第28話「力を与えた存在、あいり」

 いつものゲームと同じ、気心の知れた仲間。

 デルドリィードとバズンの存在を、改めて阿南宗一アナミソウイチはありがたいと思った。その強さだけではない……プレイヤーであり友人、山田三郎ヤマダサブロウ四条真瑳里シジョウマサリがいてくれることが嬉しいのだ。

 断続的に聴こえる悲鳴へ向かって、宗一は走る。


「……リアルに作り過ぎだぞ、あいり」

「ん? どうした、我が友エンジュよ……もうへばったのか?」

「いや、それが全然疲れないんですよ」

「きっとこの巨大なAR空間には、不可視で聴こえぬ信号が満ちているのだろう。一種のサブリミナル効果で、今の我々は疲れも感じず強い力を振るえるのだ」

「なるほど……じゃあ、この肩の凝りもそうなんだろなあ」


 宗一は今、いて言えば肩がった。

 自分でエディットしたキャラクターなのだが、女騎士エンジュはスタイル抜群の美少女である。当然、大立ち回りをしたり走ったりすると、

 そして、結構胸は重いのだ。

 そのことを口に出したら、真瑳里が笑う。


「そうよん? 女の子の胸には、夢と希望が詰まってるんですもの。重いんだから」

「はあ……なんか、大変なんですね。じゃあ、やっぱり真瑳里さんも」

「もち。もう、仕事がハードな日なんかは、肩が凝って凝って」


 大変なんだなあと、呑気のんきなことを思ってしまう。

 だが、今はそんなことを言ってはいられない。

 三人は風切る速さで疾駆しっくする。すでく道は豹変していた。アスファルトはところどころに見たこともない植物が突き出て、周囲の建物も経年劣化を過剰に演出している。廃墟となって森に沈む東京は、緑の原生林で宗一達を包んでいた。

 そして、先程の悲鳴が一際大きく響き、それっきり聴こえなくなる。

 焦りが宗一達にさらなる加速をうながした。


「宗一君、あそこ!」


 真瑳里の声と同時に、宗一は腰の剣を抜刀する。

 交差点の中央は今、無数の花が咲き誇る中に……恐るべきモンスターが翼を広げている。その足元には、見覚えのある少年少女がへたりこんでいた。

 そう、モンスターだと思った。

 蝙蝠こうもりにも似た漆黒の翼、長く伸びて逆巻く真っ赤な髪。そして、その頭部に輝く一対のつの……正しく悪魔としか言いようがない姿だ。宗一にもはっきりと、その背に揺れる尻尾が見て取れた。


「なにっ、あいつら……!?」

「知り合いか、エンジュ!」

「クラスメイトです! ……ったく、なんだよ! 助けるしかないじゃないか!」


 おびえてすくむ一団は、宗一のクラスメイト……そして、宗一を学校から放り出したいじめっ子集団だ。スクールカーストの上位に君臨し、ただ遊びとして生贄いけにえを決め、陰湿ないじめを笑いながら繰り返す。

 悪魔に襲われている彼等こそが、宗一にとっては悪魔にも等しい存在だった。

 だけど、助けない訳にはいかない。

 この拡張現実オーグメンテッドリアリティの中では、モンスターは全て立体映像である。しかし、拡張現実の中にいる限り、その影響を受ける人間全ては『本物のモンスターに対しての心身のリアクション』を勝手に再現させられる。

 切られれば、神経を痛みが電気信号となって走るだろう。

 より強く切られれば、血が出たように見えるかもしれない。

 そして、致命傷を受ければと思うと、宗一は考えるのをやめた。


「お前等っ! ちょっとどいてろ!」


 電光石火でんこうせっかで剣を引き絞る。

 女騎士エンジュは、その俊敏性アジリティ機動力スピードがウリだ。きらめく剣閃けんせんが、悪魔へ向けて走る。

 だが、振り返る悪魔は……難なく片手で宗一の剣を受け止めた。

 そして、衝撃に宗一は言葉を失う。

 三郎や真瑳里も、絶句し身構えたまま固まってしまった。


「なっ……お、お前。ひょっとして……千依チヨリ、か?」


 長身の悪魔は女の姿をしていた。豊満な肢体の起伏を、扇情的せんじょうてきな模様で体毛が覆っている。褐色の肌をした悪魔は、その顔は……宗一の幼馴染おさななじみ水瀬千依ミナセチヨリだった。

 あまりにも突然のことで、宗一はその場で動けなかった。

 鉤爪カギヅメの光る大きな手で、千依は剣をそのまま握り潰す。

 音を立てて砕けた刃は、キラキラと光を反射して粉々になった。


「邪魔しないで……アタシ、強いんだから! ……あれ? そのキャラ……宗一?」

「やっぱり千依か! お前っ、なにやってんだ!」

「……あは、宗一! やっぱり宗一も来てたんだ、この世界に。ハンティング・ファンタジアのアカウント、持ってるもんね」


 震えて身を寄せ合う少年達は「宗一?」「あの阿南宗一か?」「だよな、水瀬がいるんだもんな」と口々につぶやく。

 折れた剣を握ったまま、宗一は力なく数歩下がった。

 見上げる千依は豊満な胸を張って、恍惚こうこつの表情で両手を広げる。


「見てて、宗一……こいつら、アタシがやっつけてあげるから! そうよ……こいつらさえいなければ!」

「よせっ、千依!」

「なんで? どうして……この異変はきっと、アタシに与えられたチャンスなの!」

「俺はもう、そいつらのことなんてどうでもいい! 俺のために馬鹿やってんじゃないよ!」


 だが、ピクリと千依はほおを引きつらせた。

 そして、ゆがんた笑みでくちびるの端を釣り上げる。


「宗一のため? ああ、そうね……最初はそうだったわ。そうよ! 宗一のために頑張ったの!」

「なら、やめろっ! 俺はそんなこと、望んじゃいない!」

「……宗一のためにって、頑張ったら……アタシ……アタシッ!」


 怒髪天どはつてんく赤髪が、そのまま炎のように揺らめく。

 覇気はきみなぎらせる千依は、正しく黙示録アポカリプスの悪魔……巨大な翼を広げ、両手にバチバチと黒い稲妻いなずまをスパークさせ始める。

 慌てて三郎と真瑳里が左右に並んで防御態勢を取った。


「宗一君っ! あれ、千依ちゃんなの? あらまあ……グラマーになっちゃって」

「ええい、バズン! その巨体を少したため! しゃがむのだ! 防御魔法の中に収まらんぞ!」


 三郎の長杖ロッドから、光が広がりドーム状に三人を包む。

 それは、千依の手から強力が電撃がほとばしるのと同時だった。

 全てを飲み込む黒きいかずちが、あっという間に周囲のオブジェクトを破壊する。足元の花が瞬時に吹き飛び、辺りは焦土と化した。

 千依は容赦なく、宗一達に攻撃してきたのだ。

 だが、その表情は先程よりもずっと感情的だ。

 宗一にとって、いつも見てきた幼馴染の素顔がそこにはあった。


「宗一! アタシ、頑張ったんだから……アンタが学校に来なくなったから、コイツ等のこと、先生に! 親にも相談したし、やめさせようとした!」

「ち、千依?」

「コイツ等を懲らしめてやろうって……いじめがなくなれば、宗一はまた学校に来ると思った! でも……でもっ、違った! アタシ一人じゃ、なにもできなかったの!」


 血を吐くような叫びだった。

 千依は胸に手を当て、その爪で己の肌を引き裂く。

 青い血がしたたり、瞬時に回復して傷は消えた。

 だが、その痛みが宗一には伝わってくる。

 そして、真実が明らかになった。


「アイツ等は……今度はアタシをターゲットにした。最初は平気だと思ってた……いじめになんか負けない、負けてやらないって思ってた! でも」


 彼女の言葉には、かつて宗一が背を向け逃げ出した現実があった。その現実の、もう一つの可能性が。

 千依は宗一のために、クラスのいじめをなくそうと一人で奮闘したのだ。

 だが、そのことで逆に、今度は千依がいじめの対象になった。

 宗一と違ってあらがった千依は、より過激で陰険な日々にさいなまれたのだった。


「だから、これは復讐なの。こいつらがいなきゃ、宗一もアタシもいじめられなかった。昔みたいに、一緒に学校に通えた!」


 千依はずっと、宗一にSOSを出していたのだ。

 それを宗一は、気付けなかった。

 どうして近所の幼馴染が、あの世話焼きで口うるさい千依が、不登校になった宗一の家に来なかったのか? 少し長い間、彼女と会ってなかった時期がある。周囲の大人がそっとしておけと言った、そう思ってた。

 だが、事実は違った。

 千依は一人で戦っていたのだ。

 最初は宗一のために……そして、自分を守るために。

 防御魔法が解除されると、片膝を突いていた真瑳里が立ち上がる。その声は静かな普段の彼女のもので、口調も穏やかだ。だが、巨漢の戦士は戦斧ハルバードを肩にかついで言葉を選ぶ。


「千依ちゃん、辛かったのね……でも、だからといってこんなことをしてはいけないわ」

「真瑳里さん、ですよね……どうして? だってゲームでしょ! 実際に死なないと思うもの! だったら、らしくらい……コイツ等も、逆らえず一方的になぶられる気持ち、思い知ればいいんだ!」


 ギロリと千依が睨むと、同級生達は縮こまって震える。

 そこにはもう、傲岸不遜ごうがんふそんないつもの余裕はなかった。

 それを一瞥いちべつして、真瑳里は溜息ためいきと共に言い放つ。


「だってゲームでしょ、ですって? そうよ……ゲームだからこそ、こんなことしちゃいけないの」

「ど、どうして」

「ゲームは遊び、趣味……娯楽なの。楽しむためのものなのよ? 千依ちゃん、目を覚まして……本当にその子達と戦いたいなら、それは現実で向き合わなきゃいけないわ」

「無理よ! ……宗一も、側にいてくれないし……大人達も、みんな」

「辛かったわね。なら、私達を頼って。無責任な人間だけが大人じゃないわ」


 だが、苦悩の表情で千依は絶叫を張り上げる。

 むちのようにしなる尾をひるがえして、彼女は宗一達へと襲いかかってくるのだった。

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