第27話「彼等を突き動かす少女、あいり」

 運動不足の肉体が嘘のように、はやく。

 これぞまさしく、風切る速さで走る。

 女騎士エンジュと化した阿南宗一アナミソウイチは、普段からは想像もつかぬ速度で町並みを疾駆しっくしていた。飛ぶようにせる……人々の戸惑いとなげきも、緑に沈む町並みも背後へ飛んで消える。


「身体が軽い……これが、ゲームの中での俺の、本当の力」


 普段、VRゴーグルを介して見る風景そのものだ。ゲームの中では宗一は、高レベルの女騎士だ。それなりにレアリティの高い武具を装備し、上級者として振る舞っている。当然、戦闘ともなれば疾風迅雷しっぷうじんらいの鋭い剣技で戦った。

 その力の全てを今、宗一は直接現実で感じている。

 AR……拡張現実オーグメンテッドリアリティの広がる東京は今、ハンティング・ファンタジアの世界そのものとなっていた。その中で何故なぜ、自分がゲームのキャラクターそのものの力を出せるのか?

 疑問は尽きないが、今は考えている暇がない。


「待ってろよ、あいり……お前を、助ける! 今度こそ!」


 彌勒寺ミロクジあいりは今、助けを求めている。

 宗一に救いを求めているのだ。

 そのことを思えば、この異変に沈む東京も怖くはない。不思議と、普段は感じられなかった勇気が湧いてくる。どうして? そのことも今は、考えない。

 感じるままに走り、その先で必ずあいりを助ける。

 決意も新たに、宗一はひたすらに走った。


「っと、そうくるかよ……だよな。いいぜ……今の俺はっ、女騎士エンジュ! 俺がっ、あいりの騎士ナイトなんだ!」


 眼の前に突然、地面から浮かび上がるようにモンスターの姿が現れた。

 剣と盾を構えたトカゲ人間、リザードマンだ。革鎧かわよろいを着込んで、左手の剣を突きつけ吼える。耳障りな絶叫に、長く赤い舌が揺れている。

 数は、三匹。

 ハンティング・ファンタジアの世界では、中堅クラスのモンスターだ。

 攻防に隙がなく、道具を使ったり仲間を呼んだりする。

 宗一は即座に剣を抜く。

 迂回うかいしているひまなどない。


「ゲームのようにやってみるっ! ……だけどこいつは、ゲームだけじゃない!」


 いつもは、コントローラーを操作すればウィンドウが視界に浮かんできた。その中から行動をいつも選んでいた。普通に戦うか、防御するかアイテムを使うか……もしくは、逃げるか。勿論もちろん、必殺のスキルをいくつか選べる。

 心に念じて視線をずらせば、やはりゲームのように空中にウィンドウが出現した。

 迷わず宗一は、視線で選択肢を決定した。


「いくぞっ、必殺!」


 身体が熱い。

 普段のゲームでさえ、味わったことがない興奮と高揚感。そして、その中で焦れてゆく緊張感が確かにあった。

 この戦いで自分が傷を受ければ、どうなる?

 もし負けたら、ゲームオーバーだけで済むだろうか?

 なにより、自分にSOSを送ってきたあいりはどうなる?

 答はこれから、自分で掴む。

 全ての結果を受け止める覚悟で、迷わず宗一はスキルを振るう。


「まずはこいつだっ……流星斬りゅうせいぎりっ!」


 軽やかに、そして鋭くうなる剣。

 女神の装飾を施されたロングソードが、ヒュンと歌って風を切り裂いた。

 流星斬りは、複数の相手を同時に攻撃する剣技スキルだ。利点としては、戦闘時間の短縮や、一網打尽いちもうだじんに片付けることで相手からの攻撃をさせないことがあげられる。やられるまえにやれ、これはどんなゲームでも基本だ。

 今は仲間のデルドリィードやバズンがいない。

 だが、誰もが最初は一人だった。

 自分からアクションを起こさねば、その先はないのだ。


「やったか……!」


 確かな手応えがあった。

 ゲームの時と同様、派手なエフェクトが輝きを空へと散りばめる。

 断末魔だんまつまの悲鳴と共に、リザードマンが一人、また一人と沈む。

 同時に、経験値とお金が取得された旨のメッセージが、空中を右から左へと流れていった。

 だが、最後の一匹がよろけながらも後ずさる。

 倒し損ねたリザードマンは、先ほどとは声色の違う叫びを迸らせた。ゲーム内でも散々聴いてきた、仲間を呼ぶ声だ。

 そして、宗一は思い出す。

 流星斬りという剣技スキルは、ヒットする度に威力が下がる。

 後ろにいるモンスターほど、ダメージが少なくなるのだ。

 どうやら三匹目には、十分な威力が伝わらなかったらしい。

 そして今、その隙をフォローしてくれる仲間はいない。

 そう思った、次の瞬間だった。


「わっはっは! 我が友エンジュよ! 相変わらずめが甘い……ならば! われの力を持って、援護する! 手を貸そうぞ!」

「やだ、デルってばノリノリじゃないの。とりあえず、あれいい? アタシがいただい、ちゃうわ、よっ!」


 手負いのリザードマンが、真っ二つに裂けた。

 それは、巨大な戦斧ハルバードが振るわれたから。一拍の間をおいて、豪刃ごうじんが引き連れる風が荒れ狂う。そこには、いかつい鎧姿の巨漢が立っていた。見上げるような巨躯、禿げ上がった頭の大男は、戦士のバズンだ。

 そう、宗一の仲間……四条真瑳里シジョウマサリが操るキャラクターだ。


「やっほ、エンジュ。元気? 平気よね、これくらい。さ、先に進むわよ」

「え……えと、真瑳里さん、ですよね?」

「そうよん? もち、今は熱血マッチョファイター、バズンなんだけど」

「ってことは」


 呼ばれて飛び出た、リザードマンの第二波が集まり出す。

 地面からゆらゆらと、立ち上る陽炎かげろうのような影が敵意をかたどった。

 その数、五匹……先程よりも多い。

 あわててファイティングポーズを取るが、宗一は自分が行動を終了していることに気付く。素早いキャラほど次の行動までの時間は短いが、このウェイト中の状態パッシブスキルしか使えない。

 パッシブスキルとは、一定の確率で自動発動する、言ってみれば保険のようなものだ。

 だが、宗一のターンは……はまだ、終わってはいなかった。


「ククク……トカゲ風情が! 見るがよい! かつて地を満たした、竜の眷属けんぞくの滅びの記憶を! 降り注ぐ星々の歌う夜を!」


 ノリノリでデルドリィードは、手にした長杖ロッドを天へと振りかざす。

 中性的な顔立ちの、ミステリアスな美少年魔導師……デルドリィード。山田三郎ヤマダサブロウが操るこのキャラクターは、宗一が知る限り最もレベルの高い魔導師である。

 勿論、そのテンションは普段の四割増で高く、絶頂である。


「アーッハッハッハ! 潰れろぉ! 奥義、ミィーティオ・フォールダウンッ!」


 降り注ぐ流星雨りゅうせいうが、あっという間に周囲を爆発エフェクトで埋め尽くした。

 ゲームと同様に周囲の建物、バズンやエンジュにダメージはない。

 あっけにとられる宗一の前で、リザードマンは次々と消えていった。とほうもないオーバーキルである。

 だが、恍惚こうこつの表情を浮かべるデルドリィードは、満足したように身震いしていた。


「ああ、快感……やばいな、AR空間! これぞ俺が求めていたゲーム!」

「ちょっと、デル? が出てるわよん?」

「おっといかん! ククク、バズン、そしてエンジュよ! 我がいるからには、大船に乗ったつもりでいてもらおうか! さあ、いざかん……あいりを助ける旅へ!」


 もはやテンション爆超ばくちょうな、デルドリィードだった。

 バズンは少しあきれ気味にかたすくめているが、その瞳には強い輝きが灯っている。

 そして、三郎と真瑳里の二人は、宗一に事情を説明してくれる。


「とりあえず、東京ユグドラシルでなにかあったみたいね……アタシも今朝、びっくりしたわよん? 突然、ゲーム内の世界にこの格好で放り込まれたんだもの」

「どうやら、ハンティング・ファンタジアのアカウントを持ってる者は、自動的に使用キャラになるようだな」


 他にも、デルドリィードは自分なりの考察と解釈を教えてくれた。

 どうやらバズンも、同じ見解のようである。


「ハンティング・ファンタジアのキャラクター、これは拡張現実の中で投影された立体映像だ。しかし、エンジュ……貴様もわかっているであろう? その肉体で感じる全てを」

「確かに……その、最初はスースーしてて、戸惑とまどったけど」

「この都内には、東京ユグドラシルを中心とした高度なネットワークが整備されている。街のそこかしこにある端末から、立体映像と一緒に光信号が発信されているのだ。それと恐らく、我々人間には聴こえぬ周波数の音もな」


 バズンは「漫画みたいよね」と笑っているが、否定の言葉を挟んでこない。

 つまり、こうしている状態でも宗一達は、高度なハッキングを受けているのだ。人間を含む動物、生物は命を持って生きている。同時に、脳からの電子的なパルスを神経に張り巡らせることで、その生命活動を行っているのだ。

 そこに違う信号を流し込まれると、肉体や感覚がハックされた状態になる。

 普段は使われていない、人間の潜在能力が顕現けんげんすることもあるだろう。


「ま、そんなことはどうでもいいわ。エンジュ……行くでしょ? 世界樹に」


 バズンがポン、と肩に手を置いた。

 宗一は迷わず、大きくうなずく。

 悲鳴が響いたのは、そんな時だった。

 即座に三人の勇者達は走り出す。


「我が友エンジュ……聴いたか? 悲鳴だ。一般人か、それともプレイヤーか」

「助けてる時間なんてあるのかしら? なんて言っても、ふふ……詮無せんないことよね」


 少し横道に逸れて、最短ルートを外れる。

 それでも、巨大な世界樹へと変貌してしまった東京ユグドラシルは、宗一の目にははっきりと見えていた。

 それは同時に、どこかであいりが宗一達の行動を、その選択を見ているような気がした。

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