第2話
目の前に広がるとうもろこし畑の中、みんなどこか顔を綻ばせながら十分に実ったそれをもぎ取っている。
リオはそれを遠くに見つめ、畑の周りに植え込まれた柵に腰掛けながら欠伸をひとつ零した。
赤く落ちていく夕暮れ。奇妙な旅の1日目が、ゆっくり暮れていく。
稀に見る疲労感に知らず溜め息が落ちた。こんなに歩くなんて自分にしては珍しい。体力を使うことは、苦手だったから。
「あとは寝る場所かぁ」
『それなら、ドロシーの家を使うといい』
ぼんやりと呟いた独り言だった。だってここには自分ひとりのはずだったから。
ここまで一緒に来たメンバーは、みんな畑の中で今日やっと見つけた食料確保に忙しそうだ。
今ここには、自分しかいないはず。
──なのに。
『この畑をぐるりと回った反対側に、ドロシーの家がある。半分潰れてしまっているけどね。家の裏には小川も流れているよ』
さっきと同じ調子でかけられる声の方角に、リオはゆっくりと視線を向けた。
腰掛けた柵のすぐ後ろ。太い木の棒がまっすぐ空へと伸びていて、声はその先から聞こえてきた。
『ここのとうもろこしは甘くて栄養もあってとびきり美味しいよ。きっと旅の疲れを、癒してくれるさ』
振ってくるのは、少ししゃがれた声。
そこに居たのは、藁と布で作られたひどく不恰好なかかしだった。
「……わーお」
『せっかくだから、もっと驚いた顔してくれないかい? 君にはせっかく表情があるんだから』
紛れも無くその声は、そのかかしから聞こえてくる。
藁を詰められた袋には、いびつな目と鼻と口が描かれていた。その頭にはとんがり帽子。胴体は青い擦り切れた布に藁が詰まっているようで、腕の先からそれが飛び出していた。足にはつま先の青い古びた長靴を履いている。
背中に竿を差し込まれ、その竿は棒に括り付けられている。背の高いとうもろこし畑を見渡せるほどの位置で、自分を上から見下ろしていた。
「…いま、しゃべったの、きみ?」
『もちろんさ。ちゃんと口が、あるだろう?』
ペンかなにかで描かれたような口から、確かにその声は聞こえるけれど。
――…でもまぁ、絵本の世界だっていうし、しゃべるかかしくらい、居てもおかしくはないか。少し驚いたけれど。
リオはひとり納得し、柵に腰かけ直す。
そこにとうもろこしを数本小脇に抱えて、少し不思議そうな顔をしたソラが近づいてきた。
「リオ先輩、どうしたんですか? ひとりでぶつぶつと」
「おー、ソラくん、ちょうどよかった。みてみて、しゃべるかかし。残念ながらあんまりファンシーじゃないけど」
からからと笑いながらリオが指差した方角を、ソラがつられるように見上げる。
「ああ、そうだ。このかかしが教えてくれたんだけど」
「リオ先輩…」
リオの言葉を遮って、その目が自分に向けられた。困ったような、戸惑いの滲んだ苦笑い。
そして今度はソラの言葉に、リオは自分の耳を疑うことになった。
「僕には棒と竿しか、見えないんですが…」
「……まじで?」
ちょっと明るく言ってみたけど、目の前のソラは一層苦い笑いを浮かべる。
――うーちゃんに引き続き、またそのパターンですか。──あ。
「うーちゃーん」
――そうだもしかしてうーちゃんなら、見えるかも。
そんな淡い期待を込めて、少し離れた畑の中でとうもろこしを一生懸命収穫していたうららを手招く。
「どうしたんですか…?」
とうもろこしを両手に抱えたうららは、リオとは少し距離をとりソラの影に隠れながらおずおずと口を開いた。その様子が警戒心の強い猫みたいで、ちょっとかわいかった。
「これ、見える?」
言ってリオが指差した先にうららも視線を向けるけれど、やはり無反応。キョロキョロと目だけを彷徨わせ、それから視線をリオに戻して首を傾げる。
やっぱりリオにしか、見えていないみたいだ。
「ごめんごめん、気にしないで」
リオはひらひらと手を振りながら笑って言う。
それならそれで、別になんの問題もない気がした。家を教えてもらっただけメリットはあったのだ。
「家があるんだって。屋根の下で休めるみたい」
「ホントですか…? よかったぁ…」
頷きながらうららの腕の中に詰め込まれていたとうもろこしを、数本引き抜く。ずいぶんたくさん収穫したねと笑うリオに、わずかに顔を赤くしながらありがとうございます、とうらら俯いて。
ふと手が触れた瞬間、ピリッ、と電流が走ったような錯覚に、思わずお互い見つめ合う。
静電気? なんてぼんやり思っていた時だった。
『──うらら』
とうもろこし畑とリオ達をを見下ろしていたかかしが、しゃがれた声でうららの名前を呼んだ。
『──うらら、やっと、会えた…君にずっと、会いたかった』
聞こえないはずの声に、うららはゆっくりと、顔を上げた。かかしの声に反応を示すように。
瞬後、目の前のうららの表情がみるみる引きつってゆく。
「しゃ、しゃべ…っ」
「…うーちゃん、見えるの?」
「え、あ…! そうだ、さっきまでそこに何もなか…っ」
「ありゃー」
どういう理由か分からないけれど、あの、触れた直後。うららの目にも、かかしの姿が映ったようだった。
リオは試しにとソラと握手してみたけれど、やはりソラにかかしの姿は見えず、声は聞こえなかった。
かかしは、うららに向かって言った。
『畑の向こうにある〝ドロシーの家〟は、うらら、君の好きに使うといい』
「…で、でも、人の家でしょう…? とりあえず今夜だけお借りできれば、十分です…」
『ボクはずっと、このとうもろこし畑とあの家を見守ってきたんだ。あの家は、君の家だよ』
かかしの意味深な言葉にうららの瞳が戸惑いに揺れるのがわかった。北の魔女が言っていた言葉を、ふいに思い出す。
〝この絵本は、あなたの為に作られたものだから〟
うららにしか見えない道に、うららを待っていたというかかし。うららがここに来たのは、もはや必然と言えるだろう。
ただ布に描かれているだけのかかしの顔は、全く変化しない。なのにその声には、嬉しさが滲んでいた。そんな風に、リオには聞こえた。
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