第2話



『ひいぃぃ…!』

「?!」


 レオの落とした呟きに返ってきたその的外れな声に、思わず持っていた棒を構える。

 なんだ今の間抜けな悲鳴は。明らかに、影の方から…さっき見たライオンの方から聞こえた気がした。


『ご、ご、ごめんなさい、何もしないからぶたないで…!』

「……あ?」

『だ、誰かと話すのなんて、すごく久しぶりだから…な、なかなか声が、かけられなくて…』

「じゃあ、やっぱ後ついて来てたのお前か」

『ご、ごめんなさい…!』


 その気弱な口ぶりになんだかいろいろ気が抜けて、ため息と共に構えていた腕を下ろす。ライオンはそれを見届けてから、隠れていた木の幹からわずかに顔を覗かせた。キラリと暗闇から光を発するふたつの猫目。


『や、やぁ、レオ…逢えて良かった。ボクだけ逢えなかったら、どうしようかと思った』

「……そーかよ」

『こ、この場所は安全だから、大丈夫だよ。今日は皆、ゆっくり休んだ方がいい』

「……」

『君たちのペースなら、明日には森を抜けられる。だけど、気をつけて…この森を抜けたところには、おそろしい獣が、いるみたいなんだ』

「……おそろしい獣…?」


 あたりの様子をを伺うように声を潜め、ライオンはこくりと頷いた。


『魔女たちがこの世界に干渉し始めたんだ…この世界への干渉は、うららへの影響も、大きい。うららを導く道が不安定なのは、きっとそのせいだよ…』


 魔女達の干渉。うららへの影響。ここまでの道がやたら険しかったのは、そのせいだということか。


「…まぁ、とにかくそんなとこ居ないで出てこいよ」

『…え…』

「こんなとこで話すより危害加える気ねぇんならあっちで話せよ」

『う、でも、ボク…その…』


 正体もバレ言葉まで交わしているというのに、そのライオンは一向に木の影から姿を現そうとしない。しかも何やら歯切れの悪い返事に短気なレオは既に眉間に皺を寄せていた。


「いいから出てこいよめんどくせーな! 腹減ってんだよオレは!!」

『だ、ダメだよレオ…! ボクはこんな姿のくせに、こんな性格だから…人と上手く、話せないんだ』

「どうせ他の奴らには見えねんだろ?!」

『う、うららには、…見えてしまう。レオはもう、うららに触れたでしょう?』


 ――触れた? ああそういや昨日のアレか?


『うららをこわがらせたくないんだ…うららに怯えた顔をされたら、ボクはショックで胸が張り裂けて死んでしまうよ』


 ――そんなデカい図体をしてなにを大げさなことぬかしてやがる。


 いい加減レオの苛立ちがピークに達しそうだったその時──


「レオ先輩…? なにか、いるんですか…?」


 本人登場。突如現れたうららの声にライオンはあからさまに動揺し、慌てて頭を太い木の根っこに突っ込んだ。


 ――いやだから隠れきれてねんだけどよ。


 すぐ傍まで来たうららはレオが先ほどまで話していた方角に視線を向けるけれど、ライオンの姿はまだ見えてはいないようだった。何の反応も示さない。


「あー…、なんだ、その…また、住人? てやつが、居たんだけどよ…」

「やっぱり…! レオ先輩誰かと話してるみたいだし、次は順番的にレオ先輩かもね、ってちょうど話してて」


 警戒心の緩い様子から察するに、かかしもブリキのきこりもそこまで加害的ではなかったのであろうことが推測される。


――そうなると、いきなりライオンは…確かにビビるかもな。オレもビビったし。


「どんなひとですか? わたしにも声、聞こえるのかな…?」

「ああ、多分な。姿も見えるってよ」

『レオ!!』


 レオの言葉を窘めるように草むらから飛び出した声は、意外にも森全体に響くほど大きなもので。うららは予想外のその声に、びくりと体を跳ねさせた。

 唸り声すら混じる咆哮。それは獣の、まさにそれだった。


「……レオ、先輩…だれが…なにが、いるんですか…?」


 明らかに今までとは違う雰囲気を感じ取ったように、うららは顔を曇らせる。若干この展開が予測できただけにわずかに罪悪感を感じつつも、レオは未だ暗闇に身を潜めるその存在に視線を向けた。

 怯えてレオのシャツを掴むうららの手を取る。逃がさないように。

 だけどいつまでも弱虫ライオンのぐだぐだに付き合ってやれるほど、生憎ヒマじゃない。

 お腹は減っていたし疲れてるし、さっさと寝てさっさと先に進みたい。レオの今の最優先事項だ。静かな森に落とした声はよく響く。


「…出て来いよ。お前ホントはオレじゃなくて、こいつに会いたかったんだろ?」

『………』

「リオもアオも、ここの住人はみんなうららに会う為に、オレらを呼ぶんだって言ってたぜ。お前も、そうなんだろ?」


 カサリと、緑の匂いが風に混じり空へと運ばれる。いつの間にか頭上には月が浮かんでいた。静まり返った湖のほとりに、その息遣いはありありと存在感を主張する。

 まだ躊躇している一歩。

 ――どんだけグズグズしてるんだこいつは。


「臆病だろうが弱虫だろうが、言いたいことは自分で言え!」


 思わす叫んだ声にひかれるように、漸くゆっくりと草を踏む音がこちらに近づいてくる。闇夜に光るその双眸も、大きなその影も。

 それから月の光を身に纏い、鬣と尻尾をゆらりと揺らしながら、金色のライオンが目の前に姿を現した。


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