第26話「暴走する力、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチはまんじりともせずに、あれから一週間を過ごしてしまった。

 彌勒寺ミロクジあいりの家庭教師は、閉店休業のままで終わってしまった。父親である彌勒寺恭也ミロクジキョウヤからメールがあったのだ。やんわりと、新しいアルバイトを探しておくと言われたのだ。

 事実上の首だった。

 だが、身から出たさびでもある。

 それに、あいりの正体についての心の整理がまだだ。


「いきなり、母さんだって言われてもなあ……あ、いや、小さい頃の母さんの姿だって言われても」


 あいりの正体は、A.I.R.アイリ……人工知能を乗せたロボットArtificial.Intelligence.Robot.である。

 その容姿は、宗一の母である彌勒寺愛衣ミロクジアイの少女時代を再現している。愛衣は彌勒寺家のための政略結婚よりも、宗一の父との恋愛結婚を選んだ。その後苦労を重ねたが、やや高齢になってから宗一を出産。もともと身体の弱かった愛衣は、病気もあって他界してしまう。

 そこから、なにかが狂い始めた。

 いや、叔父おじである恭也が最初からおかしかったのかもしれない。

 宗一の父は、愛する妻を蘇らせたいという妄念に囚われた。そして、それは恭也に引き継がれ……あいりを生み出したのだ。


「……もう、考えてもしょうがないことだよな」


 朝、規則正しく六時に起床した宗一。

 あいりと接するようになって、自然と宗一の生活は健全化していたのだ。ちゃんと寝癖を直すようになったし、身だしなみにも気を使うようになった。

 それは、あいりと会えなくなった今も同じだった。

 朝食を軽くパンと牛乳で済まそうと思い、テレビを付ける。

 朝のニュースは、今日の一大イベントで盛り上がっていた。

 もうそんな日かと、宗一は驚く。

 喪失感の中で無為に過ごしていたら、すでに季節は梅雨入つゆいり前の過ごしやすい時期を迎えていたのだ。初夏とさえ思えるような日差しが、朝からレポーターを照らしている。


御覧ごらんください! 式典を前に、東京ユグドラシル前には行列ができています。今日の完成式典と一般公開を控えて――』


 レポーターは朝からテンションが高く、行列の人々へとインタビューを敢行する。

 宗一は冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、それをぼんやりと見詰めていた。


『今朝は何時から並んでいるんですか?』

『夜の三時くらいからですね!』

『新たな東京のランドマークとなる施設ですが、初日の見どころはどんなところでしょうか?』

『やはり、都内全域をカバーする膨大な演算能力ですね。あとやっぱ、東京ユグドラシルの建設に合わせて、東京全土が各所に端末を増設してますから。もう、東京は世界一の電脳都市サイバータウンですよ!』


 ――東京ユグドラシル。

 それが、東京都の次世代都市構想じせだいとしこうそうもとづいて建設された、巨大な首都圏全域情報可視化制御構造体しゅとけんぜんいきじょうほうかしかせいぎょこうぞうたいの名称だ。各種代理店を通じて契約すれば、都内の誰もが東京ユグドラシルの力を借りることができる。

 スマートフォンやタブレットの能力が飛躍的に向上するのだ。

 東京ユグドラシル自体が巨大な量子コンピューターだという話もある。全員で共有するサーバとして機能し、その演算能力を借りることができるのだ。


「東京ユグドラシル、か……ん? あ、あいり!?」


 テレビの奥で、リムジンから降りる一組の男女を宗一はめざとく見つけた。

 それは、スーツ姿の恭也に連れられたあいりだ。見たこともないようなドレスを着せられ、彼女は少し落ち着かなそうだ。チラリとマスコミのカメラを見て、それを通して部屋のリビングにいる宗一と目が合う。

 わずか一秒にも満たぬ間、まるでカメラの向こうの宗一に訴えてくるような視線だった。

 彼女がなにを言いたかったのか、なにを伝えたかったのか……それはわからない。

 だが、あいりは恭也にエスコートされ、警備員に守られながら消えていった。


「……そう言えば、あいりは東京ユグドラシルとリンクできるって言ってたな。つまり、あいりの持ってたデバイスは……あいり本人、あいりそのものだったってことか」


 右手に光る、レンズのようなデバイス。

 それは、あいりの手の甲に直接浮き出ていた。

 ロボットであるあいりの、唯一人間とは違う点だったのだ。それすら彼女は、手袋のような布地で『デバイスを装着している』ように見せていた。

 自分をハッキングし、人間と思い込んでいるロボット。

 本来は宗一の母、愛衣の人格が蘇るはずだった。

 では、あいりはどこから来たのか?

 開発者達から『愛衣裏アイリ』と呼ばれる、今の彼女の人格とは?


「ま、考えても詮無せんないことだ。けど、なんだ……妙な胸騒ぎが」


 胸の奥がざわつく。

 まるで、冷たいきりが広がってゆくような感覚だ。その白い闇の向こうに、どんどんあいりへの想いが消えてゆく。

 宗一はもう、否定できなかった。

 あいりのことが気になる……会えなくて寂しいし、会いたい。

 会ってどうするかまでは考えられないが、会ったらなにか言葉が出てくる気がするのだ。それは謝罪かも知れないし、もっと違う言葉かもしれない。

 そう思っていると、ふとテーブルの上に異変を見つける。

 瞬間、彼は思わず驚き飛び退いてしまった。

 そのまま背後のソファへと、よたよたとへたりこんでしまう。


「なっ……あいり!? あいりなのか、お前っ!」


 姿

 あの時と……オフ会であいりがさらわれた時と同じだ。違うのは、小さな小さなあいりの格好だ。今のあいりは、背に四枚の透明な羽が生えている。薄布をまとった、それは妖精のようだ。

 そういえば、ハンティング・ファンタジアにこんなキャラクターがあった気がする。

 NPC、いわゆるNon Player Characterノンプレイヤーキャラクター、ゲームの進行のために配置された脇役わきやくのことである。その姿を借りてはいるが、可憐かれんな表情を悲しげに曇らせた顔は、間違いなくあいりだった。


「あいり……どうしたんだ、あいりっ!」


 小さなあいりは、ただじっと宗一を見詰めてくる。

 この状態ではしゃべることができないのだ。

 恐らく、データを圧縮して最小限の容量で飛ばしているからだろう。これを出す時のあいりは、それくらい余裕のない状況に陥っているのだ。

 先日の事件の時も、そうだった。

 だが、ふわりと妖精のあいりが浮かび上がる。

 時々、ノイズが混じって立体映像がぼやける。どこか逼迫した表情のあいりは、全身が透けて向こう側が見えていた。以前見た時以上に、少ないリソースで送られてきたことは明らかだ。

 今、あいりは限られたリソース、それもほんのわずかな力しか使えない状態にあるのだ。


「あいり、俺はなにをしたらいい? 俺になにができる! ……お前のために、なんでもしたいんだ!」


 早朝の部屋で、宗一は叫んだ。

 その声に呼応するように、あいりも小さくうなずく。

 だが、消えゆくあいりは徐々に薄らいで、その手足がモザイク模様の点滅にむしばまれ始めた。もうすぐ消えてしまう……どこかから投影されている立体映像だが、その投影元である機器をこれ以上、あいりはハッキングして掌握することができないのだ。

 だが、異変は以外な場所から響き渡った。

 それは悲鳴、そして絶叫だった。


『ああっと、これは……? なんでしょう、予定にはありません! 予定にはないことです! ……東京ユグドラシルが、ああ……!』


 女性レポーターが取り乱して叫ぶ。

 すぐに宗一は、あいりの向こうで揺れるテレビの画面に見入った。

 そして、ありえない光景に目を疑う。

 そこには、徐々に変貌へんぼうしてゆく東京ユグドラシルの姿があった。


「なっ……これは!? そうか……あいり、お前が来たのはこのことなんだな!」


 テレビの中にはもう、巨大なタワーの姿はなかった。

 広がる立体映像が、AR……拡張現実オーグメンテッドリアリティとなって全てを平らげてゆく。

 ざわめく周囲の声を吸い込み、異変は広がっていった。

 今、そびえ立つ東京ユグドラシルの姿は……。巨大な枝が大きく広がり、青々と葉がしげる。その根本のみきこずえも、直線で構成された被造物の姿をかき消してしまった。

 そして、異変はそれだけではなかった。

 すぐに周囲も、森へと覆われてゆく。

 立体映像の植物が、爆発的な速度で都心を飲み込んでいった。


「あいり、お前がやってるのか? ……違う、よな。なら!」


 パニックになったレポーターは、最後にモンスターに襲われて消えた。

 画面が何度か揺れたあと、中継は止まった。お決まりの文句がテロップで並び、白々しい大自然の映像が張り付けられる。だが、その向こうで東京を異変が襲った。あっという間にARの世界が広がり、その中で再現されているのは、間違いない……それは。


「ハンティング・ファンタジア……くっ、こうしてはいられない!」


 部屋を飛び出そうとする宗一を、光が包んだ。

 最後に妖精のあいりは、弱々しく微笑ほほえんで消える。

 その最後の輝きが、宗一の姿を変えてゆく。その意味は、言葉を介さなくても宗一にははっきりと感じられた。

 そこには今、異世界を冒険する女騎士、エンジュの姿になった自分がいた。

 咄嗟とっさに宗一は、水着姿にも等しい格好で部屋を飛び出る。

 腰の剣がガチャガチャと鳴って、風切る冷たさを露出した肌が感じる。

 とても拡張現実、作り物の立体映像だけだとは思えない。

 アパートを出ると、町並みも一変していた。


「交通機関は……無理、だよな。なら、行くしかない!」


 緑に覆われた周囲は今、文明の崩壊した遺跡のように広がる。廃墟のテクスチャを張られた家々は、どの玄関にも呆然ぼうぜんたたずむ人の姿が確認できた。皆、ハンティング・ファンタジアの村人や町人の格好をしている。

 迷わず宗一は、遠くへ見える巨大な世界樹へと向かって走り出した。

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