第2話



 突如響いた言葉は、その場にいた誰のものでもなく。その場に居た全員が、一斉に声の方へと視線を向けた。

 そこに居たのは明るい黄色のドレスに身を包む、とても美しい女性だった。

 うらら以外のそれぞれも、怪訝そうな目でじろじろと見回している。特に金髪の少年は、その鋭い視線からビームでも出せそうなほど睨み付けていた。

 その無遠慮な視線に女性は微笑みを返す。


「ようこそ、ここは〝マンチキン〟。…はじまりの場所です」

「はじまり…?」


 うららの言葉に女性はこくりと頷き、そして持っていた金色のステッキをゆっくりと空に弧を描くように振った瞬間。草花が一層に咲き乱れ、空がピンク色に染まる。きらきらと空のカケラが降り注ぎ淡く光輝いた。

 夢の中のように美しい、絵本の中のような光景だった。


「私は〝北の魔女〟。ここで始まりを、見届ける者」

「始まりを、見届ける…?」

「願いを持った者たちが絵本に触れ、ページをめくった。あの絵本は、〝願いを叶える絵本〟。そしてあなた達の予想通り、ここはあの絵本の中の世界です」


 ――願いを、叶える絵本…?


「あなた達はみな、強い願いを持っているはず」


 北の魔女と名乗った女性は魔女というよりは女神のようで、まるで光を纏っているかのように美しかった。その綺麗な瞳にうらら達を映し、まっすぐ言葉を紡ぐ。


「だからこそこの場所に、今、いるのですから」

「フザケんな…!」


 ぴしゃりと、一番に口を開いたのは金髪の少年だった。先ほどまでの柔らかな空気が、打って変わったように緊張を纏う。


「願いを叶えるだと…? そんなことこっちは望んでねぇよ…!」


 金色の髪が春色の風に翻る。隙間から覗く顔立ちは丹精だったけれど、眉間に刻まれた皺と緩むことのない口元が、すべてを恐ろしい印象へとかえていた。


「絵本の中だろうかドコだろうが、どうだっていいんだよ…! とにかくはやく、元の場所に、戻せ…!」


 命令にも似た、強い口調。憤りと怒りが滲み、まるで獣の威嚇のようだった。


「…元の世界に戻りたいのなら、偉大なる魔法使い・オズのもとに行きなさい。オズはどんな願いでも、叶えてくれるでしょう…そしてあなた達の願いが叶う時…元の世界へと帰れるでしょう」


 北の魔女は笑みを崩さず、微笑みかける。

 その様子に苛立ちを募らせたのか、尚も食って掛かろうとした金髪の少年を、メガネの少年が腕一歩で制した。


「俺も、願いとやらに心当たりは無い。だがまぁ、戻る方法がそれしか無いというのなら、仕方ない」


 人差し指でメガネの淵を押さえながら、冷静に北の魔女を見据える。こちらも不機嫌を隠そうとする様子はない。金髪の少年とは違い、静かに不愉快を顕にしている。


「だがひとつ。名前を奪われたのは、何故だ?」


 その言葉にうららは首を傾げた。


 ――名前を、うばわれた…?


「俺たち3人が気づいた時…誰ひとり、自分の名前が分からなかった。それは、何故だ?」


 ――自分の名前が、分からない? それはわたしみたいに、記憶がところどころ抜け落ちているのと同じようなことなんだろうか。


「あの、分からない、って…」

「そのまんまだよ。自分の名前を、思い出せないんだ」


 おずおずと口を開いたうららに答えたのは、木陰に寝そべっていた栗色の髪の少年だった。瞼は閉ざしたまま続ける。


「おれ達みんなおんなじガッコだから、それぞれの名前ぐらいは知ってる。有名なヤツも混じってるしね」


 言いながらちらりと視線をその〝有名なひと〟に向け、またすぐにうららの方へと戻す。その視線の先には金髪の少年と、メガネの少年。


「だけど自分だけじゃなく他人の中からも、その名前は切り取られたみたいに、無くなっちゃった。ここに来たのと同時に、奪われちゃったみたいに」

「お前も十分、有名人だがな」


 付け足すように言ったメガネの少年の言葉に、栗色の髪の少年は反応を返さず欠伸をひとつ落としたかと思うと、またすぐに瞼を伏せてしまった。


 つまりこの3人は、互いの素性はそれなりに知っているようだった。ただ友好的な関係ではなかったことだけは、初対面のうららでも感じ取ることができた。

 そんなうらら達に、北の魔女があくまでも温和な口調で答えた。


「それは、この世界で願いを叶える為の〝代償〟です。願いを叶えた時、もとの世界に戻るのと同時に名前はかえります。この世界での記憶と引き換えに」

「理解できないな」


 北の魔女の答えに、不機嫌を隠さずメガネの少年が呟いた。溜め息混じりに、冷たい視線を向けながら。


「記憶を消すというのなら、わざわざ成し遂げる意味が無いだろう」

「…意味も価値も。あなた達が望む願いの果てに、生まれるものです」

 北の魔女がささやくそれは、まるで魔法の言葉のよう。受け入れるべき標のような、そんな印象にさえ感じる。

「あの…」


 躊躇がちに口を開いたのは、ソラだった。


「僕とうららは、互いの名前を認識しています。それにはなにか、理由があるんですか…?」


 それはうららも気になっていた。疑問に思ってはいたけれど口には出せなったことを、ソラが代わりに口にしてくれたのだ。

 それと同時に、3人の少年たちと北の魔女の視線がうらら達ふたりに注がれる。


「それは、うらら…この絵本は、あなたの為に作られたものだから。あなたの〝願い〟が誰よりも一番強く、大きかった。だから名前ではなく〝記憶の一部〟が代償となり、この世界にそれは、散らばりました。うらら、あなたはこの世界で記憶を取り戻すと共に、あなたの願いごとを探さなければいけません」


 ――〝願いを叶える絵本〟が、わたしの為に作られた…?


 北の魔女の言っている意味が、うららにはよくわからない。理解できなかった。


「わたしの為、て…それって、どういう…」


 戸惑う思わず手に力が篭る。その手の先の居るソラが、うららに視線を向け遠慮がちに口を開いた。


「うらら、それも忘れてしまったの?」

「……? なに、を?」

「あの絵本は…あの『オズの魔法使い』は、出版物ではなくて手作りの絵本。絵本作家だったうららのおばあさんが、うららの為に作ったもの。世界にひとつだけの、『オズの魔法使い』なんだよ」


 ――わたしの、おばあちゃん……?


「──……!」


 瞬間、うららの目の前が白い光に包まれる。それはうららだけを包む記憶の光だった。


 ──そうだ…思い、出した。わたしは、おばあちゃんと…大好きなおばあちゃんと、一緒に暮らしていたんだ。小さい頃からずっと、その絵本を読み聞かせられながら。


「うららの祖母、ヘレンは…愛を、願いを、希望を…そしてありったけの魔法を込めて、この絵本を作りました」


 北の魔女はうららを見つめながら続ける。


「ヘレンはとても優しくて力のある、魔女だったのです」


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