第6話



 両親は大切だし今の生活を支えてくれているけれど、それはリオが自分で選んだ〝必要最低限〟のものだ。その他の誰かは、リオの中にいない。

 せいぜい教師や医者や親戚。それから時折読み返す記録ノートや日記のおぼろげな認識だけ。アオやレオも、その内のひとりだった。


 それ以外のものなんて、ずっと在り続けてほしいダレかなんて、リオにはいない。それはリオが自分でそう選んで、望んで、自ら切り捨ててきたものなのに。

 なぜだろう、いま。それが寂しいと感じた。


 ──ああ、でも。そうだ、ひとつだけ。うーちゃんの言う、身体に染み込んだもの。おれにもひとつだけあったんだ。


「そんなに脳みそが欲しいなら、おれが作ってあげる」

『……?』

「うーちゃん、ちょっとひとりで待ってられる?」


 リオが隣りのうららの顔を覗き込む。うららはぶ厚いレンズの向こうで目を丸くし、驚きの表情のまま反射的に頷いた。

 それを確認してからそっと繋いでいた手を離し、リオは足早に家へと向かった。


 ──ひとつだけ。それは記憶を頼らずとも、おれの中にずっと在り続けたもの。おれにも、あったんだ。失くさないでいられるものが。


 アオの生真面目な性格のおかげで家の中はだいぶ片付いていたけれど、まだ割れた破片や木屑が散乱していた。部屋の隅で休んでいるアオ達を起こさないよう気をつけながら、目星のものを手早く掻き集め、すぐに家を出る。


 足早に戻ってきたリオにうららはホッとした顔を見せ、そんなうららの頭に手を置いてリオは笑った。

 それから地面に腰を下ろし、今持ってきたものとそしていつも持ち歩いていたものを一緒に広げる。隣りにそっと屈んだうららが、それらを覗き込んでおずおずと口を開いた。


「なにを、するんですか…?」

「おれ、いっこだけ…得意なものがあるんだ」

「得意なもの…?」

「うん。これだけは、身体が覚えてる。なにも考えなくても手が動いたし、そして出来上がったものを見ると…安心した。…おれね、夜眠るのキライだから、夜は眠らない。だから授業中はほとんど寝てるんだよね。両親との約束だから学校には行ってるけど、学校は正直退屈でしかなくて。だけどひとつだけ、好きなことがあった。おれ、手芸部なんだ。──だからこれだけは…得意なんだ」


 色の無い記憶を口にしながらも手は自然と動いた。まるで条件反射みたいだ。頭に思い浮かんだものをカタチにしていく。

 集めてきた布の切れ端を繋ぎ、中に散らばっていたコットンやガーゼや毛糸を詰め込む。表面には色とりどりのビーズやボタンを、1本の糸で繋いで。即席なのでクオリティは低めだけれど、初めて気持ちを込めてものを作った。

きみの願いが、叶いますようにって。


 リオが手芸部で作っていたのは、いつもはぬいぐるみや簡単な編み物、布で作れる小物系ばかりだった。たぶん何でもよかったんだ。

 それは何かを吐き出すように手を動かしていただけで、執着も愛着も持てなくて。出来上がったものは、名前も知らない誰かにあげていた。時分の手元に物を残すという行為は好きじゃなかったから。

 だけど今回は、違う。


「──できた」


 〝脳みそ〟だと言われればなんとなく分かるような、少しいびつなカタチの布と光る石でできた〝脳みそ〟。

 たぶん日常では作ろうなんて、考えないだろう。そう思ったら少し可笑しかった。それに材料が無かったとはいえ、我ながらちょっと不恰好。だけど不思議と、今までで一番の達成感がリオの胸にあった。


「リオ先輩すごい、目測だけで作れちゃうんですね、キラキラしててすごく、綺麗」


 ずっと隣りで見ていたうららが瞳を輝かせて言うもんだから、リオはなんとなく誇らしげな気持ちと照れ臭さで、わらった。

 それからその〝脳みそ〟を手に立ち上がり、かかしを見上げる。


「これ、あげるよ。ちょっといびつだけど、〝脳みそ〟だよ。きみに似合うと思って作ったんだ、これも所詮、カタチだけだけどね。そこからも下ろしてあげる。自由になって、自分の足で立って、カタチだけの脳を手に入れて…自分で確かめてみるといい。それでもやっぱり本物の〝脳みそ〟が欲しかったら、おれ達といっしょに来ればいいよ。オズの魔法使いに頼んでみれば? オズはなんだって願いを叶えてくれるんだって」

『……リオ…』

「おれの脳も、カタチだけだよ。だけどカタチなんて、あるか無いかなんて…たぶんそんなに、重要じゃないと思うよ」


 大事なのはきっと、脳みそよりカタチよりも、ずっと深い部分。カタチじゃないなにか。そんな気がするから。


「きみはきみの、できることを…やりたいことをすればいいんだ。そこに縛られている必要なんて、無いんだ」


 ――おれは。自分にできることなんて、殆ど無いと思ってた。

 自分でやりたいことなんて、選べることなんて。この道の先には、そんなの無いと思ってたんだ。そう自分で、決めつけてたんだ。


『ボクは…〝夢〟を、見てみたい』

「…夢?」

『とても素敵なものだって、聞いたんだ。夢は脳みそが見せているって。ボクは眠らないから分からなかったけれど…』

「…便利だと思うけどね。寝なくてもいいなんて」


 言ったリオに、かかしがくすりと笑った気がした。やはりその表情は変わらないので実際どうなのかは、分からないけど。


『その〝脳みそ〟は、キラキラしてて綺麗だね。とても素敵な夢が見れそうだ』


 穏やかな口調でかかしがそう呟いたその瞬間、リオの持っていた〝脳みそ〟がふわりと浮き上がり、かかしのもとへと吸い寄せられる。

 リオもうららも驚いて目を見開いたまま、ただ呆然とその光景を眺めた。

 やがてそれは淡い光を放ち、かかしの頭へと、吸い込まれるように消えていった。

 そしてかかしの手足を縛っていた縄がゆるりとほどけ、服に差し込まれていた竿が抜かれた。自由になったかかしが、ゆっくりとリオ達の前へと降り立った。


『──やぁ、リオ。驚いたな、君も魔法使いなのかい?』

「…まさか。ここが魔法の国なんでしょ?」

『ふふ、もしかしたら〝彼〟が力を貸してくれたのかもしれないね』

「……〝彼〟?」

『〝夢みる王子〟。…彼はいつも、君たちを見ているから』


 それからかかしはくるりと軽快に体をまわし、視線をリオの隣りのうららに向けた。うららがびくりと肩を震わせて、思わずリオの手を握る。


『…うらら。今の君なら、きっと大丈夫。帰りたい場所を見失わなければ、〝鍵〟はきっと見つかるはず』

「……か、鍵…?」

『だけど、気をつけて。物語の歯車は少しずつだけど確実に、ずれ始めている。生まれた〝歪み〟は物語を狂わせるのに十分だ。そしてそれは、ボクたち物語の住人にも影響を及ぼす〝歪み〟…その影響はやがて君たちへも降りかかるだろう』

「物語の…歪み…?」

『そう。〝夢みる王子〟がボクたちに命を吹き込み、そしてその膨大な魔力故に力を得た住人も居る。一番最初の歪みは、君たちがここに来た時既に生じていた。…物語のはじめ、命を落とすはずだった〝東のわるい魔女〟は〝夢みる王子〟から得た力で先を視、危険を回避した。今もまだこの世界に存在する。そして君が持っていた〝あるもの〟を──狙っている』

「あるもの、って…?」

『…それは、ボクの口からは言えない。ボクたちはこの世界の決まりを、決して破れないから…だけど、魔女たちが…力をつけた魔女たちは、この世界の規律を乱そうとしている。うらら、気をつけて。この世界と君は、つよく繋がっている。それを決して忘れないで。きみという存在を、ボク達は誰よりも強く、想っているから──』


 最後の言葉は小さくて、だけどしっかりとうららへと届いたようだった。掴まれたリオの手に震えが伝わる。

 かかしの姿がゆっくりとリオの目の前から消えていく。

だけどその声が今度は、自分の中から声が聞こえた。


『──リオ。君がボクの願いを叶えてくれた。だから今度はボクが、君の願いの助けになる。君と一緒に、行こうオズのもとへ。うららをかならず、オズのもとへ──エメラルドの都で、うららを待ってる人がいる──』


 かかしが居たその場所から、淡い光が空へと舞い上がる。

 ともろこしの甘い香り。広大な畑に闇に揺れるさざなみ。もうここに見守る存在はいない。

 ふと見上げた視線の先、一筋の星が流れた。

 胸がじわりと熱を帯び、なにかが変わった。そんな気がした。


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