第3話



 瞬く星は綺麗すぎて、作り物みたいに思えた。

 なんだかそれが、うららには哀しかった。


「…うらら、中に入らないの…?」


 とうもろこし畑の柵に腰かけながら、すっかり暗くなった夜空を見上げていたうららの傍に、そっと歩み寄って来たのは心配そうな顔をしたソラだった。


「……入りたく、なくて…」


 俯きながらぽつりと零したうららの隣りに、ソラが同じように腰掛ける。それだけで少しだけ、波立っていたうららの心が落ち着いた気がした。


 藁のかかしが教えてくれた通り、とうもろこし畑の奥には半分潰れた家があった。中はレンガや食器や木屑が散乱していたけれど、かろうじて壁や屋根は原型を留めていたし、テーブルやイスなど、使えそうなものも多く転がっていた。

 二階はほぼ潰れていたけれど、支柱は無事だったおかげでキッチンやリビングのある1階は思ったよりも使えそうだった。屋内という身を隠す場所に、野宿を免れたことに、みんな安堵していた。

 だけどうららはその家に、入りたくなかった。かかしは頑なにあの家は、うららの家だと言い張ったのだ。


『ドロシーの家は、竜巻と一緒にここに落ちて来たんだよ』


 藁と布でできたかかしが声だけでうららに話しかける。


『君が帰ってくるのを、ずっと待っていたんだ』


 ──ちがう。わたしの家は、ここじゃない。そう言いたいのに。


 だけど〝家〟の記憶を失くしていたうららは、それを完全に否定することができなかった。だからと言って肯定することもできず、途方も無い不安に駆られたままただ星空を見上げるしかできなかったのだ。


「…とりあえず、今アオ先輩たちが使えそうなもの仕分けてくれて、休める場所も作ってくれてるよ」

「……うん…」

「うらら…」


 気の無い相槌を返すうららに、ソラの心配そうな瞳が一層陰る。それから膝の上で組んでいたうららの手を、そっと右手で包みこんだ。その温もりにひかれるように、ぽつりとうららが胸の内を零す。


「ソラ、わたし…、思い出せなくて…」

「うん、だけどうらら。僕が知っているうららの家は…うららとおばあさんが暮らしていた家は、あの家じゃないよ」


 ソラがうららを見つめたまま、ハッキリとそれを口にする。うららの不安を振り払うように。

 うららの中に残る記憶に、やはりきちんとカタチを持った〝うららの家〟は無かった。思い出だそうとしても、思い出せなかったのだ。

 うららが自分の持っている記憶の希薄さに驚いたのはついさっき。そしてソラにそれを訊いてしまったのも…。 

 本当はあまりソラの記憶に頼りたくない。そう思っていた。だけど、ここに自分の家があるなんてどうしても受け容れ難くて。

 結局ソラの記憶にすがった情けない自分が、たまらなくイヤだった。


 ――今更だけど、ソラは…わたしが思い出せない記憶を、わたしと過ごしてきた時間を、知っているんだ。それがいつからいつまでで、どこからどこまで知っているのかは、分からないけれど。


 だけどそれは、カンタンに聞いちゃいけない気がしていた。ソラの持つ記憶に逃げちゃ、いけない気がして。

 この絵本の世界はうららを傷つけたりなんかしない、絶対的な味方のような…そんな勘違いをしていた。

 だって、ヘレンが遺してくれたものだから。ヘレンはいつだって優しくて、いつも誰よりも、うららの味方だった。──だけど。


「……まるでこっちが…わたしが居た場所だって、言われてるみたいだった…」


 ぽつりと呟いたうららにソラは哀しそうにわらって、うららの頬をやさしく撫でる。


「僕に答えられることなら、答えるよ…?」

「……ううん、まだ、いい。ソラがいるんだもん、…今はそれだけで、いいの」


 半分意地を張るように言ったうららに、ソラがやさしく抱え込むように、抱きしめてくれた。そっと押し当てられる耳元に、心臓の音が聞こえる。なんて安心できるやさしい音。

 その体温も、においも、音も。ぜんぶ泣きたくなるくらい、心地よいものだった。


 ――ソラは太陽の匂いがする。いまわたしが、誰より何より信じられるもの。


 ふと視線を、あの家に向ける。壊れかけた家の窓やドアの隙間から、ランプの光が漏れていた。中からは、仲が悪いようでどこか馴染んだようにもとれる、先輩たちの声が聞こえてくる。


「そのまんま茹でりゃいいだろーが!一番楽だろ!!」

「ヤだ、おれコーンスープがいい。ぜったい」

「じゃあ自分で作れ。但しライターの残量をよく考えて使えよ」

「つーかテメェも手伝えよ!」


 賑やかに飛んでくる会話に、うららは思わずソラと顔を見合わせる。なんだか気が抜けて、ふと吐き出すように笑ったら、気持ちが少し軽くなった気がした。そんなうららに、ソラも安心したように息を吐き出す。


「うらら、きっといま持っているものが少ないから、不安で心許ないだけだよ。かかしは〝ドロシーの家〟って言ってたんでしょ? 確かドロシーは『オズの魔法使い』の主人公の名前だし…僕には見えないけど、かかしが登場したってことは、多分だけど物語を辿ってるんじゃないかな。きっと、なにかを知ってるんだよ。うららの記憶に関することか、それとも先輩たちの願いごとと関係あるのかも」


 うららの不安を少しでも取り除こうと、ソラがやさしく諭すように口にする。その優しさに身を預けながら、うららはそっと目を閉じた。


 ――確かに〝分からない〟って、こわい。

〝知らない〟、〝覚えてない〟って、真っ暗闇みたいに足元が見えなくて、心許なくて。自分の存在がひどく頼りなくて不安で、心まで弱くなる。


 ふと、リオの顔が頭に浮かんだ。リオはこんな暗闇を、ずっと歩いてきたのだろうか。

 リオとうららにしか、見えない姿、聞こえない声。

 だけどかかしは、この絵本の世界の住人なんだ。うららだけじゃなくて、リオの願いのことも…何か知っているのかもしれない。意味が、あるのかもしれない。今ここに居ることに。

 うららはそう自分に言い聞かせた。


 ――ひとりではとても無理だから、リオ先輩が嫌じゃなかったら…お願いしてみよう、付いてきてもらえないか。


 かかしの話を、聞いてみようと思った。

 この世界と、そしてうららの話を。



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