第22話「数奇な運命の真実、A.I.R.」

 当然だが、阿南宗一アナミソウイチは呼び出された。

 彌勒寺ミロクジあいりの父親、彌勒寺恭也ミロクジキョウヤの執務室へ。彼は両親のいない宗一の保護者でもあり、多国籍巨大企業ミロクジ・インターナショナルの創業者である。

 緊張を身にまとって、ノックへの返事に宗一は入室した。

 大きな執務机に座って、意外にも恭也は仕事の書類に目を落としている。

 日頃から温厚な彼も、今日ばかりは……そう思っていた宗一は、少し驚いた。


「やあ、宗一君。今回は大変だったね。華梨カリン君から軽く話を聞いている。そこにかけて待っててくれ。この書類だけ決済をしてしまいたいんだ」


 いつもと変わらぬすずな笑みで、恭也は応接セットのソファを勧めてくる。

 愛娘まなむすめが貞操の危機だったにしては、酷く落ち着いて見えた。

 むしろ、そのことに割くリソースがないとばかりに、仕事に集中している。真剣な眼差まなざしで書類を精査し、時々ページを巻き戻しては確認する。そうして最後にサインをすると、ようやく恭也は立ち上がった。

 宗一もまた立って、真っ先に頭を下げる。


「おじさんっ、今日はすみませんでした! ごめんなさい……俺の、ミスです」


 申し開きなど、ない。

 言い訳も無用だ。

 オフ会に不埒ふらちな者達が入り混じっていて、あいりを狙ってるなどとは考えもしなかったのだ。それを今は、いたらぬ軽挙けいきょだったと反省している。

 まだ全身のアチコチがにぶく痛んだが、あいりの心の傷には比べられない。

 どれほど怖かっただろうか……そして、乙女の柔肌やわはだを汚されるとこだったのだ。

 実の親にしてみれば、許しがたい筈である。

 だが、歩み寄ってくる恭也はポンと肩を叩いた。


「君もあいりも無事だった、だから大丈夫さ。それに……イレギュラーだが、貴重なデータも取れたしね」

「……へ? それだけ、ですか?」

「いや、失敗は失敗だ。そして私は経営者だからね。失敗には罰が必要だよ。それだけはわかってくれるね? 宗一君」


 当然だ。

 どんなせきうつもりで宗一はいた。

 そのうえで、許されるならつぐないをしたい。自分にできる範囲で、あいりを支えてやしたい……以前よりもっと気をつけて、最新の注意を払って接したい。

 四条真瑳里シジョウマサリが言ってくれた言葉が脳裏に蘇る。

 ――失敗は常に、それをどうフォローするか、どう挽回ばんかいできるかで全てが決まる。

 優しい言葉だと思うし、勇気をもらえる。

 だが、挽回のチャンスがあるかどうかは、今の宗一が選べることではない。


「宗一君、しばらく家庭教師のアルバイトはお休みだ。少し謹慎きんしん、みたいなものだね。まあ、無期限ってことはないんだが……あいりがとても、君になついててね。いつも君のことばかり私に話すんだよ」


 そう言って恭也は笑った。

 不思議な違和感がある。

 宗一を気遣きづかい、無理に笑っている……そういう感じではない。怒りを抑えて大人として振る舞えば、それは相手にも伝わるものだ。手の震えや、表情の些細な強張り……それに接して察することができるくらいには、宗一だってもう一部分は大人だ。

 だが、16歳の宗一に普段通りな恭也は、やはり少しおかしい。

 思い切って宗一は、無礼を承知で顔をあげて語気を強める。


「あ、あのっ! おじさん、あいりは」

「ん? ああ、今は眠っているみたいだね。あとで私から言って聞かせよう。親代わりだというのに、少し放任主義が過ぎたようだ」

「親、代わり? ……やっぱり、なにか秘密があるんですね」


 ちらりと執務室の大きな本棚を見る。

 そこには、あいりの七五三しちごさんの写真があるのだ。

 あいりの弟らしき、小さな男の子も一緒である。


「おじさん、教えてくれませんか……? あいりはいったい」

「そうだね、いつかちゃんと話をしよう。今日は宗一君も疲れているみたいだし」

「今じゃ駄目ですか! あのっ、俺……俺、もっとちゃんとあいりを支えてやりたいんです。でしゃばってるのもわかってます。でも……今日のあいりは普通じゃなかった」


 小さな女の子とは思えぬ力を、彼女は躊躇ちゅうちょなく振るった。

 そのことに関しては、恭也が警察等にはもう手続きが済んでると教えてくれる。だが、聞きたいのはそんな言葉じゃない。

 14歳とは思えぬ身体能力、そして驚異的な格闘センスと体術。

 全て、裸の少女が宗一に見せつけてきたのだ。

 まるで、無駄なく動く精密なマシーンだった。


「あいりの右手、あのデバイス……新型の試作品だと言ってましたよね。でも……あのレンズは、あいりの手の甲に直接くっついてる。どういうことなんですか、おじさん!」


 恭也は黙った。

 その目は相変わらず、優しげに細められている。

 だが、彼はやや躊躇ためらった後に、背を向けた。そして意外にも、例の本棚へと歩み寄る。写真立ての中の家族の肖像を見て、恭也はそれを手に取った。

 そして、観念したかのように宗一に振り返る。


「宗一君。君の御両親と私は親しかった。だから、二人の遺児いじである君の後見人として、立派に育てたいと思った。……以前、そう言ったね?」

「あ、はい。俺の父の古い友人だって……親友だった、って。あ、あれ? 母とも知り合いなんですか? 今、御両親って」

「そう。君のお母さんもよく知っているよ。


 一瞬、なにを言われているのか理解できなかった。

 そこには、晴れ着を来て笑っているあいりの姿がある。その側で笑う小さな男の子は、言われてみれば自分に似てるような、そうでもないような。

 だが、そんなあいりを恭也は、宗一の母だと言ったのだ。

 そして、多くの謎が氷解ひょうかいしてゆく中、真実がその奥から姿を現す。


「この写真は、もうずっと前のものだ。遠い過去になってしまった。彼女の名は、彌勒寺愛衣ミロクジアイ。……私の姉だ」

「えっ? じゃ、じゃあこの男の子は」

「幼い頃の私だ。そして、私の両親……宗一君の祖父母にあたるね」

「ちょ、ちょっと待ってください……それって!?」


 頭が上手く回らない。

 理解が及ばないのだ。

 心のどこかで、現実を拒否しようとする自分がいた。

 だって、おかしいじゃないか……写真の少女はあいりそのものだが、あいりじゃない。ずっと前に撮られた写真で、名は愛衣。彼女が恭也の姉で、宗一の母だと言うのだ。

 恭也は落ち着き払っていたが、どこか諦観ていかんの念を感じさせる声音だった。


「つまり、私は君の叔父おじということになる。……ただの友達の息子なら、ここまで面倒をみたりはしないんだがね。だが、君は……あいつの息子である以上に、姉さんの息子なんだ」


 驚いたが、話は繋がった。

 どうして恭也が、施設を出た宗一にここまで親切なのか。何故なぜ、一人暮らしの自由を与え、生活費も不自由なく与えてくれたのか。まるで自分の息子のように接してくれた理由が、今こうして明かされた。

 では、あいりは宗一の従姉妹ということになる。

 母の愛衣に似てるのは、彌勒寺の血……しかし、血縁者である以上に、瓜二うりふたつだ。そんなことが実際にはあるんだろうか?

 なにより、あのマンションの一室で見せた驚異的な力、そして右手に埋まるようにしてはまるデバイスは謎のままだ。

 恭也はそのことについて、とうとう口を開いた。


「あいりは正確には、開発コードA.I.R.……Artificialアーティフィシャル.Intelligenceインテリジェンス.Robotロボット.だ。つまり、人工知能を搭載したロボットなんだよ、宗一君」

「……は?」

「驚くのも無理はない……生体パーツの多用で、ほぼ人間と変わらぬ生活が可能だ。食事も排泄はいせつも必要だし、人間との性行為もできる。ミロクジ・インターナショナルが今、東京ユグドラシルの完成を急いでいるのは知っているね?」


 あまりに衝撃的な話に、思考が停止する。

 曖昧に返事をすると、恭也は続きを話してくれた。


「姉の愛衣は昔、家を捨てて君の父親と結ばれた。本来は彌勒寺の家に残り、両親が選んだ婿養子むこようしを迎えるはずだったが……政略結婚より、君のお父さんを選んだんだね」

「は、はあ」

「私は、悲しかった……しかし、姉を応援したかったし、君のお父さんは立派な人間だった。彼は今のあいりの原型となった基礎理論をのこしてくれた。そして、君自身も」


 しかし、そこから先の話には狂気が見え隠れする。

 病気で宗一の母、愛衣は早くに亡くなった。

 そして、宗一の父は自分が研究しているロボティクス分野で、妻を蘇らせる計画を始めたのだ。その禁断の研究を引き継いだのは、志半こころざしなかばにして倒れた男から全てを引き継いだ恭也だった。

 恭也もまた、愛しい姉を復活させる計画に加担した。

 むしろ、積極的に推し進めたのだ。

 法的な問題等をクリアし、周囲に怪しまれぬよう……りし日の愛衣の姿で、自分の娘という立場を用意し、あいりを作り上げたのだ。


「計画は完璧だった……プロジェクトの頭文字を取って、A.I.R.アイリと名付けられた彼女は、私にとって蘇った姉の筈だった。だが……予想だにせぬ現実が待っていたのだよ、宗一君」

「そ、それは……」

「姉の愛衣を模した人工人格は、目覚めなかった。あらゆる姉のデータを集積、解析して作り出されたプログラムは、作動しなかったんだ。代わりに生まれた人格が、今のあいりという訳だ。研究チームの中では、彼女を名目上『愛衣裏アイリ』と呼んでいたね」


 表の人格である愛衣に代わって生まれた、裏の人格だからか。

 だが、宗一は大人の傲慢ごうまんさに震えた。


「困ったことに、愛衣裏は強力なハッキング能力、そして東京ユグドラシルとリンクして巨大なAR空間を生み出したり、世界中のネットワークを掌握することができる。そんな愛衣裏が最初にハッキングしたのは……だ」

「えっ?」

「信じられないかもしれないが、無意識に愛衣裏は自分の認識をアナログハックしているのだ。……彼女は完全に、自分を人間だと思いこんでいる。自分の能力の全てに干渉かんしょうし、人間である以上の力を出せないようになっているのだ」


 正確には、なっていたと過去形で語られなければいけない。

 それは、ゆがんだ愛情が生んだ悲劇のロボット……初めて明らかになるあいりの真実だった。そして、宗一はあまりの出来事に言葉を失い、うつむくしかできなかった。

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