第24話「去ってゆく少女、あいり」

 玄関には意外な人物が立っていた。

 ベレーぼうにブレザー、そしてプリーツスカート……まるで余所行よそいきのオシャレだ。

 めかしこんだ彌勒寺ミロクジあいりが「おはようございますっ」と頭を下げる。

 落ちそうになるベレー帽を手で抑えて、彼女はいつものぽややんとした笑顔を見せてくれた。だが、阿南宗一アナミソウイチおどろきで固まってしまう。


「お、おう……お、おはよう。えっと、あいり?」

「はいっ」

「……眼鏡めがねはやめたのか?」

「なんか、父様がもういいって言うので。知ってますかぁ? わたし、眼鏡を取るとひとみの色が変わるんですっ」


 知ってた。

 初めて翠色みどりいろの瞳を見た時は驚いた。

 そして、宗一は思い出す。

 彼女は人工知能を搭載した自律型のロボットで、それを造らせたのは父親の彌勒寺恭也ミロクジキョウヤだ。その彼が、カモフラージュのためにかけさせた伊達眼鏡だてめがね……それがもう、いらないというのはどういうことだろうか?

 そんなことを考えていると、宗一の隣で耳に痛い声が子犬のように叫んだ。

 幼馴染おさななじみ水瀬千依みなせちよりが噛み付いたのだ。


「ちょっと! なによアンタ、なにしに来たのよ!」

「あっ、千依ちゃん。おはようございまぁす。エヘヘ、先輩に会いに来ちゃいました」

「なんでよ、宗一になんの用なの!?」

「それは……秘密、です。あ、これケーキですぅ。おじゃましまーす」

「勝手に上がらないでよ!」


 千依も先程、勝手に上がり込んできたのだが。

 そんな自分をたなに上げつつ、千依はケーキの小箱こばこを受け取った。

 あいりは物珍しそうにアパートの部屋を見渡しながら、小さなソファとテーブルのあるリビングに入っていく。

 その背を呆気あっけにとられて見送っていると、不意に上から声が降ってきた。


勿論もちろん、わたくしどももいます。御嬢様おじょうさま一人ででなんて、危険きわまりないですもの」

「や、宗一君。元気にしてたかい? 千依ちゃんも、久しぶりだね」


 メイド長の小鳥遊華梨タカナシカリンと、御屋敷付きの運転手の仁科要ニシナカナメだ。

 彼女達二人は、どうやらお目付け役のようだ。

 当然だ、あれだけの問題を起こした宗一の元に、あのあいりが自ら出向くのである。今は千依の存在もあって、二人きりでも三人だけでもないのがありがたい。


「ど、ども、ご無沙汰ぶさたしてます。……この間はすみませんでした」


 宗一は改めて、二人に頭を下げる。

 華梨はなにも言わなかったが、要は笑って頭をポンポンでてくれた。

 長身の二人に見下みおろされて、なんだがとても照れくさい。


「わたくし、その件に関しては……まあ、すでに阿南先生は罰を受けたのですから」

「そゆこと。でも、へぇ……男の子の一人暮らしにしちゃ、綺麗にしてるね」

「……ですが、御嬢様が滞在する場所としては不適当です! 阿南先生、失礼させていただきますわ。まずはお茶、そして掃除をしなければいけません」

「はは、華梨は万事徹底してるからね。僕もお邪魔するよ」


 一気に室内が華やかになった。

 既にあいりは、ソファで千依とゲームのVRゴーグルを手にしている。

 急いでお茶の準備をと思ったが、華梨に台所を追い出されてしまった。

 改めてリビングに戻ると、そこには元気そうないつものアイリがいた。


「先輩っ、いつもここでゲームしてるんですねぇ。ふふ、小さくてかわいいお部屋ですっ」

「ちょっと? ごくごく一般的な庶民のアパートなんだけど? やだやだ、これだから御嬢様は」

「千依ちゃん、ケーキどれにしますか? わたしはチーズケーキとモンブランで迷ってます。あ、要さんはチョコレートのやつがすきなんですよぉ」

「話を聞きなさいよっ!」


 にぎやかだ。

 あんなことがあったあとだと、とても思えない。

 だが、あいりはソファの上で振り返ると、背もたれに手をついて身を乗り出してくる。


「あのっ、先輩っ!」

「あ、ああ」

「こないだ、ありがとうございましたっ。先輩が助けてくれたって……わたし、うかつ? だったかも、しれません。悪い人だなんて思わなくて、先輩もあとから来るって」


 悪い人間は、悪そうな顔と格好では近付いてこない。

 よく「不審者ふしんしゃに気をつけて」なんて言うが、逆だ。あからさまに不審な人間からは、誰だって逃げるものである。よほど小さな子供でもなければ、露骨に怪しい人間は大丈夫。

 

 一見して不審だと思えない人間こそが、一番危険なのである。

 そう結論付けねばならないこの世の中に、一抹いちまつさびしさを感じる宗一だった。


「いや、謝るのは俺の方だ……ごめんな、あいり。怖かっただろ」

「怖かったんだと、思います。よく、覚えてなくて……でも、父様から聞きました。宗一先輩が助けてくれた、って」

「……どっちかっていうと、逆かな。助けにいった俺はやられちゃって、あいりに助けられたんだ。……覚えて、ないのか?」


 無言であいりは大きくうなずく。

 だが、再びソファに座り直すと、VRゴーグルをひたいにかけてゲーム機へと手を伸ばす。彼女は、まだそこにケースごと出してあった、ハンティング・ファンタジアを取り出した。

 ゲーム機にセットすれば、ディスクがシーク音と共に回転を始める。

 そのまま彼女は、立ち上がった。

 やはり、その右手にレンズのようなデバイスが光っている。

 もう、手の甲に直接張り付いていることを彼女は隠しもしなかった。

 奇妙な胸騒ぎが宗一の心を過る。


「先輩っ、ゲームして遊びましょうっ!」

「あ、ああ……うん、そうだな。……ハンティング・ファンタジア、一人でしかできないぞ?」

「大丈夫ですよっ、わたしのアカウントもありますし……ちょっと、いじりますねぇ」


 あいりの右手が輝く。

 広がる光が、あっという間に室内を塗り替えていった。

 見守っていた要も、思わず驚き口笛を吹く。


 文字通り、世界が広がっていく。


 わず八畳はちじょうのリビングが、見慣れた風景に塗り潰されてゆく。


 壁も天井も消えて、そこから先は……大いなる冒険の舞台、ハンティング・ファンタジアの世界になった。間違いない、周囲を歩く冒険者達もいる。見慣れたこの場所は、スタート地点であるギルドカウンター前だ。

 驚く宗一を肩越しに振り返り、そっとあいりはVRゴーグルを外した。


「わたし、こういうことできるみたいですっ。さ、先輩っ! 今日はおもいっきり遊びましょう! 千依ちゃんにはわたしが、大先輩としていろいろ教えてあげますねぇ」


 千依も驚きのあまり、曖昧あいまいうなずくしかできない。

 だが、宗一はようやく理解し呟いた。


「AR……拡張現実オーグメンテッドリアリティか。ハンティング・ファンタジアの世界を解析して再構築、その手のデバイスを通じて室内に広げてるんだな」

「はいっ」

「……やっぱり凄いな、あいりは」

「エヘヘ、められてしまいましたぁ。あ、先輩のデータもロードしますねっ」


 すっ、とあいりが手を向けると、宗一の身体も光に包まれた。

 その姿は、見慣れた可憐かれんな少女へと変身してゆく。

 女騎士エンジュに、あっというまに宗一の外観は変わってしまった。それを見て、千依が両目を手で覆う。彼女は指の隙間からガン見しながら、悲鳴を張り上げた。


「ちょ、ちょっと宗一っ! アンタ、なんて格好してるのよ! それに……女ぁ!?」

「先輩のエンジュは、このえっちぃ鎧は結構強いんですよ? それなりにレアアイテムなんです。でも、そろそろ新しいのが欲しいですよねっ」

「ちょっと、アンタまでなに着替えてるのよ!」

「私は僧侶そうりょですぅ。あ、千依ちゃんもなにかやってくださぁい」


 要が「僕は遠慮するよ」と笑う中、あいりが光を振りまく。

 あっという間に千依は、ボンテージ風な衣装の盗賊とうぞくになった。腰には武器であるむちがぶら下がっている。当然、千依は卒倒してしまって、座っているソファからずり落ちた。

 だが、あいりは構わずマイペースにゲームを進める。


「先輩をAR空間の中心に設定してますっ。歩いてみてください。ギルドカウンターでクエストを受注するんですっ」

「あ、ああ」


 今、宗一は現実では自分の家にいる。

 眼の前には、ソファとテーブルが有る。

 だが、いくら歩いてもぶつかる気配はなかった。どうやら、宗一自体にもあいりの力が作用しているらしい。あいりは、視認不能な特殊信号をデバイスから発していると説明してくれた。

 つまり、宗一は精神や感覚をあいりにハッキングされているのだ。

 自分すらハッキングして人間だと思い込む、あいりの力に改めて感嘆かんたんする。

 でも、そんなことより……あいりがいつも通り元気で嬉しかった。


「あっ、デルドリィードさんとバズンさんもログインしてますねっ。メールしてみましょう」

「ああ、そうだな……千依も一緒だから、今日は簡単なクエストでいいか? あいりくらいのレベルになると、その……ちょっと歯ごたえないかもだけど」

「先輩っ、大丈夫ですっ! わたし、千依ちゃんを守ります。武器と防具もちょっとグレード落としますし……一緒に頑張りたいですっ!」


 頷く宗一は既に、ゲームの中のエンジュそのものだった。そして、データ転送で飛んできたデルドリィードやバズンも、先ほどと同じように目の前にいる。

 違うのは、VRゴーグルで一人しか見えなかった世界が、この場の全員に共有されてること。勿論もちろん、デルドリィードやバズンはそれぞれ自分の家などで、VRゴーグルをつけている。

 奇妙な興奮の中で、宗一の心が晴れやかになっていく。

 その言葉を聞くまで、失われた日常が戻ってきたと感じていた。


「じゃあ、先輩……行きましょうっ! ……いーっぱい、楽しみましょうねっ!」


 あいりの笑顔は、無理に笑ったかたさを感じた。

 失われたものはまだ、失われ続けている……完全になくなるまで、どんどんこぼれて消えるのだと、宗一は思い知らされたのだった。

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