第26話「暴走する力、あいり」
事実上の首だった。
だが、身から出た
それに、あいりの正体についての心の整理がまだだ。
「いきなり、母さんだって言われてもなあ……あ、いや、小さい頃の母さんの姿だって言われても」
あいりの正体は、
その容姿は、宗一の母である
そこから、なにかが狂い始めた。
いや、
宗一の父は、愛する妻を蘇らせたいという妄念に囚われた。そして、それは恭也に引き継がれ……あいりを生み出したのだ。
「……もう、考えてもしょうがないことだよな」
朝、規則正しく六時に起床した宗一。
あいりと接するようになって、自然と宗一の生活は健全化していたのだ。ちゃんと寝癖を直すようになったし、身だしなみにも気を使うようになった。
それは、あいりと会えなくなった今も同じだった。
朝食を軽くパンと牛乳で済まそうと思い、テレビを付ける。
朝のニュースは、今日の一大イベントで盛り上がっていた。
もうそんな日かと、宗一は驚く。
喪失感の中で無為に過ごしていたら、
『
レポーターは朝からテンションが高く、行列の人々へとインタビューを敢行する。
宗一は冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、それをぼんやりと見詰めていた。
『今朝は何時から並んでいるんですか?』
『夜の三時くらいからですね!』
『新たな東京のランドマークとなる施設ですが、初日の見どころはどんなところでしょうか?』
『やはり、都内全域をカバーする膨大な演算能力ですね。あとやっぱ、東京ユグドラシルの建設に合わせて、東京全土が各所に端末を増設してますから。もう、東京は世界一の
――東京ユグドラシル。
それが、東京都の
スマートフォンやタブレットの能力が飛躍的に向上するのだ。
東京ユグドラシル自体が巨大な量子コンピューターだという話もある。全員で共有するサーバとして機能し、その演算能力を借りることができるのだ。
「東京ユグドラシル、か……ん? あ、あいり!?」
テレビの奥で、リムジンから降りる一組の男女を宗一はめざとく見つけた。
それは、スーツ姿の恭也に連れられたあいりだ。見たこともないようなドレスを着せられ、彼女は少し落ち着かなそうだ。チラリとマスコミのカメラを見て、それを通して部屋のリビングにいる宗一と目が合う。
彼女がなにを言いたかったのか、なにを伝えたかったのか……それはわからない。
だが、あいりは恭也にエスコートされ、警備員に守られながら消えていった。
「……そう言えば、あいりは東京ユグドラシルとリンクできるって言ってたな。つまり、あいりの持ってたデバイスは……あいり本人、あいりそのものだったってことか」
右手に光る、レンズのようなデバイス。
それは、あいりの手の甲に直接浮き出ていた。
ロボットであるあいりの、唯一人間とは違う点だったのだ。それすら彼女は、手袋のような布地で『デバイスを装着している』ように見せていた。
自分をハッキングし、人間と思い込んでいるロボット。
本来は宗一の母、愛衣の人格が蘇る
では、あいりはどこから来たのか?
開発者達から『
「ま、考えても
胸の奥がざわつく。
まるで、冷たい
宗一はもう、否定できなかった。
あいりのことが気になる……会えなくて寂しいし、会いたい。
会ってどうするかまでは考えられないが、会ったらなにか言葉が出てくる気がするのだ。それは謝罪かも知れないし、もっと違う言葉かもしれない。
そう思っていると、ふとテーブルの上に異変を見つける。
瞬間、彼は思わず驚き飛び退いてしまった。
そのまま背後のソファへと、よたよたとへたりこんでしまう。
「なっ……あいり!? あいりなのか、お前っ!」
テーブルの上に今、小さなあいりの姿があった。
あの時と……オフ会であいりがさらわれた時と同じだ。違うのは、小さな小さなあいりの格好だ。今のあいりは、背に四枚の透明な羽が生えている。薄布を
そういえば、ハンティング・ファンタジアにこんなキャラクターがあった気がする。
NPC、いわゆる
「あいり……どうしたんだ、あいりっ!」
小さなあいりは、ただじっと宗一を見詰めてくる。
この状態では
恐らく、データを圧縮して最小限の容量で飛ばしているからだろう。これを出す時のあいりは、それくらい余裕のない状況に陥っているのだ。
先日の事件の時も、そうだった。
だが、ふわりと妖精のあいりが浮かび上がる。
時々、ノイズが混じって立体映像がぼやける。どこか逼迫した表情のあいりは、全身が透けて向こう側が見えていた。以前見た時以上に、少ないリソースで送られてきたことは明らかだ。
今、あいりは限られたリソース、それもほんの
「あいり、俺はなにをしたらいい? 俺になにができる! ……お前のために、なんでもしたいんだ!」
早朝の部屋で、宗一は叫んだ。
その声に呼応するように、あいりも小さく
だが、消えゆくあいりは徐々に薄らいで、その手足がモザイク模様の点滅に
だが、異変は以外な場所から響き渡った。
それは悲鳴、そして絶叫だった。
『ああっと、これは……? なんでしょう、予定にはありません! 予定にはないことです! ……東京ユグドラシルが、ああ……!』
女性レポーターが取り乱して叫ぶ。
すぐに宗一は、あいりの向こうで揺れるテレビの画面に見入った。
そして、ありえない光景に目を疑う。
そこには、徐々に
「なっ……これは!? そうか……あいり、お前が来たのはこのことなんだな!」
テレビの中にはもう、巨大なタワーの姿はなかった。
広がる立体映像が、AR……
ざわめく周囲の声を吸い込み、異変は広がっていった。
今、そびえ立つ東京ユグドラシルの姿は……文字通り、巨大な世界樹に変わっていた。巨大な枝が大きく広がり、青々と葉が
そして、異変はそれだけではなかった。
すぐに周囲も、森へと覆われてゆく。
立体映像の植物が、爆発的な速度で都心を飲み込んでいった。
「あいり、お前がやってるのか? ……違う、よな。なら!」
パニックになったレポーターは、最後にモンスターに襲われて消えた。
画面が何度か揺れたあと、中継は止まった。お決まりの文句がテロップで並び、白々しい大自然の映像が張り付けられる。だが、その向こうで東京を異変が襲った。あっという間にARの世界が広がり、その中で再現されているのは、間違いない……それは。
「ハンティング・ファンタジア……くっ、こうしてはいられない!」
部屋を飛び出そうとする宗一を、光が包んだ。
最後に妖精のあいりは、弱々しく
その最後の輝きが、宗一の姿を変えてゆく。その意味は、言葉を介さなくても宗一にははっきりと感じられた。
そこには今、異世界を冒険する女騎士、エンジュの姿になった自分がいた。
腰の剣がガチャガチャと鳴って、風切る冷たさを露出した肌が感じる。
とても拡張現実、作り物の立体映像だけだとは思えない。
アパートを出ると、町並みも一変していた。
「交通機関は……無理、だよな。なら、行くしかない!」
緑に覆われた周囲は今、文明の崩壊した遺跡のように広がる。廃墟のテクスチャを張られた家々は、どの玄関にも
迷わず宗一は、遠くへ見える巨大な世界樹へと向かって走り出した。
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