第18話「危機に陥る少女、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチは血の気が引く音を聴いた。

 あせりとおどろき、そして不安……そうした感情が自分の中で、だくだくと音を立ててにごり始める。本当に、全身から血液が失われてゆくような錯覚さえ感じた。

 先程まで談笑の輪が広がっていたお座敷には、まだ半分近くの人間が残っていた。

 だが、もう半分の者達も宗一達を見て立ち上がる。

 当然、彌勒寺ミロクジあいりの姿はない。


「おっ、戻ってきたな? エンジュ君。デルもバズンも」

「二次会、カラオケなんだって? いいねえ、俺達も一緒に移動しようっか」

「バズンさんって、なんか凄い車で来てましたよね、今日……の、乗せてほしいなあ、なんて。あはは……駄目? 駄目、ですかね……?」


 皆、ゲームでは親しい者達ばかりだ。

 逆に、そうでもない関係、むしろ今日になって親しくなったプレイヤー達の姿がない。

 デルドリィードやバズンといった旧知の仲と、その周囲のプレイヤー達しか残っていなかった。日頃の付き合いが浅かったり、いわゆる『』程度の仲でしかない参加者も多かったが……すでに店を出たあとのようだ。

 店の主である父親に確認するデルドリィードは、心なしか顔が真っ青だ。

 そして、逆にバズンにはまだ余裕がある。


「ふぅん、そういうの……お姉さん、許せないのよね。アタシもやられそうになった経験あるから」

「経験? あの、バズンさんっ」

「えっと、エンジュ……とっても不味まずいわ。これ、多分あいりちゃんは――」


 周囲を見渡し、そっとバズンが薔薇色ばらいろくちびるを耳に近付けてくる。

 ふわりといい匂いがしたが、そんなことにもときめけないくらい宗一は動揺していた。そして、耳元でささやかれた言葉に目を白黒させる。


「なっ……!? ……な、なんですか、それ」

「オフはオフ会、パコは……まあ、

「パコパコって……あっ!」


 ちょっと困ったような顔で、バズンが両手でジェスチャーを見せてくる。

 右手で作った輪っかに、左手の人差し指を出し入れする仕草だ。

 あとはもう、宗一でも理解できた……そして、さらなる戦慄によろける。足元が音を立てて崩れ去るかのような、そのまま奈落ならくに落ちてゆくかのような感覚だ。

 それが錯覚だとしても、立っていられない。

 そのまま宗一は、その場にへたりこんでしまった。

 だが、手にはまだスマートフォンが握られている。


「ほらっ、エンジュ? しっかりして頂戴ちょうだい。あなた、あいりちゃんの保護者なんでしょ? なら、やることはわかるわね?」

「は、はい……すぐに連絡を」

「アタシは車を回してくるから……急がないと、本当に手遅れになっちゃうわ」


 バズンはジーンズのポケットから、有名な高級外車のロゴが入ったキーホルダーを取り出す。それはどうやら車の鍵のようだ。

 小さくチャラチャラ鳴るそれを握りしめて、バズンも先程の優美な笑みを引っ込める。

 彼女は周囲の者達にもアレコレと指示を出して、颯爽さっそうと店の外へ出ていった。

 すぐに宗一も、あいりへと電話を試みる。


「くっ、出ない!? あいり、どうしたんだ……早く電話に出てくれっ!」


 回線は繋がり、呼び出し音が耳の奥へと響く。

 だが、あいりが通話に応じることはなかった。

 周囲の仲間達も、各々に消えた連中へと連絡を試みてくれた。


「クソッ、そういや……あいつ等、誰のフレンドなんだ?」

「デルが参加をオッケーしたってことは、悪い連中じゃないんだろうけど」

「中学生をさらっておいて、悪いもクソもあるかよ! ええと、ちょっと待て」

「ゲーム用のLINEラインとかで、誰か繋がってないのかよ!」

「奴等のTwittanツイッタンアカウント、誰か知らないか?」


 ほんのちょっと、目を放しただけだ。

 トイレに立った、そのわずか五分前後の出来事だった。

 だが、それを言い訳にしている余裕などない。宗一はあいりへメールを送って、彼女のSNSを確認する。いつもの好奇心で写真を撮ってUPアップしてればと思ったが、更新はない。

 そして、悪いことに周囲の声がますます危機感を煽る。


「クッソォ、デルのチェックが甘かったんじゃないか? 多分、オフ会初参加の連中だ」

「でも、ゲームの中で人となりは……親切だったじゃないか? ほら、あの武道家の」

「それだよ、それ。やたらあいりちゃんにアイテムみついでたからな……ちょっと気になってたんだ。ネトゲの親切って、アイテムや金銭じゃないかならな。ただ、ちょっと」

「ああ、口を挟むのも差し出がましいよな……思えば俺も、それ見たわ」


 宗一は周囲と協力して、あいり失踪の手がかりを探す。

 だが、あまりにも情報が少ない。

 ここに集まった人間達の本名、個人情報のたぐいを宗一はなにも知らない。ゲームのキャラクターしかわからないのだ。それは、特に親しいデルドリィードやバズンも一緒である。

 だからこそ、現実で会って驚くし、新鮮な喜びで親しさが増す。

 しかし、それでも互いの現実でのアレコレは詮索せんさくしない。

 あくまでゲームの同好の士、それ以上でもそれ以下でもない付き合いが好ましいからだ。


「クソッ、俺はなんて迂闊うかつな……あいり、無事でいてくれよ!」


 デルドリィードが戻ってきたが、長い黒髪を揺らして首を横に振る。

 彼の説明では、姿をくらました連中は最近親しくなった者達で、あいりの親衛隊みたいに取り巻きを形成していたという。そのことで、直接会ってやんわりくぎを刺す意味でも、デルドリィードはオフ会への参加を許可したのだ。

 だが、それが裏目に出た。

 まさかこんなに露骨に、行動を起こすとは思わなかったのだ。

 それほどまでに、ゲームそのままのあいりは愛らしい少女なのもある。

 しかし、モラルのいちじるしい欠如けつじょは、その度合によっては想像不可能だ。


「すまん、エンジュ! 俺のミスだ……少し説教というか、あんまり初心者にバカスカとアイテムをやるなとか……とにかく、そういうのも含めて、話すつもりだったんだ」

「デルドリィードさん」

「みんなも、すまない! クソッ、オフ会が台無しだ……とにかく、オヤジは出てった連中が車を拾ったと言っていた。このままホテルにでも連れ込まれたら……」


 その先は、想像したくはない。

 それなのに、自然と脳裏にヴィジョンが浮かぶ。

 乱暴に着衣を脱がされたあいりが、えっちな同人誌みたいなことをされる。薄い本がアツくなるような、しかし全然嬉しくない展開だ。そういうのは完全な創作の世界だからこそ、楽しいものなのである。

 現実では決して許されない犯罪だ。

 それを再確認して宗一がこぶしを握る。

 その時、不意に周囲の一人が声を上げた。


「あ、あれ? おい……こんなフィギュア、誰か持ってきてたか?」


 誰もが振り返る先、テーブルの上に……小さなフィギュアが立っていた。

 大人気ゲーム、ハンティング・ファンタジアのキャラクターを模した美少女フィギュアである。そして……それは誰が見ても、ゲームの中のあいりそのものだった。


「おいおい、奴等の忘れ物か? これ、そっくりじゃん……なんか、趣味悪いっていうかさあ!」

「待て、触るな……もしそうなら、俺が保管しとくぜ。指紋が取れるし、今後なにかあって警察沙汰けいさつざたになったら、証拠の一つとして提出するべきだ」

「お、さっすがデル! 頭が回るじゃんかよ!」

「……だが、そんな事態は起こってほしくないな」


 自嘲気味に寂しい笑みを浮かべるデルドリィード。

 だが、宗一はすぐにわかった。

 そのフィギュアは、トテトテとテーブルの上を歩き出したからだ。時折ノイズが混じって輪郭がぶれる、それは立体映像である。どこから投影してるのかとも思ったが、瞬時に思い出す。

 あのあいりの、謎のデバイスだ。

 あれは世界中のあらゆる機器を介して、様々なことができる。

 その万能感たるや、正しく未来、それも遠い未来の魔法みたいである。


「すみません、それ! えっと、とりあえず……あいり! 聴こえてるんだろ? お前、ピンチになってここに映像を出したんだよな?」


 小さな立体映像のあいりが大きくうなずく。

 だが、何も喋らない。

 周囲が驚きに混乱する中で、宗一はテーブルに身を乗り出す。


「……声を出せない状況にいるんだな? 車で移動中か? 場所はわかるか?」


 小さなあいりは再度頷く。

 そして、自分の隣に新しい映像を現出させた。

 普段より画質が荒いのは、恐らく例のデバイスにも限界があるのだろう。あいりの分身をここに送り込むのも、ひょっとしたら苦しい状況なのかもしれない。

 新たな映像は単純な地図で、その中を輝く光点が移動していた。


「お、おいエンジュ……」

「デルドリィードさんっ! 皆さんも! あとで色々説明します。けど、協力してください。あいりを……俺はあいりを助けたい! 守りたいんです!」

「それは俺も、俺達も同じだ! クッ、とりあえずこのフィギュア? な、なんだこれ……実体がないぞ、これは……3D、立体映像なのか!?」


 デルドリィードが小さなあいりに触れようとして、その手が透過とうかする。

 驚く彼の背後で、戻ってきたバズンが静かに声をかけてくれた。

 彼女はまだ、余裕を見せている。年長者特有の、落ち着いてみせるという気概きがいが感じられた。だが、その底でたぎいきどおりを宗一は確かに感じていた。


「ちょっとデル、落ち着いて。キャラ、ぶれてるわよ? ほら、しっかりしなさいな、主催者の大魔導師だいまどうしさん?」

「……フッ、そうであったな。われとしたことが。バズン、車を出せるか?」

「スタンバってるわよん? エンジュもいい? 他のみんなはここに残って連中のSNSアカウントを探して頂戴。彼等とのちょっとした会話、ゲーム内で過ごした数分の中に……もしかしたら、キーワードが散らばってるかもしれない」


 他のメンツは「よっしゃ、片っ端からググるぞ!」「なにかわかったら連絡します!」とスマートフォンに向かい始めた。

 宗一は小さなあいりが手に乗るのを待って、立ち上がる。

 いたいけな少女が、悪い大人の毒牙どくがにかかるまえに……絶対に助け出さなければならない。ゲームの中で勇敢な女騎士であるように、宗一は彼女にとっての騎士ナイトでなければいけないからだ。

 こうして宗一は、デルドリィードとバズンに連れられ、居酒屋山猫亭やまねこていを出るのだった。

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