第2話
森は思った以上に薄暗く、頭上を覆い茂る木々に日の光はほとんど届かない。獣や鳥の声すらしない、不気味なほどの静けさだった。
「うすきみわるーい」
緊張感のない声で欠伸をしながらリオが呟き、その声は思った以上に大きく森に響き渡った。
その時。
『……か…』
──まただ。
また、あの声。
低く掠れた不気味な声。気のせいではなく、今度は確かに。
あたりを見回すものの、その声の正体は見当たらない。レオもリオも全くの無反応で歩き続けている。どうやらその声は、アオ以外には聞こえてないようだった。
ただひとりを除いて。
「──うらら?」
「ソラ、声が…いま、何か聞こえなかった…?」
「声?」
「うん…低くて不気味な、声…なんだか、こわい」
「…僕には…聞こえないけど…」
先頭にいたうららが体を小さくしながら、隣りにいたソラの腕にしがみつく。ソラの方は不思議そうな顔で彼女を見つめているその様子から、きっと嘘などついていない。
アオは目の前のやりとりを見つめながら、昨日リオが言っていた言葉を思い返した。
『最初かかしは、おれにしか見えなくて。理由はわかんないけど、うーちゃにおれが触ったら、うーちゃんも見えるようになったんだよ』
絵本の世界の住人と、深い繋がりを持つという彼女。だから、か。
やはりソラにも、リオやレオにもその声は本当に聞こえないらしく、一様に不思議そうな顔をしている。それでも前へ進むうららとそれに続くアオの耳にだけ、その不気味な声は途切れながらも絶えず届き続けた。
その言葉は次第にはっきりと鮮明なものになっていった。
『だれか、たすけてくれ』
進むほどに近づくそれにうららは明らかに身体を震わせていたが、決して引き返すことも道を変えることもしなかった。
やがて目の前に丸太で組み立てられた一軒の小さな小屋が現れた頃。その声の正体が、目の前に現れた。
「すごーい、なんて中途半端」
一番に声を上げたのはリオだった。
一様に向けられている視線の先は同じモノのはずなのに、微妙にずれている違和感。そしてその後の会話に、アオの目に映っているものとアオ以外の興味が注がれているものが異なるのだと理解した。
「なんで最後まで切らなかったんだろうねぇ、これ。倒れてきたら危ないよね」
「そこに家があるし、誰かが作業の途中なのかもしれませんね」
「にしちゃあ、切り口はあんま新しくねぇぞ。つーよりは、結構前に切られたようなカンジだけどな」
──なるほど。
皆の視線の先には、アオが見ている〝ソレ〟ではなく、途中まで切られた大木の、中途半端な姿が奇妙に映っているだけなのだろう。
アオにはその傍らにいる、斧を振り上げたまま動かない錆びたブリキの人形らしきものの方が、よっぽど奇妙に映っている。
──〝ブリキのきこり〟。
アオの脳裏にそんな名称が浮かぶ。記憶がおぼろげながらも、そんなキャラクターが居たはずだ。確か。
『──あぁ、嬉しいなぁ。ようやく人に会えた』
その声は自分に向けられているものだと、なぜかすぐに理解できた。名前を呼ばれたわけでも視線を向けられたわけでもないのに。
そしてその声はやはりアオだけじゃなく、うららの耳にも届いたらしい。
うららはびくりと肩を震わせて、きょろきょろとあたりを見回している。その様子から察するに、どうやらうららには声は聞こえるが、姿は見えないようだった。
『もうずっと、ここから動けないんだ。ボクを助けてくれないかい?』
自分に向けられるその声にアオは一切反応を返さなかった。
うららは自分にしかその声は聞こえないと思ったのか、近くにいたソラのシャツを握り固く口を閉ざし俯いた。
懸命な判断だ、とアオは思う。自ら余計な厄介ごとに関わるなど、愚考だ。
メガネのフレームを押し上げながら、アオはゆっくりとブリキのきこりから視線を外した。彼を助ける義理など、アオには無かった。
「──ふざげんな! まだ半日も歩いていねぇんだぞ?! こんなもたもたしたペースで、一体いつになったら辿りつけんだよ…!!」
「出発したのが昼過ぎだったんだ、仕方ないだろう。それにもう薄暗い。暗くなった夜の、しかも得体の知れない森を歩くのは危険だと言っているんだ」
場所は、見つけたばかりの丸太小屋の中。
丸太が組まれた意外と頑丈なこの小屋は、おそらく外のブリキのきこりの家だろうと推測がついたが、アオはあえてそれは口にしなかった。
広くはないが、保存食もあったし幸い寝床もあった。雨風も十分凌げる。
今夜はここで一夜を明かそうと提案したアオに、見事にレオが喰ってかかってきたのだ。
「行きたいならひとりで行けばいいだろう。別におまえがいなくなっても、困らない」
「……っ、こっちだってそれができるならハナからしてるわ…!!」
怒鳴り散らすように叫びながら、レオは小屋の扉を思い切り閉め外へと出て行く。重たいドアの激しくぶつかる音が、室内に響いた。
「レオせんぱ…っ」
「放っておけ。この状況でふらふら出歩くバカでもないし、腹が減れば戻ってくるだろう」
言い捨てたアオに、うららはその顔に罪悪感と困惑の色を浮かべる。それでも後を追うように小屋から出て行ってしまった。
その様子をアオが視界の端で見やり、息を吐いた。
「んもーアオはさー、カンジンなこと、省きすぎなんだよー」
仕方なそうに言うリオの言葉ををすべて無視し、アオは小屋の中にある簡単な水場や棚の中をチェックする為背を向けた。ランプひとつのだけの灯りの小屋に、静寂だけが沈黙を埋める。
ブリキのきこりの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
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