第7話



 溢れていた光がゆっくりとひいた後、目の前には想像以上にボロボロと大粒の涙を零したうららがいた。触れていた手が絡み合い、うららが勢いよくアオの腕の中に飛び込んできた。それを受け止めてふ、と息を吐く。


「アオせんぱい…! よ、よか…っ 急に、いなくなっちゃったから、し、心配し…! ごめんなさいわたしが、わたしが手を離したから…! もう絶対、ぜったいに離しませんから…! ぜったいに…!」


 まるで小さい子供のように泣きながら、涙とそれ以外の液体でアオのシャツを濡らす。

 しっかりと、離すまいとしがみつくうららに無意識に触れようとしたアオのその手には、いつの間にか何かが握られていた。


「…これは…」


 ずっしりと重たく冷たい感触。ブリキのきこりご所望の油のカン。

 それに気付いたうららが顔を上げて「アオ先輩も、さがしもの見つかったんですね」と、笑った。

 涙でぐちゃぐちゃの顔で笑うものだから、思わずアオまで笑ってしまった。

 隠すように顔を背け、抱き留めた腕にきつく力を込めうららを自分の胸に押し付ける。そうカンタンには見られたくなかった。


 体と体の境界が限りなく無くなって、隙間が小さな温もりで埋まる。うららにバレないようアオは、一滴だけのそれを払った。

 それから体を起こし顔を上げ、いつものようにメガネのフレームを押し上げうららと向き合った。うららは不思議そうにアオを見上げている。

 それから来た時と同じようにうららの手をとる。今度は決して離さぬよう、しっかりと。


「帰ろう。ソラが、待っている」

「…はい…っ」


 そうしてアオたちは見計らったように現れた出口から、帰りは難なく地上へと戻った。

 うららは戻ってすぐにメガネをかけ、ソラのもとへと真っ先に駆け寄り薬を飲ませた。薬は良く利いたらしく、ソラの顔色も様子も次第に戻っていった。

 それを見届けてから今度は、ブリキのきこりのもとへと足を向けた。


『おかえり、アオ』

「………」

『さがしものは見つかった?』

「…まぁな」

『それはよかった』


 幾分明るく聴こえるその声は、まるですべてを見ていたような口振りでなんとなく居心地が悪くなる。

 それでも約束を果たすべくブリキのきこりの傍らに取ってきた油のカンをコトリと置き、シャツの裾を捲っていた時。


「アオ先輩…! わたしも手伝います」


 背中からかけられた声に振り向くと、やはり制服のシャツの袖を捲り上げたうららが駆け寄ってきた。アオはその申し出を受け、小屋から拝借した軍手に近い手袋をうららに渡す。


「油を、さすんですか?」

「そうだ」


 ノズルのついた油さしでまずは頭と胴体を繋ぐ首の部分から、油をさしていく。油を十分に馴染ませてから、間接をゆっくり動かしてやり、錆も丁寧に布で落として。

 その作業をふたりで手分けしながら繰り返していると、ふいにブリキのきこりが口を開いた。


『ボクの話をしてもいいかい?』


 アオではなくうららがはい、と返し、そしてブリキのきこりが話し出した。


『ボクも昔は、人間だったんだ。愛する恋人もいた。だけど東の悪い魔女がボク達の結婚を邪魔しようとボクの斧に呪いをかけ、ボクの手足は次々と手足を切り落とされてしまったんだ。幸いにも腕のいいブリキ職人に助けられ、腕も、足も、胴体も頭も、すべて綺麗に作ってくっつけてくれた。怒った魔女はさらに、ボクから心を奪った。ボクは彼女を愛せなくなり、彼女のもとを去った。そしてそれからずっとひとりでここで暮らしていた。だけど夕立につかまり体が錆びて動けなくなりこうしている間、ずっと考えていたんだ。なにが一番、大切だったのかを。たくさんのものを失ったけれど、ボクは心を…彼女を失ったことがいちばんかなしい。だからボクは、心を取り戻したい。そしてもし彼女がまだ待っていてくれるのなら、彼女を迎えに行きたい。…ずっとそう、願っていた』


 そう話す口ぶりは、まるで希望の言葉ではなく、どこか諦めにも似た焦燥が混じっている気がした。

 それでも願いを口にするのは、奇跡を信じているからなのだろうか。 


「……心、なんて。そんなにいいものには思えないがな。厄介なだけだ。心はすぐに迷うし、見失う」

『アオはまだ誰かを好きになったことが無いんだね。いいんだ、迷っても、見失っても。それは決して悪いことじゃない』


 ギギ、とぎこちなく頭を動かして、ブリキのきこりがアオの顔を見つめた。

 その瞳の奥には、光が宿っている。空っぽだと思っていた空洞は、空ではなかった。


「…そうまでして、欲しいなら。オズに頼めばいいだろう。こんなデタラメな世界を統べる魔法使いだ、心ぐらい、くれるんじゃないか」


 途方もない奇跡を待つよりは、よっぽど現実的に思えた。

 まだぎこちなく、緩く零したアオの笑みに、ブリキのきこりも微笑んだようにみえた。


『そうだね、オズは偉大な魔法使いだから。だけどアオ、奇跡ならボクはもうもらったんだ。君が来てくれたから。君が見つけてくれたから。からっぽのはずのブリキの体が、いま、とても満たされている。アオ、これは君がくれたものだ』


 瞬後、ブリキのその青い体が少しずつ光をまとい、錆び付いていた手足がゆっくりと動き出す。それからまっすぐアオと向き合うように、対峙した。

 隣りに居たうららも驚いたように目を丸くしてそれを見つめる。


『アオ、誰かを愛することを、おそれないで。君はとても、やさしい子だ』


 ゆっくりと、ブリキのきこりがアオの手をとる。その手は温かく、確かな体温を感じた。


『そして、うらら…君もそう。やさしく、強い心を持ってる。きっと、受け止められるさ。君はひとりでは、ないのだから』


 そして同じように空いているもう片方の手でうららの手をとり、アオの手にそっと重ねた。


『ここにある。いつだって、どんな時だって、心は確かにここにあるよ。それを、忘れないで。この先道は、険しくなる。東の魔女は君達の心を惑わすだろう。だけどきっと、大丈夫。確かなものはすべて、君たちの中に在るのだから』


 まるで予言のような言葉を告げ、そうしてブリキのきこりの青い体が光を放った。その輪郭が光の中に溶けていく。


『一緒なら大丈夫。そこから動き出せる。歩き出せるさ。ボクも行こう。一緒に、行こう。アオ、君の願いを叶えてもらわなくちゃ』

「……彼女を迎えに、行くんだろう…?」

『大丈夫。あと少しくらい、きっと待ってくれる。ボクもずっと、待っていたんだ。待つのも悪いことばかりじゃないんだよ』

「……詭弁だな」


 言って緩くわらったアオに、ブリキのきこりはさらに楽しそうに笑った。

 その声は自分の胸の内側に染み渡るように消えていき、心臓よりもずっと奥、熱が灯るのを感じた。

 甘く淡く、わずかな痛みを伴いながら。



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