第5話
その赤く大きな瞳にうらら達を映して、東の魔女は楽しそうに笑っていた。
──東の、悪い魔女。
その名前をもう何度か耳にしている。良い印象はない。かかしもブリキのきこりも、同じことを言っていた。
〝気をつけて〟
このタイミングで今ここで現れたことに、不安で胸がざわざわと騒ぐ。緊張で嫌な汗が滲み、警告にも似た鼓動の早鐘が次第に耳の奥でそれを主張した。
──危険だ、この人は。
「ふふ、そんなにこわがらないで。別に取って食ったりしないわ。アタシの目的は、ただひとつ。ソレさえ手に入れば、危害は加えない」
「…目的?」
「──そう。ソレは本来アタシの手にあるべきもので、だけど今はあなたの所にあるの、うらら。ねぇ、記憶はまだ、…思い出せないのね」
見下ろす魔女の目がうっすら細められ、うららを視界に捉えたまま上空からゆっくり下りてくる。すぐ後ろで追いついてきていた2頭の獣達が唸り声を発したけれど、魔女のかざした手にピタリとそれは止んだ。
「ねぇ、うらら…アタシに返してくれないかしら。どんなに魔法を駆使しても、ソレの在り処がアタシには分からなかった。アイツの魔法には悔しいけど、まだ及ばないの、この世界では。だけどひとつ分かったのは、あなたがその在り処を知っているということ。あなたの記憶の中に、ソレは在る。──うらら…ヘレンがあなたに託した、銀の靴は何処…?」
赤い瞳に真っ直ぐ見据えられ、うららは逸らすこともできなかった。
──銀の靴…? おばあちゃんがわたしに、託した…?
知らない。わからない。だけど──
頭の中におばあちゃんの記憶が駆け巡り、金色の光の中でぼやけたふたつの影が揺らぐ。
視界が霞む。頭がぐらぐらする。だけど、あれは──
「──うらら!」
叫んだのは、すべてを掻き消したのは、ソラの声だった。
身動きできずにいたうららの手を引いて、ソラが自分の背にうららを庇う。うららの視界から東の魔女の姿は消え、ソラの大きな背中しか見えなくなった。
捕まれた腕の強さに、うららは呼吸を取り戻す。急激に現実に連れ戻されたかのように、一気に汗が噴出した。力が上手く入らない。体が震える。
逸らせなかった。東の魔女の、あの赤い目から。
何かがうららの中に入り込んで、一切の自由を奪われたかのように動けなかった。呼吸が、心臓の音が、体の奥でうるさく騒ぐ。体中で何かを拒絶するように。
「…なぁに、アンタ。ジャマしないでくれる?」
「うららに手を出すことは、僕が許さない…!」
「…アンタの目、気に入らない…アイツに似てるわ。って言っても、姿は見たことないんだけど。だけどどことなく、似てる」
「……アイツ?」
心底つまらなそうに東の魔女は呟き、それからまたうらら達を見下ろす。
「そう、アタシ達に命と力を与えた、オウジ様。あなた達が夢みる王子と呼んでいる。アイツにジャマされなきゃ、もっとはやく辿り着けたのに。だけどアイツも少しずつ、力を失っている。この世界の均衡は、流石にひとりじゃ保てない。ソレを保ちながら、アタシ達を抑えるのは無理だったみたい。だから逆に、しばらく大人しくしといてもらおうと、こっちからアイサツしてあげたの。ひとりじゃムリだったけど、ふたりならダメージぐらいは残せた。出し抜いてやったのよざまあみろだわ…!」
高らかに、愉しそうに。東の魔女は甲高い笑い声を響かせた。
その光景にうららは背筋が凍るのを感じる。得体のしれない恐怖が背中を滑る。
「だからね、アイツはもう助けてはくれない。うらら、そろそろあなたも、自分の身は自分で守らなきゃ」
東の魔女のその言葉と共に、目の前にあったソラの体がふわりと高く浮き上がった。そして再びうららの姿は東の魔女の目に晒されていた。
「ソラ!」
「こいつらはホントに信用できるの? あなたを守ってくれるの? 所詮人間は自分が一番大事。だけど自分で自分の身を守るには、力が必要でしょう? だからヘレンは、あなたにあの靴を、そして絵本を残した。あなたは弱くて泣き虫で嫌なモノからすぐに逃げ出す、とっても頼りない女の子だったの。そんなあなたの為に、ヘレンはありったけの魔力を絵本とあの靴に込めた。魔力を失くしたヘレンはただの人間も同然で、あっさり死んでしまったわ。可哀想にヘレンはあなたを守る為に死んだのよ」
「聞いちゃダメだ、うらら…!」
「ウルサイわ、人間の分際でジャマするんじゃないわよ」
東の魔女は冷めた声音と視線をソラに向けた次の瞬間、ソラの体が地面へ投げ捨てられるように落下し、意図してそのスピードは加速していった。
「…! ソラ!!」
「そう、ソラっていうの。まだ彼の記憶を取り戻していないんでしょう? アタシには分かるわ、彼は嘘をついてる。うらら、あなた騙されてるのよ。ウソつきには罰を与えなきゃ」
「……!」
――…わからない。わたしにはまだ、なにもわからないの。
だけど声が、言葉が、光景が、感情が──これまでの記憶が溢れて。いっぺんに頭の中に叩きつけられるように入ってきて、思考がぐちゃぐちゃになる。
――ソラがわたしに、嘘をついている? ソラがわたしを、騙している──?
信じたくない。信じられない。だけどうららは確かに、ソラのことまだぜんぜん思い出せなかった。何を信じればいいのかもうわからない。だけど。
「──ソラ…!」
反射的にうららは、ソラが落ちてくる場所へと駆け出していた。
たぶんそれが今のうららにとっての、真実だった。今のうららにとって確かなこと。
――ソラが居なくなるのだけは、ぜったいに、嫌──!
「…バカね、うらら。だから人間は嫌いなのよ」
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