第24話「去ってゆく少女、あいり」
玄関には意外な人物が立っていた。
ベレー
めかしこんだ
落ちそうになるベレー帽を手で抑えて、彼女はいつものぽややんとした笑顔を見せてくれた。だが、
「お、おう……お、おはよう。えっと、あいり?」
「はいっ」
「……
「なんか、父様がもういいって言うので。知ってますかぁ? わたし、眼鏡を取ると
知ってた。
初めて
そして、宗一は思い出す。
彼女は人工知能を搭載した自律型のロボットで、それを造らせたのは父親の
そんなことを考えていると、宗一の隣で耳に痛い声が子犬のように叫んだ。
「ちょっと! なによアンタ、なにしに来たのよ!」
「あっ、千依ちゃん。おはようございまぁす。エヘヘ、先輩に会いに来ちゃいました」
「なんでよ、宗一になんの用なの!?」
「それは……秘密、です。あ、これケーキですぅ。おじゃましまーす」
「勝手に上がらないでよ!」
千依も先程、勝手に上がり込んできたのだが。
そんな自分を
あいりは物珍しそうにアパートの部屋を見渡しながら、小さなソファとテーブルのあるリビングに入っていく。
その背を
「
「や、宗一君。元気にしてたかい? 千依ちゃんも、久しぶりだね」
メイド長の
彼女達二人は、どうやらお目付け役のようだ。
当然だ、あれだけの問題を起こした宗一の元に、あのあいりが自ら出向くのである。今は千依の存在もあって、二人きりでも三人だけでもないのがありがたい。
「ど、ども、ご
宗一は改めて、二人に頭を下げる。
華梨はなにも言わなかったが、要は笑って頭をポンポン
長身の二人に
「わたくし、その件に関しては……まあ、
「そゆこと。でも、へぇ……男の子の一人暮らしにしちゃ、綺麗にしてるね」
「……ですが、御嬢様が滞在する場所としては不適当です! 阿南先生、失礼させていただきますわ。まずはお茶、そして掃除をしなければいけません」
「はは、華梨は万事徹底してるからね。僕もお邪魔するよ」
一気に室内が華やかになった。
既にあいりは、ソファで千依とゲームのVRゴーグルを手にしている。
急いでお茶の準備をと思ったが、華梨に台所を追い出されてしまった。
改めてリビングに戻ると、そこには元気そうないつものアイリがいた。
「先輩っ、いつもここでゲームしてるんですねぇ。ふふ、小さくてかわいいお部屋ですっ」
「ちょっと? ごくごく一般的な庶民のアパートなんだけど? やだやだ、これだから御嬢様は」
「千依ちゃん、ケーキどれにしますか? わたしはチーズケーキとモンブランで迷ってます。あ、要さんはチョコレートのやつがすきなんですよぉ」
「話を聞きなさいよっ!」
あんなことがあったあとだと、とても思えない。
だが、あいりはソファの上で振り返ると、背もたれに手をついて身を乗り出してくる。
「あのっ、先輩っ!」
「あ、ああ」
「こないだ、ありがとうございましたっ。先輩が助けてくれたって……わたし、うかつ? だったかも、しれません。悪い人だなんて思わなくて、先輩もあとから来るって」
悪い人間は、悪そうな顔と格好では近付いてこない。
よく「
危険なのは、とても優しく人当たりのいい不審者だ。
一見して不審だと思えない人間こそが、一番危険なのである。
そう結論付けねばならないこの世の中に、
「いや、謝るのは俺の方だ……ごめんな、あいり。怖かっただろ」
「怖かったんだと、思います。よく、覚えてなくて……でも、父様から聞きました。宗一先輩が助けてくれた、って」
「……どっちかっていうと、逆かな。助けにいった俺はやられちゃって、あいりに助けられたんだ。……覚えて、ないのか?」
無言であいりは大きく
だが、再びソファに座り直すと、VRゴーグルを
ゲーム機にセットすれば、ディスクがシーク音と共に回転を始める。
そのまま彼女は、立ち上がった。
やはり、その右手にレンズのようなデバイスが光っている。
もう、手の甲に直接張り付いていることを彼女は隠しもしなかった。
奇妙な胸騒ぎが宗一の心を過る。
「先輩っ、ゲームして遊びましょうっ!」
「あ、ああ……うん、そうだな。……ハンティング・ファンタジア、一人でしかできないぞ?」
「大丈夫ですよっ、わたしのアカウントもありますし……ちょっと、いじりますねぇ」
あいりの右手が輝く。
広がる光が、あっという間に室内を塗り替えていった。
見守っていた要も、思わず驚き口笛を吹く。
文字通り、世界が広がっていく。
壁も天井も消えて、そこから先は……大いなる冒険の舞台、ハンティング・ファンタジアの世界になった。間違いない、周囲を歩く冒険者達もいる。見慣れたこの場所は、スタート地点であるギルドカウンター前だ。
驚く宗一を肩越しに振り返り、そっとあいりはVRゴーグルを外した。
「わたし、こういうことできるみたいですっ。さ、先輩っ! 今日はおもいっきり遊びましょう! 千依ちゃんにはわたしが、大先輩としていろいろ教えてあげますねぇ」
千依も驚きのあまり、
だが、宗一はようやく理解し呟いた。
「AR……
「はいっ」
「……やっぱり凄いな、あいりは」
「エヘヘ、
すっ、とあいりが手を向けると、宗一の身体も光に包まれた。
その姿は、見慣れた
女騎士エンジュに、あっというまに宗一の外観は変わってしまった。それを見て、千依が両目を手で覆う。彼女は指の隙間からガン見しながら、悲鳴を張り上げた。
「ちょ、ちょっと宗一っ! アンタ、なんて格好してるのよ! それに……女ぁ!?」
「先輩のエンジュは、このえっちぃ鎧は結構強いんですよ? それなりにレアアイテムなんです。でも、そろそろ新しいのが欲しいですよねっ」
「ちょっと、アンタまでなに着替えてるのよ!」
「私は
要が「僕は遠慮するよ」と笑う中、あいりが光を振りまく。
あっという間に千依は、ボンテージ風な衣装の
だが、あいりは構わずマイペースにゲームを進める。
「先輩をAR空間の中心に設定してますっ。歩いてみてください。ギルドカウンターでクエストを受注するんですっ」
「あ、ああ」
今、宗一は現実では自分の家にいる。
眼の前には、ソファとテーブルが有る。
だが、いくら歩いてもぶつかる気配はなかった。どうやら、宗一自体にもあいりの力が作用しているらしい。あいりは、視認不能な特殊信号をデバイスから発していると説明してくれた。
つまり、宗一は精神や感覚をあいりにハッキングされているのだ。
自分すらハッキングして人間だと思い込む、あいりの力に改めて
でも、そんなことより……あいりがいつも通り元気で嬉しかった。
「あっ、デルドリィードさんとバズンさんもログインしてますねっ。メールしてみましょう」
「ああ、そうだな……千依も一緒だから、今日は簡単なクエストでいいか? あいりくらいのレベルになると、その……ちょっと歯ごたえないかもだけど」
「先輩っ、大丈夫ですっ! わたし、千依ちゃんを守ります。武器と防具もちょっとグレード落としますし……一緒に頑張りたいですっ!」
頷く宗一は既に、ゲームの中のエンジュそのものだった。そして、データ転送で飛んできたデルドリィードやバズンも、先ほどと同じように目の前にいる。
違うのは、VRゴーグルで一人しか見えなかった世界が、この場の全員に共有されてること。
奇妙な興奮の中で、宗一の心が晴れやかになっていく。
その言葉を聞くまで、失われた日常が戻ってきたと感じていた。
「じゃあ、先輩……行きましょうっ! 最後だから……いーっぱい、楽しみましょうねっ!」
あいりの笑顔は、無理に笑った
失われたものはまだ、失われ続けている……完全になくなるまで、どんどん
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