第19話「絶体絶命な少女、あいり」

 首都高速道路へとあがった黒いポルシェが、ターボエンジンを全開にして走り出す。

 強烈なトラクションで加速する中、阿南宗一アナミソウイチは助手席のバケットシートに沈んでいた。四点シートベルトで固定されていても、バズンの運転はさらなる速さで悲鳴を奏でる。

 そう、悲鳴……後部座席のデルドリィードが絶叫していた。

 宗一はとなり麗人れいじんが、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる荒々しい戦士だったゲームを思い出す。


「どう? エンジュ。あいりちゃんの場所、わかりそうかしら?」


 エンジュというのは、宗一のゲームの中での名前だ。

 レーンチェンジを繰り返して走るポルシェを、バズンはまるで自転車のように軽々と扱う。女だてらに、プロレーサー並の腕前だ。

 宗一は手の平に立つ小さな少女を見下ろす。

 それは、あいりが送ってきた立体映像だ。

 どういう原理かは知らないが、彼女の持つ謎のデバイスの力だろう。既存きぞんのスマートフォンやタブレットを凌駕する、とんでもない性能を秘めた最新鋭なのだ。

 小さくなったゲーム内のあいりは、先程から先を指さしている。


「このまま真っ直ぐです、バズンさん!」

「オッケ、エンジュ……もとい、宗一くん? そうそう、アタシは四条真瑳里シジョウマサリ。改めてよろしくね。あと、後ろのデルドリィードは山田三郎ヤマダサブロウよ」

「ま、待てバズン! 我が秘められし名を、んごっ!」


 二人の間から顔を出したデルドリィードこと三郎は、急加速で再度背後に叩きつけられた。だが、バズンの中の人である真瑳里は余裕である。

 しかし、その端正な横顔は今、怜悧れいりな怒りに凍っていた。

 優しげだった美貌は今、冴え冴えとした激情に彩られている。


「アタシ、小さい頃に喘息ぜんそくだったって話、したっけか? 宗一くん」

「え、ええ、以前少し」

「ネットゲームでは色んな人と遊べたし、友達もできた。初めてのオフ会も楽しかったわ。でもね……やっぱりは気をつけなきゃいけないのよ」


 あ、自分で美少女とか言っちゃうんだ……宗一はそう思ったが、えて突っ込まないことにした。年齢不詳の真瑳里は、どうみても美少女という歳ではない。それに、自分の過去を美少女と言い張るあたりは、いつもの気心知れた友人そのものだったから。


「世の中にはね、ネットゲームやそのオフ会、SNSでの交流なんかを……不埒ふらちな出会いの場にしてる連中がいるの。出会いなんて言葉、使いたくないわね……言ってみればそう、不純な同期の性犯罪ね」

「それに、あいりが……? くっ、俺のミスだ! なんてことを」

「まだ何も終わってないわよ、宗一くん? 失敗はね、それをどうフォローするか、どう挽回ばんかいできるかで全てが決まるの。お姉さん、そう思うぞ? っと、こっちね!」


 突然の急ブレーキに、真瑳里のハンドリングがあわただしくなる。

 ポルシェは甲高いスキール音と共に、インターチェンジへとドリフト走行で滑り落ちていった。まるでジェットコースターという比喩表現ひゆひょうげんがあるが、彼女の運転がまさにそれだ。

 今のこのポルシェに比べたら、世界中のジェットコースターがゆりかごに思えるだろう。


「おいっ、バズン! 相変わらず運転が荒いではないか……後ろのわれにも少しは気をつかってもらい――」

「ごめーん、三郎! でも、ちっちゃいあいりちゃんはこっちを指さしてるのよね……これ、やばい感じ。この先は確か」


 宗一にも見えてきた。

 ポルシェが向かう先には、高級マンションが立ち並んでいる。

 東京も少し郊外に出れば、再開発が進んだ地区に高級住宅街が広がっていた。このあたりの物件は、主に外国人が日本観光のためのセカンドハウスにしているらしい。

 高層ビル群はまるで、これから乗り込む魔王の城だ。

 現代の電子セキュリティは、高難度のダンジョンよりも強固な防壁である。

 マンションの敷地内に侵入するや、来客用の駐車スペースへとポルシェが横滑りで停車する。宗一はすぐに、転がるようにして車内から飛び出した。


「あいり、どこだ? どこにいる……俺に、俺達に教えてくれ!」


 小さなあいりは手の中で、そっと空を指差す。

 そびえ立つマンションの真ん中、どうやらB棟にいるらしい。

 だが、当たり前だがエントラスに入ることはできない。内側からしか開けられないし、住人以外は入れないようになっているのだ。ご丁寧ていねいに高級ガラスの自動ドアは二重になっていて、指紋認証しもんにんしょう網膜識別もうまくしきべつの二段構えだ。

 真瑳里と三郎が思案する中、宗一は入る手段を求めて周囲を見渡す。

 じっとしてなんかいられない。

 この瞬間、この一秒の間にも……あいりの貞操ていそうに危険が迫っているのだ。


「クソッ、どこから入れば」

「待てエンジュ……我に任せよ。こういう時こそ頭を使うのだ」

「あら、三郎。頭突きでもしてみる? アタシ、こう見えても空手六段だけど」


 意外と脳筋のうきんなとこは、流石さすがに戦士一筋で戦斧ハルバードを振り回すバズンらしい。だが、真瑳里みたいなアララウフフ系お姉さんが頭突きでセキュリティを破るとこなど、宗一は見たくもない。

 そして、そんな提案を三郎はしている訳ではないのだ。


「宅配便に便乗して入る……犯罪者がよくやる手だ」

「アタシ達、犯罪者をとっちめる側なんだけど」

「ま、待ってくださいバズンさん、えと、真瑳里さん? その、あいりの無事が第一で……それに、宅配便を待ってる余裕は」


 今やマンションのセキュリティは、間取りや立地条件と同じくらい重要な課題だ。物件を買う時、顧客はセキュリティレベルの高さにも注目するし、マンションだからこそ高度な二重三重の予防線が必要なのだ。

 こうしたマンションでは、あまり御近所同士でのコミュニケーションはない。

 マンションは、それ自体が外から隔絶された一種の自治体、国だ。

 その中に一度入り込まれれば、閉鎖性の高さがあだとなって重犯罪が起きやすい。隣人の顔も知らぬ小さな世界で、強盗や傷害、最悪は殺人事件まで起こるのである。


「住人の出入りがあれば、訳を説明して……しかし、我の我慢にも限界は……」

「いいわ、手っ取り早く蹴破けやぶりましょ? いいわよね、三郎?」

「だから駄目だっての! 俺だって今、色々考えてるでしょうが!」

「……地が出てるわよ? 三郎」

「グヌヌ……せめて、管理側の人間と接触できれば」


 その時だった。

 右往左往する宗一の手の中で、あいりの立体映像が両手を広げた。

 そして、まるで見えない波動を送り込むかのように、むーっ! と気迫の表情でその手を突き出す。

 直後、強固なセキュリティに守られている自動ドアが全て左右に開いた。

 何が起こったのか、一瞬わからなかった。

 だが、理解より先に身体が動いていた。


「ナイスッ、宗一くんっ!」

「やるではないか、エンジュ……ククク、流石は我と共に戦う勇者だ」

「あいりの奴が多分……こんなことまでできるのか?」


 恐らくあいりは、この分身の立体映像を送ってくるだけで精一杯だった筈だ。その証拠に、彼女が先程表示してくれた地図は、酷く簡素なものだった。

 そのあいりの分身は、かなり無理をしたのではないだろうか?

 先程よりノイズが多く交じる中で、徐々に足先から消え始めている。


「やばい、リソースを使い過ぎたのか? 大丈夫か、あいり……何階だ!」

「こっちにエレベーターが、宗一くんっ」

「見よ、エンジュ! バズンも……妖精ようせいあいりが上を指差しておる。可憐なる電子の乙女よ……我ら勇者を導くがよいぞ!」


 雪崩込なだれこむようにして、三人でエレベーターへと乗る。

 えいやっ、というポーズであいりが手を突き出すと、勝手にエレベーターは15階へと昇り出した。

 静かにエレベーターが動く中での、なにもできないれるだけの時間。

 三郎はウィッグを気にしているし、真瑳里はボキボキとこぶしを鳴らしていた。

 チン! とベルが鳴って、ドアが開く。

 エレベーターホールもかなり手の込んだもので、下のエントランス同様に落ち着いた高級感が漂っている。

 あいりは消えゆく中で奥を指差し、小さく小さくうなずいた。


「こっちです、二人共! 待ってろよ、あいり!」

「ちょっと、宗一くん! 一人で先走らないで!」

「クッ、待てエンジュ! バズンも! ええい、スカートが邪魔だっ!」


 宗一は自分でも、こんなに早く走れるとは思わなかった。

 すで肺腑はいふに出入りする息は灼けて、のどが痛い。

 だが、向かう先で小さくドアの電子ロックが解除される音が響く。

 同時に、先程まで手の中にいたあいりは消えてしまった。

 迷わず室内へと、宗一は転がり込む。

 広い玄関には乱雑にくつが散らかって、その中に綺麗に揃えられているあいりのスニーカーがあった。

 瞬間、宗一の理性があらかた吹き飛ぶ。


「あいりっ! 俺だ、宗一だ! 助けに来たぞ!」


 広々とした廊下を土足で走って、突き当りのドアを開く。

 リビングには上品な調度品が並び、ソファには酒を飲む男達が数人……その数、六人だ。皆、血相を変えた宗一を振り返って「ああ?」と眉を潜める。

 だが、それを無視して宗一はさらに奥へと走った。


「おうこら、待てェ! ガキッ、どうやって入ってきた!」

「そいつ、さっきのオフ会にいた奴じゃんかよ! あいりちゃんの保護者とかほざいてた奴だ!」

「クソッ、捕まえろ!」


 慌ただしくなる中、次第に宗一は胸の不安が膨らんでゆく。

 一番奥に人の気配があって、その部屋のドアを開くと……目の前が真っ暗になった。

 今まさに、全裸にひんかれたあいりがベッドの上に横たわっている。

 眠らされているのか、ぴくりともしない。

 そして、今まさに一人の男がズボンを脱ごうとしていたところだった。

 ギリギリで間に合ったと思いたい。

 そう感じた瞬間、宗一は激痛に小さく浮いて、その場に崩れ落ちる。

 部屋にはもう一人の男がいたのだ。

 腹部を蹴り上げられた宗一は、酸味さんみがこみ上げる中でうずくまるしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る