第21話「謎が謎を呼ぶ少女、あいり」

 走り屋も真っ青な往路おうろと違って、エンスト続きの復路ふくろをポルシェは走った。

 彌勒寺ミロクジあいりと一緒に後部座席に収まった四条真瑳里シジョウマサリは、決して振り向くなと言う。

 ペーパードライバーな山田三郎ヤマダサブロウにその余裕はなかったし、阿南宗一アナミソウイチも心配だが前だけ見て黙っていた。まだ身体がアチコチ痛くて、これが現実だと教えてくれる。

 自分が目を離した隙に、あいりは不埒ふらちなオフ会参加者にさらわれた。

 そして、危うく純潔を奪われ、心身を汚されるとこだったのだ。

 あるいはもう……そのことは今、努めて考えないようにする。


「エンジュよ……そう深刻な顔をするでない。っと、クソッ! クラッチがなんでこんなに重いのだ! ええい、しずまれ我が漆黒しっこくの愛馬よ!」


 エンジュというのは、宗一のゲームの中での名前だ。ハンティング・ファンタジアの世界で華麗に戦う、勇敢な女騎士エンジュ……それは、現実の宗一とはなにもかも真逆だ。

 それでも、運転に四苦八苦しながら三郎は、同じく彼のキャラ……美少女にしか見えない女装した彼は、偉大な大魔導師だいまどうしデルドリィードの口調で語りかけてくれる。


「エンジュ、辛いのはわかる、そしてお前はその責任からは逃れられん。だが、まずはわれが悪いのだ……初めてオフ会に来るプレイヤーのチェックが、足りなかった」

「そんな……でも、流石さすがにそこまでは……誰もわからないですよ。だから三郎さんは――」

「我は大魔導師デルドリィード! っとっとっと、本当に運転しにくい車だな、ククク」

「……それでも、俺がもっとちゃんと見てれば」


 オフ会とは、その名の通りオフラインでゲームのフレンドや同好の士と会う目的の集いだ。一緒に歓談し、趣味の時間を共有して親睦を深める。節度を守る前提でお酒を飲むこともあるし、意気投合した者達で突発的な二次会が始まることもあるだろう。

 だが、果たしてデルドリィードを……三郎を責められるだろうか?

 そして、彼が悪いのだと宗一が責任を逃れられるだろうか?

 その答が、背後から落ち着いた声で響く。


「あたし、言わなかったけ? 宗一くん。それに、デルも。失敗は常に、それをどうフォローするか、どう挽回ばんかいできるかで全てが決まるわ」


 責めるでもなく、とがめるでもない声。

 思わず振り返った宗一に「あ、こらっ」と小さく真瑳里は叫ぶ。

 慌ててまた前を向いたが、確かに宗一は見た。

 あいりの白い裸体は丁度、再びシーツにくるまれるところだった。


「いい、二人共。ことは起こった、そしてあたし達は最善を尽くしたわ。あとは、次の再発を防止し、あいりちゃんのアフターケアをすること。それとね」

「それと?」

「ギリギリで最悪の事態だけはまぬがれたみたい。ちょっと見た感じ、乱暴された形跡はないわ。勿論もちろん、性的な意味でも。宗一くんが踏み込んだ時、丁度脱がした直後だったみたい」


 どっ、と全身から疲れが溢れ出た。

 三郎も安心したのか、ひときわ派手にガタガタとポルシェを震わせる。

 エンストした車内に、安堵あんどの空気が広がっていった。


「そ、そうか……ま、まあ、我は最初から知っていたがな! わかっておったぞ……ククク。我が友エンジュの頑張りが実るとな!」

「ど、ども……でも、あいりはショックだと思うから。だから、俺は」

「だが、最悪の事態は回避された。エンジュよ、それがわかったらあとは前を向くだけぞ……さ、あいりの家までもう一息だ」


 再び車が走り出す。

 三郎の言葉には、どこか救われた思いがした。

 だが、それで宗一が許される訳ではない。

 なにより、自分で自分が許せない。

 そんな彼の背後で、真瑳里は唐突に疑問を呟いた。


「ね、宗一くん……君、格闘技経験者?」

「へっ? い、いえ、全然! これっぽっちも、ですよ」

「そうよね……パッと見、ひょろいし」

「うっ……そ、そうっすね」


 真瑳里の疑念が、すぐに宗一にはわかった。

 彼女は空手の有段者で、リビングの連中を片付けてくれた。ゲームの中の頼れる戦士バズンは、リアルでも腕っぷしが強いようだ。

 そんな真瑳里が寝室で見たのは、のびた二人の男。

 特に、ボディビルダーみたいな巨漢の筋肉だるまが酷かったはずだ。


「あの、真瑳里さん……言っても信じてもらえないでしょうけど」

「大丈夫だって、宗一くん。お姉さん、こう見えても人を見る目はあるの。それに、大事な仲間、友達の言葉なんか疑わないわ」

「ありがとうございます。あれ……全部、あいりがやったんです」

「宗一くん……少し疲れてるのね、だからそんな嘘を」

「ちょ、ちょっとお! 手のひら返し過ぎますよ、真瑳里さん!」


 舌の根も乾かぬうちに、というやつだ。

 だが、悪びれた様子もなく真瑳里は言葉を続ける。


「さっき、あいりちゃんの身体を……ん、ちょっと悪いと思ったけど調べさせてもらったわ。外傷もないし、性行為の痕跡もない。けど、普通の子供の身体よ? 特別鍛えた感じもないし、筋肉も全然」

「で、でも、本当なんです。俺がやられそうになってたら、こいつふらっと」

「……ははーん、いわゆる火事場の馬鹿力? それとも、ムフフ……愛の力、かなあ?」

茶化ちゃかさないでくださいよぉ!」


 そんなやりとりをしているうちに、自然と宗一も思い出す。

 あの時の、あおい瞳を研ぎ澄ませたたあいりを。

 まるで無機質なマシーンのように、男達を完膚かんぷなきまでに叩きのめしたあいり。彼女は筋肉質な大男に両手で首を絞められても、平気な顔をしていた。

 14歳の女の子とは思えぬ、容赦のない体術も見せたのだ。


「逃げる前にちょっと見たけど、デカいのは手首が完全にくだかれてたわ。普通の粉砕骨折ふんさいこっせつじゃない……関節部が文字通り粉々になってる感じだった」

「……信じられないかもしれないです、けど……あいりがやったんです」

「みたいね。さっきのは冗談にしても、宗一くんにそんな芸当できる筈ないもの。できるならもっと早くあいりちゃんを助けてた。そうでしょ?」


 巨大な門の前でポルシェが止まる。

 一度降りた三郎が、インターホンで中のメイド達と話し始めた。

 真瑳里は宗一に向かって、安心させるように微笑ほほえみ声をひそめる。彼女は、今日のことは四人のためにも、内密にすると約束してくれた。

 あとは、あいりの心のケアである。

 そして……宗一は彼女の謎についても、忘れることができない。

 だが、開門と共に外はあわただしくなった。


「あいり御嬢様っ! 皆さん、すぐにお召し物を……いえ、お風呂の準備を!」


 血相を変えて走ってきたのは、メイド長の小鳥遊華梨タカナシカリンだ。

 いつもの仏頂面ぶっちょうづらが嘘のように、今は逼迫ひっぱくした動揺もあらわだ。恐らく、三郎からインターホンを通じて大まかなことを聞いたのだろう。

 宗一は、あいりを抱き上げた真瑳里と共にポルシェを降りる。

 すぐにあいりの身体は、他のメイド達が屋敷へと運んでいった。

 大きな屋敷まで続く道の、庭を縦断する長さがいつもより遠く感じた。


「阿南先生……事情を説明していただけますね?」

「は、はい」

「旦那様も丁度、御屋敷におられます。それと」


 華梨は身を正すと、三郎と真瑳里に向き直った。

 そして、突然頭を下げる。

 長身の彼女が小さく見えるほど、大きく腰を折って深々と。


「どなたかは存じませんが、御嬢様をお助け頂きありがとうございました。後日改めてお礼をさせて頂きたく、お名前などをお伺いできれば」


 真瑳里と三郎は、少しびっくりしたように顔を見合わせ、そして笑った。

 そして、二人でポルシェへと戻ってゆく。

 顔をあげた華梨に、少し気取った声が向けられた。


「だってさ、デル。こゆ時でも……こゆ時だからこそ、使っときたい台詞せりふ、あるよね?」

左様さよう……あんずるなかれ、メイド殿。我等は名乗る程の者ではない! さらばだ!」

「そゆこと。メイドさん、気にしないでね? それより、あいりちゃんのことお願い。この子が一番の被害者だから。今後のことは宗一くんを通じてあとで連絡を。んじゃ!」


 二人は颯爽さっそうと去っていった。

 恐らく、謝礼など期待していないし、そんなことを考えていないのだ。ゴタゴタする中に居座って気をつかわせるのも避けたのだろう。今はとにかくあいりが大事、それを共有しているだけで三郎と真瑳里には十分なのだと宗一は理解した。

 そして、それは華梨も承知の上だろう。

 だが、彼女が切れ長の目で見下ろしてくると、宗一はすくんだ。

 そこには、冷たい怒りが燃えていた。


「阿南先生」

「……はい。あ、あの、言い訳はしません! 俺が」

「釈明も説明も、旦那様に対してが筋でしょう。わたくしは一介のメイドに過ぎません」

「はい。あ、あのっ! その、すみません……一つだけ、いいですか?」


 華梨は怪訝けげんな顔をして、眉根まゆねにしわを寄せた。

 おずおずと宗一は言葉を選ぶ。


「あいりは、なにかこう……武道を習ったりは? 格闘技の経験があるとか」

「御嬢様がですか? わたくしがこの御屋敷に住み込みで働かせて頂いてから、そういう話は聞きません。ただ、お会いする前でしたらわかりませんね」

「お会いする、前……というと」

「わたくしが御屋敷のメイドになってから、しばらくして突然あいり御嬢様がやってきたのです。旦那様からは、離れて暮らしていた御息女ごそくじょだと」


 初めて聞く話だ。

 てっきり、昔からあいりはこの屋敷にいるものと思っていた。

 ずっと部屋にもりっきりで育った……病弱な生まれと育ちだと聞いていたのだ。

 だが、宗一の言葉に華梨も、形良いおとがいに手を当て考え込む。


「……あいり御嬢様がいらしたのは……そうそう、丁度あれの工事が始まった頃でしたわ。ニュースで騒いでいたので、よく覚えてます」


 華梨が指差す先へと、宗一も振り返る。

 そこには、完成間近の巨大な塔……東京ユグドラシルが今日もはっきりと見えていた。

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