第3話
「レオ先輩……っ!」
アオとの口論の後外に出て行ってしまったレオの後をうららは追いかける。
外は、森はもう真っ暗だ。月と星がなんて遠い。夜の森がこんなに暗いなんてうららは知らなかった。
不安に胸を締め付けられながらも、暗闇に溶けてしまいそうなその背中を必死に追った。
「──ついて来んな。目障りだ」
ぴしゃりと容赦なく言われた言葉に一瞬足を止め、だけど躊躇しながらもその後ろに続くうららに、レオが苛立ちを滲ませながらがしがしと頭をかく。
「…っ、なんだよめんどくせーな…ひとりにしろよ…!」
「でも…っ、何がいるか、分からないですし…」
うららに聞こえた得体の知れないあの声は、今はもう聞こえないけれど…なにかがいることだけは、確かだった。
「……もしかして、なんか見えてんのか? リオの時みたいに」
レオがようやく足を止め、振り向きながらうららの表情を伺うように覗き込む。怪訝そうな瞳を向けられ僅かにたじろぎながら、うららは慌てて首を左右に振った。
「姿は、見えないです…だけど、声が…」
「声…?」
「声が、聞こえるんです…」
あの声がうららにしか聞こえないのなら、何かがあって気付けるのは自分だけだと思った。
――わたしが、レオ先輩を守ってあげなくちゃ。せめて何か、しなければ。わたしにできることを。
そんな思いに駆られるがまま、追いかけてきた。
だけど姿のないそれは、うららにとって恐怖の塊でしかない。できればもう聞きたくないし、関わりたくないのが本音だ。何も起こらないなら、それが一番いいに決まっている。そして関わらずに済むのなら、それが一番。
「……おまえひとりに、なにができんだよ」
頭の上から降ってくる、レオの呆れたような不機嫌そうな声。
うららは途端に、思いあがった考えがバレたことに恥ずかしくなり思わず俯いた。かたく握っていた手が、わずかに震える。
それからはぁ、と吐き出された息がうららの前髪を揺らしたと思ったら。頭のてっぺんに大きな手の平が落ちてきた。
うららは一瞬何が起こったのかわからず視線を彷徨わせる。少しだけ乱暴なその温もりは、想像していたよりずっと、優しかった。
「おまえ意外と、勇ましんだな…そんなちっせーのに」
戸惑ううららの視界の片隅で、レオが仕方なさそうに笑うのが見えた。
あの、レオが。
それがあまりにも意外で、うららは思わず言葉を失う。
「はー、ったく。戻ればいいんだろ、戻れば。こんな薄気味わりぃトコ、長居できっかよ」
レオは面倒くさそうに言いながら進路を向きなおす。うららも慌てて来た道を引き返すレオの背中を追った。
なんにせよ、戻ってくれるのなら良かった。ひとりでどこかに行ってしまわなくて、本当に良かった。
ふいにレオがぽつりと一言だけ、本当に小さく零した。
「…妹が、いんだよ。おまえになんとなく、似てんのかもな」
それきりレオは黙ってしまったので、うららも何も言わなかった。反応を求めているようにも思えず、本当にただなんとなく、それを落としたようにみえたから。
小屋への帰り道をふたり並んで歩く。明かりの灯った小屋は、暗い森の中で安心感をもたらしてくれた。
「わぁ、ごはんのいい匂い…アオ先輩が作ってくれてるんですかね」
「…またわざわざなんか作ってんのかよ…別に非常食でいいじゃねぇか…呑気なやつらばっかだな」
「で、でも、美味しいもの食べると元気出ますし…それに、ほら、おなか空いてると怒りっぽくなりますし…っ」
「…なんだよそれ、オレに言ってんのかよもしかして」
「え…えっ!? いえそんなつもりは…!」
「はは、まぁハズレてはねぇな。さっさとメシ食ってさっさと寝て、明日ははやく起きろよな。こんな森とっとと出よーぜ」
ぶっきらぼうに言いながらまたあの大きな手で頭をくしゃりと撫でられる。
――これって、妹扱いというやつなのかな。もしかして。
びっくりしたけれど、でも不思議な感覚で嫌じゃなかった。
――お兄ちゃんがいたら、あんなカンジなのかな。顔も言動もはこわいけど、レオ先輩はやさしい人だ。ちゃんと話を聞いてくれるひと。
ひとりっこのうららは、そんな空想に思わず笑みを零してしまう。
──あぁでも。わたしには、ソラが居たんだ。幼なじみで、いつもわたしの傍にいてくれた、ソラ。
この前思い出した記憶の中、うららと両親が暮らした家の記憶の中でぽっかり大きな穴があるように違和感を感じた。名前が切り取られた、あの存在。
――きっとあれは、ソラだったんだ。まだわたしがちゃんとソラのことを思い出せないから、姿が見えなかったんだ。
幼いうららのその視線の先。絶対的な信頼の視線を向けられた、その存在こそ。
──ソラ。きっとそう。
それなら納得できる。姿かたちはなくてもそこにソラは、居たんだから。
──あれ、でも…なんだろう…なにか違和感が、残ってる。胸に、つっかえている。
ボタンを掛け違えているような正体不明の違和感。ずきりと痛みが一瞬こめかみに走り、うららは思わず歩みを止めた。まるで考えることを拒んでいるかのようなその痛みに視界が霞む。
「──おい、入んねーのかよ」
その声にひかれるように顔を上げると、小屋の扉を開け室内の明かりを背負いながら、こちらを怪訝そうに見ているレオと目が合った。
「…あ、ごめんなさい…っ、いま行きます」
駆け出した次の瞬間にはその違和感も痛みも、うららの中から消えていた。
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