったくー、ふたりともムチャするんだからー」
力なく横たわるソラの体を抱きしめて、その存在を必死に確かめる。涙がソラの頬に落ちて、だけど目覚める様子はない。それでも。きちんと息をしていて、こんなにも温かい。
安堵か、恐怖か。わからないけど全部、ぐちゃぐちゃだった。
「とにかく、あまり穏やかに済みそうにない。この場をどうにかする方法を考えた方が良さそうだな」
いつの間にかアオがすぐ近くで自分たちを見下ろしていた。冷静な口調でため息を吐き出しながら。
ふとアオのその姿が、青白い光を放っているように見える。まるでさっきのリオのように。
「あれ、アオ、あっちにいったおっかなーい獣たちは?」
「たいしたこと無かったな。獣は元来火に弱いモノだ」
「あはは、おっぱらったんだ! やるじゃん生徒かいちょー!」
「まぁ俺の力でも無いがな」
その場にそぐわない空気で話すふたりに、先ほどまでの緊迫した雰囲気はなかった。
そういえば東の魔女が従えていた2頭のカリバの姿が見当たらない。その代わりに少し離れた場所には炎の焼け跡が残っていて、僅かに油の匂いがした。
それはたぶん、きっと。ふたりの中に彼らがいるからなのだと、悟った。
〝ボクたちがいることを、どうか忘れないで〟
──力を貸してくれているんだ。
「とりあえずアレを、なんとかしないとだな」
アオが向けた視線の先には、心底つまらなそうな顔をした東の魔女の姿。不機嫌そうにこちらを見下ろし、その冷めた視線でうらら達を一瞥した。
「…ナルホド、アナタ達も外からの客人だったのね。ずいぶんこの世界に馴染んでると思ったら、アナタ達の中に住人が居るみたいね? 外の人間の中に願いを見つけるなんて、呆れた住人達。だけど願いが繋いだのね。なかなかキレイに同調してるじゃない」
「…願いが、繋ぐ…?」
「聞いたでしょう? ここはヘレンが作った、願いを叶える絵本の世界。この世界では強い願いを持つ者ほど、強い力を持つことができる。──アタシは、まだ足りない。もっともっと、力が欲しいの」
そう笑う東の魔女は何を思っているのか…その果てに何を願っているのか。
東の魔女は至極楽しそうに笑う。そして再びその瞳にうららを映して続けた。
「──うらら。随分彼らに、そしてこの世界に馴染んでいるようだけれど、そんなに信用して良いのかしら? 夢見る王子もそう。彼は本当に、あなたの味方? ねぇ、思い出して。ここの住人達がなぜ時折あなたを〝ドロシー〟と呼ぶのか…あなたもそろそろおかしいと思わない? いくらヘレンが作ったとはいえ、ここは〝オズの魔法使い〟の世界。だけどここには決定的なモノが、欠けている。ホントは気づいてるんでしょう? この世界には〝ドロシー〟がいない。一番大事な存在が、欠けているのよ。だからこそ、夢見る王子は住人たちに…ヘレンの願いに手を貸した。うらら、ここはあなたにとてもやさしい世界でしょう? 当然よ。だってあなたの為に用意された世界なんだもの。夢見る王子はあなたを、この世界の〝ドロシー〟にしたいのよ…! そうしてヘレンの絵本は完成する」
「な、にを…言ってるの…?」
――わたしを…この世界の〝ドロシー〟に…? それは、どういう意味…?
東の魔女が語るその言葉は、まるで現実味の無い夢物語のようだった。なのにまるで毒のようにじわりと入り込んできて、意識を奪う。
「夢見る王子は、いったいダレの味方なのかしら?」
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