第三章 アオとブリキのきこり

第1話



「…〝エメラルドの都〟…?」


 その聞き慣れない単語を、アオが反芻する。


「そう、かかしが言ってた。そこにうーちゃんを待っている人がいるって。たぶんオズの居る場所だよ」

「目的地の名称が分かっただけで、行き先は変わってないわけか」

「みたいだね。都っていうくらいだから、大きいのかなー。まぁ結局おれには場所まではわかんないんだけどねぇ」


 相変わらずリオがやる気の無さそうに言いながら、うららに視線を向ける。

  その視線を代わりに受けながら、傍に寄り添っていたソラが口を開いた。


「少し、休ませてあげてください…いろいろ、体に疲れが溜まってたんです…いろんなことがいっぺんに起こったから…」


 まるで保護者のような口ぶりで話すソラの腕の中で倒れこむように眠るうららは、記憶の一部を取り戻すと同時に意識を失ったまま、まだ目を覚まさない。


 夜は交代制で見張るということで〝夜眠らない〟リオを中心にそれぞれ休んでいるはずだったが、人の叫ぶ声に、騒ぎに、結局みんな目を覚ましていた。

 その後再び眠ることはできず、わずかな仮眠だけで朝を迎えた。


「いちいちそいつの記憶探しに付き合ってたら、いつまで経っても帰れねぇじゃねぇか」


 眉間に皺を寄せたままレオが呟き、言葉の先にいたソラが苦笑いを漏らす。その反応にレオは更に不機嫌になったようで、黙って外に出て行ってしまった。

 ソラとうららのすぐ側で、壁に背中を預け様子を見守っていたリオの大きな欠伸をする気配にアオが視線を向ける。


「…リオ、お前寝なくていいのか」

「もう少しして、うーちゃんが起きないようだったら一緒に寝てるよ。レオもなんだかんだで寝てる女の子をムリヤリ起こしたりはしないでしょ」

「今寝ておかないと、学校と違って昼間寝てられないからな。バテても置いていくぞ」

「うぃー…」


 リオは返事した側からすでにころんと横になり、その瞼が閉じられる。リオは明るくないと眠れないことを、アオは知っていた。


 ここを出るまでもう少し時間が要りそうだと判断し、周辺の状況を確認をする為外へ行こうとひとり立ち上がった。

 静かな朝に自分の足音や物音がやけに響く気がする。外で小鳥のさえずりは聴こえるものの、それ以外ほとんど音がしない。車も電車もテレビや携帯の煩い機械音も、どこに行っても騒がしい喧騒もここには無い。

 こんな静かな朝はひどくひさしぶりだった。


 リオがこの絵本の世界の住人である〝かかし〟から得た情報の通り、家の裏には小川が流れていた。あまり幅は広くなく、大きい岩を足場にすれば反対側には森が広がっている。水源を確保できたのはとりあえずありがたいし、できるなら川沿いに進みたいものだが──…。

 目的への道が存在する以上、それを外れて進むのは不適切だし、効率の悪いことは嫌いだ。不本意だがうららが目を覚ますのを待つしかない。

 流れる小川の水面を見ながら、知らずアオは溜息を吐きメガネのフレームをカチリと押し上げた。


 目的も、意味も。距離すらも分からない得体の知れない旅。おそらく一番この世界に似つかわしくなのは自分だろうと思う。

 絵本の世界、願いごと探し、オズの魔法使いに夢みる王子──くだらない。バカげてる。

 自分の身に降りかかった以上受け容れるしかないものの、そう思えてならなかった。


 ふと川下の方から上がってくるレオの姿が視界に入り、アオが顔を向ける。川の水で顔を洗っていたのか、滴る水をシャツの袖で無造作に拭いていた。

 それから長めの金髪の半分くらいを慣れた手つきでヘアゴムで後ろに縛り、そこで漸くアオにに気付いたようで、顔を上げる。それを確認してからアオが口を開いた。


「何かあったか?」

「……いや。しばらくは枯れた畑と、草ばっかだった。とうもろこしがなってんのはここらだけみてぇだし…森に入れば何か違うのかもしんねぇけど、迂闊に入んのはどーかと思うし」


 相変わらず低いトーンで言いながら、広がる森の方へとレオが視線を向ける。木々が連なるその森は、光は届いていないかのように暗く不気味だった。


『──……、…』


 ふと微かに耳に届いたそれに、思わずアオが足を止める。

 流れる水音と風に混じる、不釣合いな、なにか。声が、聞こえた気がした。


『──…れ、…か…』


 うめき声のようなか細いそれに、アオは思わず眉をしかめてメガネのフレームを押し上げる。今度はさっきよりもはっきりと、声になっている気がする。


「…レオ、何か聞こえないか」

「……なんだよ、なにかって」

「いや…、人の、声のような…」

「………」

「気のせいか…森の方から聞こえてきた気がしたんだが…」


 顎に手をあてて森をじっと睨むアオに、レオはどこか顔を青くし「オレには聞こえねぇ」と素っ気無く残し、家へと入って行ってしまった。

 アオも深くは気に留めず、その背中を追った。


 数時間後、やっと目を覚ましたうららと眠気眼のリオをたたき起こし、太陽が真上に昇る頃、ようやくアオたちは動き出した。

 一番最後に家を出たうららが、壊れかけたドアの前で何かやっていたようだったけれど、誰ひとりそれを追求することなかった。

 必要最低限の荷物を持って、再びうららを先頭に旅路の上に立つ。


「──で、行き先は?」


 アオの声に振り返ることなくうららは、ゆっくりと行き先を指差した。


「……道は…あの森に、続いています」


 躊躇がちにうららが指差したのは、あの不気味な声が聞こえてきた森の方角。


「はー、これはまた、大変そうな道だねぇ」


 リオが呑気に言った隣りでレオが表情を固くしたのを視界の端で見ながら。


「では、行こうか」


 せせらぐ小川を渡り、鬱蒼と茂る森へと足を踏み入れた。


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