第二章 リオとかかし

第1話



 偉大なる魔法使い・オズへと続く黄色の道を歩き始めはや数時間。

 うらら達は〝絵本の世界〟を甘くみていたことを、思い知らされていた。


 「オズの魔法使い」は童話だ。子供向けにつくられた〝絵本の世界〟は漠然とだけれど、危機感に欠けたイメージだった。

 だけどここにはしっかりと時間が流れている。この世界にも、うらら達自身の体にも。

 空の色は確実に変化し日は暮れていく。気温も少しずつ下がっていく。あんなに明るかった空が次第に暗くなっていくのは、予想以上にうらら達の不安を掻き立てた。


 体が空腹と疲労を徐々に訴え始める。だけど見渡す限り草原が広がるばかりで、体を休める場所もお腹を満たす食べ物も見当たらなかった。

 〝はじまりの場所マンチキン〟を出発し、歩き始めて数時間。体力的にも気持ち的にも、限界が近付いていた。


「───クソっ…! 街とかねぇのかよ?! もしくは家!!」


 うららが示した方角へと、先頭を行くレオが眉間の皺をこれでもかというくらい深めながら苛立ちを隠さず声を荒げる。それに答える者は誰もいない。


「なんなんだよどーすんだよもう日が落ちるってのによ…!」

「…今日はもう、野宿しか無いだろう」


 淡々と冷静に言ったのはアオで、全員が静かにため息を漏らした。

 一番最初に空腹を訴えたのはリオで、それからアオの指示のもと各自持ち物をチェックした。

 カバンは誰も持っていない。携帯は圏外、使い物にはならないだろう。ペンや生徒手帳は論外。財布に入っているお金もここではきっと無意味。腕時計の針は動かない。だけど時間は流れている。

 唯一、レオの持っていたライターと、リオが持っていたソーイングセットだけが、この世界でも役にたちそうなものだった。


「腹が減るということは、ここでの時間が確実に自らに影響しているということだ。ケガをしたら出血するし、襲われたら命を落とす可能性もある」


 警告のように呟いたアオの言葉を、全員どこか不安そうに受け止める。今現在の状況から、誰ひとりその最悪の想定を否定しきれなかった。

 この旅路に危険はないと…マンチキンを発ったあの瞬間までは、多分誰もがそう思っていた。


「…はー、つかれた…もーヤだ歩きたくない」


 大きく息を吐き出しながら、どこか億劫そうにリオが零した。


「…残念だったな」


 リオの言葉に応えるわけでもなく、ふいにアオが口にしたその言葉をリオの視線がを捉える。だけどすぐに放棄した。

 なにがだろう、と他人事のようにぼんやり耳を傾けながらも、さして興味もないうららはとにかく足を動かす。夕闇がすぐ後ろまで迫っていた。

 アオは無表情のまま言葉を続ける。


「時間が流れているということは、お前のアレも健在ということだろう」


 アオの言葉の先にいるリオは、感情も表情も関心もまるで無いように無反応だった。


「いずれ分かることだ。行動を共にするなら君たちも知っておいた方がいい。言ったろう? 彼も〝有名人〝だと」


 アオの視線が移動し、うららとソラに向けられる。

 その視線を受けながらも言っている意味がわからないうららとソラは顔を見合せた。

 レオは我関せずを決め込んだように無反応だ。

 困惑しながらも、アオに視線を返す。


「…なにを、ですか…?」


 いたたまれない空気に口を開いたソラから視線を外し、アオが指先でメガネのフレームを押し上げる。


「リオは、記憶障害を持ってる。3日間しか記憶が保てない」

「…え…」


 ――リオ先輩が──〝記憶障害〟?


 それを今この場で急に言われても、どう反応していいか分からない。

 隣りのソラを視界の端で盗み見ると、ソラの表情も戸惑いに揺れていた。


 ――記憶が3日しか保てないということは、3日前の記憶は忘れてしまうということ…?


「こんな冗談みたいな状況だ。先に知っておいた方が、対処しやすいだろう」


 なぜだかは分からないけれど、アオの物言いには例えば心配だとか気遣いだとか…そういった優しさは、感じられなかった。


「だいじょーぶだよ」


 明るく降ってきた声に、うららは思わず顔を上げる。

 リオの眠たげでなにも捉えていないような瞳に、情けない顔したうららが映っていた。


「リセットされるのは1日ごとだし、生活にはあんまり支障ないよ」

「お前が関心ないだけだろ」


 突如口を割って入ってきたのは、意外にもレオだった。こちらにはまるで無関心だと思っていたのに。


「すべてに無関心だから、そんなこと言えんだろーが」


 睨み付けるレオに、リオは全く物怖じする様子もなく口に薄い笑みを浮かべる。作り慣れたような笑みだとうららは思った。


「だってぜんぶ、どうでもいいから」


 その言葉により一層張り詰めた空気を感じる中、うららは思わず隣りのソラの手を握る。ソラは小さく苦笑いを落として、それからそっと言葉を零した。


「……もしかしたら先輩たち、友達なのかな?」

「…え? めちゃくちゃ他人行儀だよ…?」


 声を潜めて言ったソラに、うららもなるべく小さく返す。

 それから未だ睨み合う先輩達に目を向けた。少なくとも仲が良くないことだけは、確かだった。


「なんとなく、だけど…ごめんうらら、気にしないで」


 ソラは曖昧に笑って再び視線を前に戻し、うららもそれに倣った。

 それから誰ともなくまた、歩き出す。ここでこうしていたも無意味だということは、誰もがわかっていた。


 ──どうして、わたし達なんだろう。どうして、この人達なんだろう。


 思わずにはいられなかった。この旅路の意味を、理由を、意義を。

 歩き続ける視線の先、茜色に染まる空はまるで燃えているかのように赤い。


 ――夕日って、なぜか無性にはやし立てられているような気持ちになる。


 それは迷子になった時の、途方もない気持ちと似ていると思った。


「──…チッ」


 ふいにレオが舌打ちして空を睨む。日の沈みかけた空は鮮烈な鮮やかさと、どこか重たさも孕んでいる。


「カラスにまでバカにされてやがる」


 レオの不機嫌な呟きにその視線を追うと、はるか頭上をふたつの黒い影がゆっくり旋回していた。明らかな被害妄想だとは思ったけれど、誰も口には出せなかった。他人に構う余裕などなく、沈黙はひたすら重く連なるばかり。

 延々と同じ景色が続くのではとそう思った時。ふいに視界の色が、変わった。


「…とうもろこし畑だ」


 ぽつりと、リオが呟いた。

 絶えず続いていた緑の草原に少しずつ違う色が混じり、地面から伸びる背の高く太い茎の先のふくらみからふさふさのひげが、のどかに揺れて風にさざなむ。わずかに香ってくるのは、青っぽくあまい匂い。


「──食料は確保できそうだな」


 わずかに表情を緩めたアオもやはりどこか安堵したように、メガネのフレームを押し上げた。

 ふ、と張り詰めた空気がわずかに緩むのを感じて、うららもソラもホッと胸を撫で下ろす。不安に駆られながら速めていた歩調も、自然と緩んだ。


「畑があるなら水源も近いかもな。現実と同じ理屈なら」

「もう、生で喰えたりしねーのかアレ」

「じゃーレオ、トライしてみてよ」

「は? ざけんなテメェでやれ」

「今日はもうこの辺で休もう。いったん今後の計画も立て直した方がよさそうだな」


 さっきまで空気を凍らせていた元凶の3人は、こっちが驚くくらい普通に会話していた。

 うららはいささか巻き込まれたような不満はあったけど、今は安堵の方が大きかった。

 得体の知れない場所で、だけどこの世界の影響を確実に受けながら。改めてひとりではなかったことに、安堵した。


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