第5話
小屋に戻ると、心配そうなリオの傍らに力なく横たわるソラの姿が目についた。
ありったけの毛布や布をかけられているが、その体は遠くからでも見てとれるほど震えている。呼吸も荒く、顔色もひどい。
ガタガタと乱暴な音のする方に視線を向けると、レオが戸棚を漁っていた。中にあるものすべてを床にぶちまけた後、苛立たしげな舌打ちの音が聞こえる。
何を探しているのかは簡単に予測できた。それはアオも一度とった行動だからだ。
「──薬なら、無かった」
言い捨ててレオから視線を外し、それから再びソラに視線を戻す。
原因がわからないので処置法を考えあぐねていたが、今早急に必要なもの、それだけは分かる。
──薬。
ブリキのきこりは、欲しいものは地下室にあると言っていた。
間違いなく薬は地下室にある。悩んでいる時間も迷っている余裕も無い。
「…薬は、地下室にあるらしい。探してくるからお前達は彼についていてくれ」
「おれも行く。探しものなら、人数多い方がいいでしょ」
珍しく行動的なリオにアオは「ダメだ」と短く言い放つ。リオが不快そうに眉根を寄せた。アオは逸らさず続ける。
「地下室には魔法がかかっているらしい。多人数で行っても厄介だし足手まといだ。俺と…彼女で行く」
言ってアオが視線を向けた先のうららは、もう泣いてはいなかった。未だ揺れるその瞳に、それでもまっすぐソラの姿を映して。震えるソラの傍らにそっと歩み寄り、その手に何かを握らせ両手で強く包んだ。
祈るような、胸に刻む決意のようなその光景。
それから立ち上がりリオに「ソラをお願いします」と頭を下げ、今度は振り返ることなく小屋の外へと足を向けた。
閉じた扉の向こうでリオが小さく「気をつけて」と漏らしたのが、やけに耳についた気がした。
小屋から出たあと躊躇なく進むアオを疑問に思い、うららが後ろから戸惑いがちに声をかけた。
「アオ先輩、地下室の入口がどこにあるのか知ってるんですか?」
「中にはそれらしき入り口が無かったからな。小屋の周りを確認していたら、それらしいのを見つけた」
小屋に着いた段階で室内や小屋の周辺の確認はしていたが、室内にある扉はひとつ。出入り口であるひとつだけだった。
しかし小屋から出てぐるりと裏側にまわると、反対側の壁にもうひとつの扉が現れる。室内ではなく、おそらく別の場所へと繋がっている扉だろうと予測はついていた。
「こんなところに、扉…」
「おそらくこれが地下室への入口だろう」
出入口の扉と同じ造りの木でできた扉をゆっくりひくと、まるでタイミングを計ったかのように、壁際のランプの明かりが次々と灯る気配を感じた。
揺れる明かりに促されるように一歩足を踏み入れると、目の前には階段が下っている。
ランプの明かりがやけに多いなと、そんな思考は次の瞬間に一瞬で吹き飛んだ。
「──っ、」
「……なに、ここ…」
目の前に広がる現実離れした光景に、ブリキのきこりの言っていた言葉を思い出す。
『迷わないように、手を繋いでいくといい』
──なるほどこれは確かに。
「…迷路、みたいですね…」
意外と的を得たうららのその言葉に、アオが同意するようにメガネのフレームをカチリと押し上げて、階段の下、果てが見えないくらいに広がる巨大な地下室を眼下に見下ろす。
無数の棚が等間隔で並び、壁と等間隔に置かれたランプすら果てなく続いていた。さっきまで居た小屋とは全く異なる次元の広さ。
気圧される気持ちを押し込めるように、アオが口を開いた。
「時間はあまり無い。不本意だが君に従おう。ここは君の、世界なのだから」
アオのその言葉にうららは今までとは違い、強く頷いた。そして決意したようにゆっくりと、メガネを外す。
初めて直に見るその瞳は澄んだ空の色を思い起こさせる。──強い光の宿る色。
それからどちらからともなく手を取り、階段を駆け下りた。
誰かと手を取る行為自体ひどく久しぶりだった。アオの手の平の中で一回り以上小さなその手が、小刻みに震えている。
だけどうららはもう前以外は見ていない。その瞳に迷いはない。
暗闇に囲まれ頼りない蝋燭が揺れる中。その手の温もりだけは、確かだった。
◇ ◆ ◇
『──嫌なのかい…?』
泣きじゃくる幼いうららを、祖母のヘレンが困った顔をして見つめていた。
ヘレンを困らせたいわけじゃなかった。だけど胸を占める哀しみは溢れて出て。あの頃のうららには、止められなかった。
『…だって…他のこには、みえないって…わからないって。みんな、わたしのこと、へんだって…!』
『うらら…物事にはすべて、意味があるんだよ』
『そんなのしらない…っ わたしはみんなと、いっしょがいい…!』
祖母譲りの色素の薄いクセの目立つ髪と青いその瞳が、余計にうららを〝普通〟から遠ざけていた。
いつも周りに馴染めなかった。いつもひとりだった。ひとりぼっちはさみしかった。
人と違うということは、受け容れられないということは、ひとりだという哀しみは。まだ子供だったうららには耐え難い痛みだったのだ。
そして容姿だけでなくうららは、普通の人とは違うものを持っていた。
──今ならわかる。おばあちゃんが本当に魔女だったというのなら…わたしがその血を、色濃く継いでいるというのなら──。
これは、この力は、紛れもなくおばあちゃんから受け継いだもの。
幼い頃からうららには、不思議に思っていたことがある。
うららには探し物や探し人がどこに居るのか、なぜかピタリと確信を持って当てることができた。
〝みえる〟、〝わかる〟…それは他人には理解してもらえないけれど、うららの中で確かに在る事実。
時折他人には見えないものを見て、それ故に迷子になることも多かった。未熟なうららはそれを扱いきることができなかったのだ。
現実とは別の世界に迷い込んだうららを迎えに来てくれたのは、いつもヘレンだった。
だけどそんな自分がこわくてイヤで──いつも泣いていた。見えてしまうナニかに、見えないナニかに怯えながら。
そんなうららに見兼ねたヘレンが、気休めになればとレンズの厚いメガネをくれたのだ。
それからは不思議とそれらの事象は息を潜め、仮初の平穏を手に入れた。
それでもうららが誰かとかかわり合えることは、無かったのだけれど。
ずっと、キライだった。
自分の容姿も、他人とは異なる奇妙な力も、情けない自分の性格も。
ぜんぶ、キライだった。
──だけど。
「────っ、」
襲いくるその感覚に、うららは思わず目を押えた。
「なにかあったのか?」
「……ずっと…奥に…他とは、違うものが…」
ヘレンにメガネをもらって以来、外ではほとんど外したことはない。だからこの感覚はひどく久しぶりで、じわりと汗が滲むほど気持ちが悪かった。神経が研ぎ澄まされて、そしてそこに無理やり介入してくる不可思議な感覚。気持ちがひっぱられるのを必死に抑える。
振り切るように、歩調をはやめる。繋いだ手が汗ばんで気持ち悪い思いをさせているのに、アオは決して離さないでいてくれた。うららはそれに安堵した。
ずっとずっとこの力が疎ましかった。だけど今なら受け容れられる。受け容れてみせる。
――こんなわたしに、できること。大事なひとを守る為に。
霞む視界の中、揺れる光と暗闇の狭間に――淡い光が見えた。それは他のものとは違い、まるで存在を主張するかのように光を放っている。
アオに支えられながら、うららは蝋燭の明かりの波間を泳ぐ。
古い木棚の一角に置かれた、小瓶。青みのかかった半透明の液体が入った、綺麗なガラスの小瓶だった。
「これが…?」
「…はい。きっと…」
封とタグに書かれた文字は読めなかったけれど、きっとこれが、ソラを助けてくれる薬。根拠は無いけれど、不思議と確信はあった。
無事見つけられたことへの、ソラを助けられることへの安堵で思わず涙が滲む。
そして小瓶へと手を伸ばしたその瞬間、突然地下室が大きく上下に揺れ、うららは咄嗟に小瓶を掴んだのと同時に、アオの手を離してしまった。
「……っ、アオせんぱ…!」
衝撃に思わず瞑っていた目を慌てて開けると、先ほどまですぐ隣りにいたアオの姿が見当たらない。
「アオ先輩…?」
あたりを見回してもあるのは連なる棚とそこに並ぶ雑多な備品、それから頼りない蝋燭の明かりだけ。自分の声がその隙間を虚しく通り抜けていく。
「アオ先輩…!!」
先ほどまで繋いでいた手が、冷たくなっていくのを感じた。
――また、ひとり。おばあちゃんはもういない。
泣いたってどうにもならないことはわかっていた。だけど。
「…どうしよう…はやく戻らないと、ソラが…っ どうしよう…おばあちゃん…!」
涙が溢れて視界が歪む。握った小瓶が小刻みに揺れる。
つい先ほどまでアオがこの手を繋いでくれていた。ひとりじゃなかったから、ここまで来れた。
「アオ先輩…!」
アオはきっと、ひとりでも平気なんだろう。自分なんかと違って、こんなことで怖気たり泣いたりしない。自分の助けなんか、きっと必要ない。
「……っう…」
でも。
――この世界にきて、わたしは。わたしにもできるとを、したいって思った。わたしも誰かの役に立てるなら…助けに、なるなら。
「…行かなくちゃ…」
ぐ、と。振るえる足に力を込める。足の裏の感触が、漸く戻ってくる。
「帰らなくちゃ…ちゃんと、さがしものを見つけて…アオ先輩と一緒に、帰らなくちゃ…!」
ごしごしと力強く制服の袖で涙を拭う。少し痛くて、だけどかえってそれが、これが現実なんだと教えてくれた。
目を凝らして耳を澄ませる。探し物は、そこに在るから。
ずっと拒んできた不平の先に。
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