第23話「会えなくなってしまった娘、あいり」

 あの事件から数日、阿南宗一アナミソウイチは自宅のアパートに引きもっていた。

 彌勒寺ミロクジあいりの家庭教師の仕事は、しばらくいとまを出されてしまったのだ。だからといって、学校に行く気も起こらず、家でゴロゴロしている。なにもやる気が起きなくて、大好きなゲームのハンティング・ファンタジアも、今日になってやっと起動したくらいである。

 あれから、あいりから連絡はない。

 Twittanツイッタンもインスタグラファーも更新が止まっていた。


「……ま、なんか改めてメールってのもな。謝るならやっぱ、直接会いたいけど」


 専用のVRゴーグルを装着して、仮想現実バーチャルリアリティの異世界に降り立つ。

 今日もハンティング・ファンタジアは大盛況で、周囲は様々ないでたちの冒険者達がごったがえしている。

 勿論もちろん、あいりがログインしている形跡はない。

 そして、宗一のログインを察知して二人の仲間が飛んできた。


『おおエンジュよ! 我が友よ! 息災そくさいであったか。近頃めっきり冒険にこんので、心配しておったぞ』

『おつかれー、エンジュ。どう? あれからあいりちゃん、大丈夫? あいりちゃんもだけど、キミが心配よね』


 ゲーム仲間のデルドリィードとバズンだ。

 久々に会った二人は、女騎士エンジュこと宗一を心配してくれていた。

 コンビニの店員以外に会うのは久々で、自然と宗一は奇妙な安堵感を覚えた。この世界の何処どこかで、自分を案じてくれていた人がいる。それはゲームの中のキャラクターではなく、血の通った人間、仲間だ。

 大魔導師だいまどうしデルドリィードは、女装が趣味の山田三郎ヤマダサブロウ

 戦士バズンは、年齢不詳の謎のお姉さん、四条真瑳里シジョウマサリ

 二人とはオフ会を通じて、一層仲良くなれたのが嬉しい。

 あんな事件があったあとでも、それだけは宗一にとって喜びだ。


「ご無沙汰ぶさたしてます、お二人とも。先日はすみませんでした」

『なに、気にするな……例のプレイヤー達は公式の運営チームにも通報しておいた』

『確実に垢BANアカバン……つまり、アカウントを削除BANされるわね。当然よ……例え無防備であっても、そこにつけ入るなんて大人のすることじゃないわ』


 宗一はあれからのことを、少し話した。

 すでに警察へは、父親の彌勒寺恭也ミロクジキョウヤから諸々もろもろの連絡や手続きが済んでいること。あいりとはあのあと、会ってもいないし連絡もとってないこと。機会があれば謝って、できればまた仲良くしたいこと。

 不思議とゲームを通じての二人には、素直になんでも話せる気がした。

 そして、以前の『身近な他人』という名も顔も知らない時とは違う。こうしている今、二人もキャラの向こうに宗一を見てくれているのだ。


『なるほどね……ま、妥当なとこじゃない? 謹慎処分きんしんしょぶんってことでしょ』

親御おやごさんの心配も当然だ、しばらくはおとなしくするがよかろう』

『で、お姉さん考えたんだけど……再会の時のために、おわびびのプレゼントなんかどうかしら? 今度暇な時、一緒に買物行きましょうよ、エンジュ』

『それはいい……しからば我は、ゲーム内のレアアイテムをオススメするぞ。丁度今、イベントクエストで僧侶そうりょ用の防具素材が手に入る。……勿論、ボスモンスターは強力だが、我等三人が力を合わせれば、撃破も不可能ではない』


 優しい。

 変にベタベタとした優しさではないし、さりげなさがありがたい。

 普段通りのデルドリィードとバズンに、思わずVRゴーグルの中で視界がぼやける。うるんだ目をぬぐうため、一度VRゴーグルを上げて宗一はまぶたを手の甲で擦った。

 こんなに親身になってくれるのに、どこかドライで押し付けがましくない。

 二人はネットゲームの仲間で、その距離感を大事にしてるのだ。年上だからと説教もしないし、こうあるべきだと手を引くことも、背を押すこともない。ただ、隣に並んで道を指差してくれるのだ。


「ありがとうございます! ぜ、是非お願い、したいです……えっと、じゃあ」

『とりあえず週末あたりどう? あいりちゃんは確か、写真が趣味なのよね。そういうが好きそうな、かわいい雑貨ざっかのお店があるのよ』

『うむ、現世うつしよはバズンに任せた。我はイベントクエストのボスに備えておこうぞ。……それと、エンジュ! そのビキニアーマーも少し見飽きた。あいりの前にまず、エンジュの武具を新調せねばなるまい』

『あ、それ賛成。そのビキニアーマーもエロカワで性能悪くないけど……せっかくだし、ね? よしよしっ、行こ行こー!』


 こうして宗一は、あの日以来初めて能動的になにかを手につけた。

 ずっとベッドで天井を見上げていると、心が腐ってゆくようによどむのだ。ショックが何度も頭の中でリフレインして、あいりのあの無感情な裸だけが思い出される。

 宗一はもしかしたら、あいりが好きなのかもしれない。

 異性としてではなく、生徒であり妹のような存在……庇護欲ひごよくき立てられる。

 だが、……それも、

 そのことは二人には話せない。

 話す相手がいないから、今日までずっと悶々もんもんとしてきたのだ。

 早速クエストへ出かけるべく、三人でアイテム等を準備する。その時、出掛でがけにデルドリィードが思い出したように話しかけてきた。


『そうそう、エンジュ……あいりだがな』

「は、はい」

『あの右手……手の甲に大きなレンズみたいなものがあった。あれは……なんだ? 手に直接くっついていたように我には見えたぞ。しかも――ッ!? っと、なにをするバズン!』


 小柄なデルドリィードを、巨漢のマッチョが片手でねこのように持ち上げる。

 顔は笑っていたが、バズンの声はわずかにとがっていた。


『その話、もう終わり! いい? デル。なにか必要があったら、エンジュが話してくれるわ。そうでないのなら、今まで通り詮索せんさくは無用よん?』

『そ、そうだな。最近のリアルJC女子中学生だ、なにかしらの流行なのかもしれん』

『レンズマンのコスプレ……って、今どきの若い娘は知らないか』

『……歳がばれるぞ、バズン』


 それでこの話は終わりだ。

 察しがいい上に細やかな配慮もあって、改めて宗一はバズンに……バズンの中の人に感謝を禁じ得ない。真瑳里は綺麗なお姉さんで、その上に良識ある大人だ。

 黒いポルシェで首都高をカッ飛ばす、これはちょっといただけないが。

 早速新たな武具を求めての、今日の冒険が始まった。はずだった。

 突然、背後から手が伸びてきて、宗一はVRゴーグルを取り上げられた。


「あ、あれっ? 誰だ……って、オイ。なに勝手に入ってきてんだ、千依チヨリ


 振り向くとそこには、両手を腰に当てた水瀬千依ミナセチヨリ仁王立におうだちしていた。

 この幼馴染おさななじみとは、小中高と一緒で頭が上がらない。勝手に上がり込むことも日常茶飯事にちじょうさはんじだが、最近は来なかった。多分、デリケートな問題があったから。

 宗一は今、絶賛不登校中である。

 恐らく、そっとしておいてと、周囲の大人が気を回したのだろう。

 千依と会うのは、あいりの服を買いに出た時以来だった。


「宗一、なぁに? 昼間っからゲームばっかりして!」

「ばっかり、って……あの、久々なんですけど、俺」

「ゲームをしてたのは認める訳ね!」

「……まあ、はい」


 この世話焼きでおせっかいな幼馴染に、宗一は頭が上がらない。

 どういう訳か、やたらと千依は昔から宗一に構ってくるのだ。

 時には姉気取り、母親代わりといった感じで、少し鬱陶うっとうしい時もある。だが、彼女は大真面目だし、実際に助けられたことも多かったからなにも言えなかった。

 彼女はVRゴーグルを珍しそうに覗き込んで「へえ」と笑う。

 そして、そのまま宗一が座るソファの横に腰掛けた。


「最近のゲームって凄いじゃないの。あ、どもどもー。……宗一、コントローラーは?」

「いいから返せ、ったく……いいや、ちょっとログアウトするから貸せって」

「ログアウト?」

「これは俺のアカウントでログインしてるゲームなの! ……お前でも遊べるやつもあっから、ちょっと待てよ」


 再びVRゴーグルを奪い返し、手短に宗一は事情を説明する。デルドリィードとバズンは、それならまた後日と、笑顔でログアウトを見送ってくれた。

 ネットゲームにどっぷりだからこそ、皆が現実の都合を優先する。

 そして、突発的な現実でのアレコレがあっても、それで予定が変わってしまってもうろたえないのが真の上級者だ。ゲームをしてても赤子がいれば起きて泣き出すし、唐突に電気や水道の集金も来る。電話がかかってくれば出なければならないし、その電話が緊急の要件だってこともあるのだ。


「よし、っと……どれ、千依みたいなニブチンでもできるゲームは、っと」

「なによ、ちょっと! アタシがにぶいっての? ……鈍いのは、宗一じゃんかよ」


 千依は酷く小さくて、ともすればあいりと同じくらいの年頃に見える。だが、宗一と同じ高校二年生、16歳だ。もっとも、中学生に間違われるのはいい方で、うっかりすると小学生扱いされる。

 長い黒髪をツインテールにってる、その容姿もどこかあどけなく幼い。

 だが、千依はくちびるとがらせ「宗一のくせに」と、いつもの口癖くちぐせつぶやく。


「そういや千依、お前……学校は? 今日、平日だろ」

「あ、あーっ、そ、それね……うんうん、学校ね。エヘヘ……」

「なんだよ、サボったのか? しょうがない奴だな」

「う、うん……あ、ほら! 宗一が一人だと可愛そうだなあって思って。アッ、アタシも……学校行くの、やめる。今なら通信教育とかもあるしさ」

「俺をダシにすんなっての」

「なによ、宗一のくせに……お昼、作ってあげるからさ。好きでしょ? 宗一、アタシの作るナポリタン」

「……まあ、コンビニ弁当も飽きてきたとこだしな」


 さっき、ゲームの中で知り合いに会ったからだろうか?

 ここ数日に、一人で鬱屈うっくつしていたので、宗一は素直に千依がありがたかった。彼女の得意料理はナポリタンで、言われた通り大好物である。思えば、施設から小学校に通っていた頃から、いつも千依は親切だった気がする。


「どれ……ちょっと待ってろ、千依。確かVRゴーグルがもう一つ……」

「えっ? なになに、一緒に……するの? 一緒に、ゲーム」

「たまにはお前に構ってやんないとな。ええと、どこにしまったか」

「……そ、そうよ。構ってよ……ふふ、どんなゲームがあるの? 怖いのは駄目だかんね! あと、血が出るやつとか」


 彼女のリクエストで、宗一のゲームコレクションはほぼ全滅だ。

 やれやれとリビングのラックに並ぶゲームを選んでいると……不意に、インターホンが鳴る。

 なにかの集金だろうかと思った瞬間、ガチャリとかぎが開く音が響いた。

 すぐに千依がスッ飛んでいって……直後、悲鳴にも似た声が叫ばれた。

 何事なにごとかと宗一も玄関に出ると、そこには見慣れた少女がいつも通りのゆるい表情で立っていたのだった。

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