第29話「全てを見ている少女、あいり」

 その雄叫おたけびは、いつものキンキン響くハイトーンではない。

 水瀬千依ミナセチヨリの行き場を失った葛藤かっとうが、彼女をグラマラスな悪魔へと変貌へんぼうさせていた。

 阿南宗一アナミソウイチこと女騎士エンジュは、破壊された武器を捨てて両手を広げる。

 胸が、心が痛かった。

 千依もまた、学校で居場所を無くしたのだ。

 宗一の居場所を取り戻そうとしたから。

 そのことに気付いてやれなかった自分が、とてもくやしい。


「千依っ! やめろ……お前はそんなこと、しちゃいけないっ!」

「なにさ……宗一はずっと、ずっと! あの、あいりって子に……なんなのさ!」

「わからない……なんだろうな。でも、千依……やるなら俺だけにしろっ!」


 絶叫する千依は、泣いていた。

 大人びた顔立ちで、大粒の涙を振りまきながら爪を振り上げる。

 その斬撃ざんげきが、覚悟を決めた宗一の一秒前を殺した。

 千依になら今、やられてもいいと思ったのだ。

 それで彼女の気が済むなら、と。

 だが、頼れる仲間がそんな彼に思い出させてくれた。


「ちょっと、宗一君っ! そゆのは駄目よん? とうといけど、だーめ」

「我等もついている! 現実を受け入れることであきらめるなら、それはまだ少し先だ!」


 ひび割れたアスファルトが、千依の一撃で裂ける。

 そこに立っていたはずの宗一は、戦士バズンこと四条真瑳里シジョウマサリに抱えられていた。そのまま安全な場所に宗一を下ろして、巨漢きょかんの中年紳士はニヤリと笑う。

 背後では、頼もしき大魔導師だいまどうしデルドリィードが魔法の準備を始めていた。

 中の人である山田三郎ヤマダサブロウの想いが、そのまま中性的な美貌にすごみを帯びさせている。


「真瑳里、さん……三郎さんも」

「千依ちゃんだって苦しんでた、それを私達は気付けなかった。宗一君だけじゃないの、責任を感じるのは。あの時……アタシが気付いてあげてれば」

左様さよう! われにも落ち度はあった……自分のことを棚に上げて、上から目線で千依をあしらってしまった。恥ずかしい……だが、そのミスを今、精算する!」


 もうもうと立ち上がる土煙の中から、ゆらりと千依が歩み出てくる。

 褐色かっしょくの肌に真っ赤な髪、そして真っ赤な体毛が水着のように豊満な肉体を象っている。背には真っ黒な翼を広げ、手足などはケダモノのようだ。そして、尻尾が彼女の激情を表現するようにせわしく揺れていた。

 怒気を荒げる千依の涙は、けたアスファルトに落ちて小さな音を立てた。


「宗一……アタシ、もうどうしたらいいかわかんないよ!」

「千依っ! なら――」

「いじめてた連中、やっつけちゃ駄目なの? ねえ、宗一! こいつ等、宗一をいじめてたんだよ? アタシのことも……ねえ! この異変でアタシがこんな姿になったの、意味があるんじゃないかなって……復讐しろってことじゃないかって!」


 千依は元々、結構ビビリで大それたことはできない女の子だ。

 彼女にとっては、宗一だけが唯一自由に接して無理や無茶を言える相手だったのだ。宗一も困らされることが多かったが、彼女の明るくラジカルな性格に何度も助けられていた。

 それを今、過去へと過ぎ去るのを見てられない。

 まだ、今この瞬間にできることがある筈だった。

 そのことを思い出したから、宗一も、美少女騎士の身体を身構えさせる。

 そして、へたりこんでいたクラスメイト達は、一目散に逃げ出した。


「くっ、くそ! 訳も分からずこんな……おい、ずらかるぞっ!」

「あ、ちょ……ま、待ってよぉ! おいてかないで!」

「にっ、逃げろ! 冗談じゃねえ、付き合ってらんねーよ!」


 彼等は互いを使い捨てるように、我先にと逃げる。

 それを肩越しに振り返って、ビクン! と千依が身を震わせた。

 すかさず真瑳里と三郎が動いた。

 武器を失ったが、宗一も飛び出す。


「……逃さないから。絶対にっ、許さないから! アタシの痛み、宗一の苦しみ……思いっ、知れえええええっ!」


 胸をらして、千依が天を仰ぐ。

 次の瞬間、彼女の口から苛烈かれつな炎がほとばしった。

 牙の並ぶ口が耳まで裂けて、地獄の底のように真っ赤だ。

 咄嗟とっさに飛び出した宗一は、紅蓮の業火からクラスメイト達を守る。パーティーで一番のスピードを持つ女騎士エンジュは、その身を盾にして無防備な人間を守った。

 ダメージを告げる痛みが、全身をむしるように襲ってくる。

 のたうつへびのような獄炎インフェルノは、宗一の体力を大幅に奪って消えた。

 白煙を巻き上げながら、なんとか耐えた宗一は叫ぶ。


「お前等、逃げろっ! 早く!」

「そ、その声……宗一? あの宗一なのかよ!」

「え、なに? その格好……やだ、恥ずかし……」


 宗一はうろたえるクラスメイト達に声を荒げた。

 本当はあの時、まだチャンスがあった時……いじめられた時に、言うべきだった言葉だ。

 面と向かっては言えないし、怖くて言い返せなかった。

 だが、今ならはっきりと言える。

 千依に罪を重ねさせないため……なにより自分のために。


「いいからさっさと行けっ! そして、覚えてろ……日常が戻ってきたら、その時は……俺と千依が、お前達のいる学校に戻る時だ! きっちり精算してやる!」

「あ、ああ……」

「さあ、行け! どっかに隠れて震えてろ! 俺は……俺には、助けたい奴がいるっ!」


 千依のモンスターとしてのレベルは、どれくらいだろう?

 悪魔系のモンスターは、ハンティング・ファンタジアの世界でもかなり高レベルの強敵だ。多人数で総力戦を挑んで、やっと一匹倒せるかどうかというキャラクターである。

 宗一くらいやりこんだプレイヤーでも、目撃例は数えるほどしかない。

 だが、上級者であり熟練者だからわかる……千依の強さ、恐ろしさが。


「宗一君、まずは千依ちゃんを無力化させるわよ! 話ができる状態にするため、悪いけど少し痛い目をみてもらいましょ」

「フハハハハッ! こんなこともあろうかと、我が極上のレアアイテムを持っておる。我は魔導師……否っ、大魔導師ゆえに装備できぬがな!」


 三郎が視線でウィンドウを呼び出し、その中からストックされたアイテムを実体化させる。それは、宝石を散りばめた鞘に収まる一振りの剣だ。綺羅きらびやかな装飾はどこかおごかで、デザインも伝説の聖剣を思わせる。

 だが、宗一はそれを手で制して首を横に振った。


「今の俺に剣は必要ないですよ……ありがとうございます、三郎さん」

「フン、そうか……そうであるな! では、我等二人が貴様の剣となり、盾となろう!」

「やれるだけやってみるから、宗一君! キミの言葉を、千依ちゃんに届けてあげて」


 そして、戦闘が始まった。

 すでに我を忘れたかのように、千依は一層猛り高ぶって暴れまわる。

 真瑳里と三郎は、当たれば致命打の攻撃が乱舞する中、懸命に宗一のための道を切り開いてくれた。

 僅かな光、細く不安定な道……だが、宗一は全力でその先を目指す。

 千依の悲痛な声は、より強く叫ばれた。


「真瑳里さんっ! アンタみたいなできる女にはわからないんだ……アタシみたいな、弱い人間のことなんかっ!」

「ええ、わからないわ。千依ちゃんの話を、ちゃんと聞かなかったから。だから、今度は教えてくれるかしらん?」

「またそうやって、余裕ぶって!」

「あと、これだけはわかる……最初から強い人なんていないのよん? ……みんな最初は弱くて、だから強くなれるの。千依ちゃん、思い出してっ!」


 珍しく真瑳里が声を荒げた。彼女が全身で動かす巨漢の戦士は、重鎧を鳴らして巨大な戦斧ハルバードを振るう。だが、うなりを上げる剛撃ごうげきが簡単に受け止められた。

 片手で平然と、巨大な刃をつかんでびくともしない……千依は今まさに、一騎当千いっことうせんの恐るべき魔神デーモン。だが、それでも真瑳里は声を張り上げる。


「いいわよ、デルッ! アタシごとやっちゃって!」

「クククッ、どうなっても知らんぞ……我に任せよ! 友よ!」


 真瑳里は全力で武器を押し込み、それがへし折れるや千依に抱き着いた。全身で自由を奪うように、巨体でのしかかる。だが、細腕が嘘のような力で千依は重武装の戦士を引き剥がした。

 片手で軽々と千依は、真瑳里のキャラクターを宙吊りにくびる。

 だが、そこへデルドリィードの魔法が炸裂した。

 全てが光に飲み込まれてゆく中、その爆心地へと宗一は走る。

 流石さすがの千依も、苦しげな声で恐怖をにじませていた。


「なによ、捨て身って訳!? ……宗一っ!」

「うおおっ、千依! お前はあ! やりすぎてんじゃ、ないよおおおおっ!」


 握った拳を、振りかぶる。

 だが、間近に迫る悪魔を見上げて、そこにいつもの千依の泣き顔を見つけてしまった。だから、肉薄の距離に踏み込んだ宗一は……静かに鉄拳をほどく。

 そのまま彼は、震えて身を縮こまらせる千依に手を下ろした。


「――っ!? ……あ、あれ? そう、いち……? 宗一?」


 宗一は、自分より長身になってしまった千依の、その頭をポスンとチョップした。

 そして、背伸びしてその手で髪をでてやる。

 突然のことにキョトンとした千依だが、そのまま崩れ落ちて泣き出した。


「お前を殴れるかよ……もう、痛い思いなんかさせねえし、さ」

「う、うう……宗一……アタシ、アタシッ!」

「その格好もなんとかしないとな。……な、なあ、肩らないか? その、胸、さ……お互い真っ平らな方が気楽でいいよ。俺なんかもう、肩が……って、お、おいっ!」


 千依は抱き着いてきた。

 少しよろけたが、宗一も抱き帰して優しく背をさする。

 その時、ふと声を聴いたような気がした。

 会えなくなった少女、去っていった母の面影おもかげを持つ女の子の声だ。それは宗一にだけ聴こえたのか、それとも気のせいか……だが、どこか優しげな声音は、聞き取れない言葉の中にいたわりを滲ませていた。

 そして、禍々まがまがしい千依の全身が縮んでゆく。

 テクスチャが崩壊して再構成され、先日初プレイした盗賊とうぞくの姿へと変わっていった。

 盗賊の少女をはげましながら、宗一は仲間達の無事を確認する。


「真瑳里さん、三郎さんも。ありがとうございました。な、千依……お前も謝ってお礼しろよな? ……今すぐじゃなくてもいいから、さ」

「うん……うんっ! ごめんなさい……アタシ、ずっと辛くて……ごめんなさい」


 謝るのはこっちの方だ。

 そしてもう、千依を一人にはしない。

 そうだろ、と呼びかける声を吸い込み、遠くで巨大な世界樹が枝葉を広げている。その奥に彌勒寺あいりが待っている、それだけを信じて宗一はさらに先へと進むのだった。

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