第25話「もう会えない娘、あいり」

 その日、彌勒寺ミロクジあいりは最後までずっと笑顔だった。

 そして、それが阿南宗一アナミソウイチの見た最後の姿になった。

 部屋中に広がるAR……拡張現実オーグメンテッドリアリティの異世界、ハンティング・ファンタジア。その中で宗一は、あいりと最後まで楽しく過ごし、そして別れた。

 もう会えない……そう言ってあいりは頭を下げた。

 ごめんなさい、そう謝ってうるんだひとみではにかんだのだった。

 父親が……彌勒寺恭也ミロクジキョウヤが、東京ユグドラシルの最終調整のためにあいりを必要としている。忙しくなるから、もう会えないというのだ。


「なるほどね。ま、そゆこともあるわよ。むしろ、最後に会えてよかったじゃない」


 週末、都心のとあるカフェ。

 久々に現実で会ったネットゲームの仲間、四条真瑳里シジョウマサリはドライだった。変に同情せず、慰めてもこないのがありがたい。

 そして、宗一は自分の迂闊うかつさが原因だと、痛いほどにわかっていた。

 あいりを守れなかった……その身体をギリギリのところで助けたが、もう彼女の心は救えない。これからずっと、あいりは恐ろしい体験を記憶の底に沈めて生きねばならないのだ。

 彼女はあの日のことを、覚えていないという。

 だが、宗一は決して忘れない。

 例えあいりが人間ではなくても、許されない。


「……これでよかったのかもしれません。俺といると、なにかのはずみで記憶が戻るかもしれないし。覚えてないならもう、そっとしておいたほうが」

「そうね。楽観できるような事件じゃなかったから、もし記憶のリフレインが考えられるのなら……その可能性が小さくても、わざわいのんでおくのがいいかもしれないわ。でもね、宗一君」


 日当たりのいいテラス席で、真瑳里は優しげに目を細める。

 そうして彼女は、冷めかけたコーヒーでくちびるらして言葉を続けた。


「それであいりちゃんがよくても、宗一君がよくても……忘れないでほしいことがあるの」

「は、はい」

「それはよ。なにも間違っていない。でも……は他にあるわ。もしそれが見つかったら、その時は迷わないで頂戴ちょうだい。いい? これ、お姉さんとの約束よん?」

「ベストな答……」


 例えば、家から出なければ交通事故には合わない。

 宝くじを買わなければ、外れて大損することもないのだ。

 だから、あいりと接触をって、二人は別々の人生、それぞれの生き方に進んでゆく。それは周囲へも説得力を持つ結末で、誰もが当然と思うだろう。

 悪くはない選択だ。

 しかし、真瑳里はベストではないという。

 その言葉を受け取る宗一自身、これでよかったと自分へ言い聞かせるのに必死だ。

 そして、同じテーブルを囲む山田三郎ヤマダサブロウも優しい声をかけてくれる。


「我も気持ちは同じだ……エンジュ。いや、宗一よ。その時が来たら、迷うな……まだあいりに伝えていないこと、あいりと過ごしたい時間があるならな」

「山田さん」

「ほっ、本名で呼ぶんじゃねえよ! あ……ゴホン! 我の名は大魔導師だいまどうしデルドリィード! 我が友のためならば、一肌でも二肌でも脱ぐ所存しょぞん! それはバズンも同じよ!」


 宗一はいい友達に恵まれた。

 ゲームの中の仲間、大魔導師デルドリィードと戦士バズン。そして、そのキャラクターとはかけ離れた現実で生きている、二人のプレイヤー。

 そして、宗一にとってかけがえのない人間は、二人だけではなかった。

 先程まで一生懸命パフェを食べていた水瀬千依ミナセチヨリが声をあげる。


「ま、宗一! 相談ならアタシが乗ってあげるし! ……元気出しなよ」

「ありがとな、千依」

「べ、別にぃ? 腐れ縁ってか、アタシがいないとアンタ、てんでダメダメだから」

「だな」


 ほおを赤らめ、千依は目を逸らした。

 何故なぜ彼女がいるかというと、あいりと別れたあの日……彼女もAR空間のハンティング・ファンタジアにいたのだ。勿論もちろん、真瑳里や三郎といった普通のプレイヤーから見ると、せいぜい『宗一と千依、そしてあいりが現実で同じ部屋にいる』程度の認識だっただろう。

 だが、三人はアパートの一室で本当の異世界を遊んでいたのだった。

 そして、千依はどうやらハンティング・ファンタジアが気に入ったらしい。

 そのことで、思い出したように三郎が口を挟んでくる。


「そういえば、宗一……あの日、あいりや千依と一緒にAR空間でハンティング・ファンタジアをプレイしたそうだな」

「あ、はい。えっと……すみません、ずっと秘密にしてたんですけど、あいりにはそういう力があるんです。正確には、あいりが持ってるデバイスに」


 アイリの右手に光る、レンズのようなデバイス。

 あれは本当に、アイリが装着している外部端末なのだろうか?

 むしろ、全裸になった時も手の甲に張り付いていた。布で手袋のように固定されているのかと思いきや、レンズの部分が直接肌から生えてきてるようにも見えた。

 そして、思い出す。

 東京ユグドラシルとセットで開発された、A.I.R.アイリ……ロボットのあいり。

 宗一の母、彌勒寺愛衣ミロクイアイを再現しようとして造られた、機械なのだ。

 その力は、ネットが普及した現代社会においては、神にも等しいものである。


うらやましい……羨ましいぞ、我が友よ!」

「な、なんですか、山田さん」

「我も、AR空間でハンティング・ファンタジアがしたい……ゲーマーとして、単純に羨ましい」

「け、結構疲れますよ? 独特なコンソールでしたし。あ、でもそのへんはあいりが調整してくれてて、プレイには全然支障がなくて」


 普段はVRゴーグルを装着し、コントローラーを持ってプレイする。

 だが、AR空間に再構成されたハンティング・ファンタジアの世界では、本当に動いて行動する必要がある。ただ、今まで通りにウィンドウを呼び出して装備変更やアイテムの使用が可能だ。

 念じて手をかざすだけで、見慣れたゲーム画面のウィンドウが現れる。

 どういう仕組なのかはさっぱりだが、あいりは説明してはくれなかった。

 あいりとの最後の思い出は、あまりにも楽しくて刺激的で、可能性に満ちたゲームだった。そのことを思い出せば、やはり彼女のおっとりとした呑気な表情が脳裏に浮かぶ。

 それを追い払おうとしていると、千依がパフェを完食して声を張り上げる。


「そんなことよりっ! お二人は、宗一とどういう関係ですか! こんな美人な人が二人も……えっと、こないだ一緒にゲームした人、ですよね?」

「そうよん? アタシは戦士バズンのプレイヤー、四条真瑳里。気軽に真瑳里って呼んでね? 宗一君も、いい? 四条さんだなんて、少し他人行儀たにんぎょうぎ過ぎるわ」

「我も同じく……だが、この現世うつしよでもたたえて呼ぶがいい! 大魔導師デルドリィードと! 仮初かりそめの名など、この胸に封じて沈めた。あと、


 千依は一瞬「えっ!?」と芽を丸くした。

 呼吸も忘れたように固まってから、一拍遅れて絶叫を迸らせる。


「ええええっ! 山田さんて男なんですかっ!? やだ、嘘……あ、でも確かに胸がない!」

「性別など些末さまつなことよ……これもまた、ゲームの醍醐味だいごみ

「……とりあえずじゃあ、山田さんは除外してもいいってことよね」

「ん? なにか言ったか? 千依よ。まあ、驚くのもわかるが、我にも趣味と事情がある。不快に思ったら、許せとは言わぬが……まあ、世の中そういう人間もいると思ってほしいぞ」


 クスリと真瑳里も笑った。

 その余裕をたたえた表情に、千依が何故か眉根まゆねをひそめる。

 なにがなんだか、宗一には訳がわからない。

 だが、そんな彼を他所に、真瑳里はこれからのことを話し始めた。

 あいりが去って、これまでのことに一区切りついたのだ。傷心の宗一もまた、これからも痛みを抱えて前に進むしかない。そういう意思や決意とは裏腹に、日は沈んでまた昇る。星はめぐって季節が変わり、どんどん時間は過ぎてゆくのだ。

 その時間だけが解決できることもある、今はそう信じるしかない。


「それで、千依ちゃん、だったわよね?」

「は、はいっ! あの……アタシもあのゲーム、始めました! すっごく面白くて……できれば、これから宗一ともども、よろしくお願いしますっ!」

「ふふ、それは大歓迎よん? 別れがあれば出会いもある、そこがネットゲームのいいところですもの」


 どうやら千依は、本気でハンティング・ファンタジアを始めるつもりらしい。

 だが、次の一言が宗一のささくれだった心に突き刺さった。


「実はアタシもちょっと……その、。でもっ、皆さんと楽しく遊べたら、むしろそっちの方がラッキーかなって。……宗一とも一緒だし」

「まあ! ……ねえ、千依ちゃん。老婆心ろうばしんで忠告するわ。ちょっとウザいかもしれないけど……それは駄目よ? ゲームって、やるべきことをやってる人間が趣味でやるものだから」


 思わず鼻白はなじろんだ千依に、デルドリィードも語りかける。

 彼は珍しく、の自分、山田三郎として言葉を選んでいた。


「俺もそう思うぞ、千依。学校に行きたくないならいい、宗一だって行ってない。俺達はゲームの仲間だから、ゲームを通じてしかわかりあえないし、その外側も内側も基本的に不干渉だ」

「じゃあ、なんで……」

「ゲームは、なにかが嫌で逃げ込むものじゃないのさ。なにかで疲れた、なにかを達成した……そして、なにかを得たい、勝ち取りたい。そういう、ゲームそのものを求める姿勢があるほうが、楽しめる」

「……お説教、ですか」


 宗一は珍しく真面目な二人に驚いた。

 だが、千依は助けを求めるように宗一を振り返る。


「アタシだって、宗一の側にいたいし! 学校行くより、そっちの方が大事……ほ、ほらっ! あのあいりって、もういないんでしょ? だから――」

「あいりはあいり、千依は千依だろ……あいりのわりなんて、どこにもいない」


 思わず言葉がとがってしまった。

 無遠慮に宗一の声が、千依を刺し貫く。

 真瑳里が「宗一君」と、たしなめるように口を開いた。

 だが、宗一は頭の奥がチリチリと熱くて、静かなる激情が押さえられない。


「学校に行かない……行けない俺から見るとな、千依。お前みたいにちゃんとしてる奴は、すげえんだよ。でも、俺を言い訳にそれを、俺のできないことを辞めないでほしいんだ」

「……なによ。なんでそんなこと言うの? 偉そうじゃない! 宗一のくせに!」

「春からずっと、あいりの面倒を見てて……思ったよ。まだまだ俺等、子供だってさ。でも、俺等は大人になれるし、ならなきゃいけない。あいりにはできないことが、俺達にはできるんだ」

「また、あいり! あの娘、なんなのよ! もうっ!」


 椅子を蹴って立ち上がった千依は、千円札をバン! とテーブルに置いて去った。

 呼び止めようとする三郎を、そっと真瑳里が手で制する。

 宗一は動けなかった……本音の本心だったし、それを千依にぶつけていい自分じゃないことも知ってる。だが、宗一も千依も生きてる。年を重ねて大人になるし、子供でいていい時間を消費する中で許されてる。

 あの少女は……あいりはそれがない。ロボットだから。

 どんよりとよどんだ空気の中、宗一はひざの上で握るこぶしに力を込めるしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る