第16話「世界を広げる少女、あいり」

 晴天……今日も電子の巨塔、東京ユグドラシルがよく見える。

 彌勒寺みろくじ御屋敷おやしきから、電車で30分。

 普段は多くのサラリーマンでごったがえす新宿駅は、休日の昼前で別種の混雑を見せていた。4年前の東京オリンピックを契機に増えた、無国籍な観光客達。そして、街の景観にいろどりをえる、ファッショナブルな若者達だ。

 Tシャツにジーンズと冴えない格好の阿南宗一アナミソウイチは、好天の下で少し辟易へきえきする。

 賑やかな場所は、少し苦手だ。


「先輩っ、先輩先輩、せんぱあああいっ、宗一先輩っ!」

「なんだよあいり、テンション高いよ……た、高いん、だよな?」

「はいっ。ここは……人が沢山います。王都おうとベルゼルハイムのお城みたいですっ」

「ゲームより大勢いるだろ? 迷子になるなよー」


 宗一のとなりには、目を丸くして周囲をキョロキョロする、彌勒寺ミロクジあいりの姿があった。

 今日はハンティング・ファンタジアのフレンド同士のオフ会である。先程の会話でわかるように、あいりは宗一以上にゲームにどっぷりな日々が続いているようだ。ちなみにベルゼルハイムとは、ゲームの中でプレイヤー同士が待ち合わせなどに使う巨大な中心都市である。

 そのサーバ内の混雑も、休日の新宿に比べれば雲泥うんでいの差だった。

 そう思っていると、がっし! とあいりが宗一の手を握ってくる。


「お、おいおい……どした?」

「手を、繋ぎましょう。宗一先輩が迷子になったら、大変ですっ」

「……お前が言うな、つーか、そ、その、あのなあ」


 今日のあいりは、空色のワンピース。

 抜けるようなスカイブルーはとても目立つ。

 行き交う誰もが、可憐かれんなあいりの姿を振り返った。

 その華やかさから目をそらしつつ、ふと宗一は思い出す……眼鏡めがねで隠した、あいりの透き通った目を。あおあおく、どこまでも深い翡翠ひすいのような瞳。彼女は何故なぜか、特殊なレンズの眼鏡で瞳の色を隠しているのだ。

 あとから聞いて知ったが、やっぱり伊達眼鏡だてめがねだった。


「さ、先輩。行きましょうっ。集合時間に遅れてはいけないですっ」

「お、おう。って、おい! そんなに引っ張るなって!」

「大丈夫ですっ。平気、ですよ? それにしても、凄い人……先輩、手を離さないでくださいねっ」

「……どうしてそう、自信たっぷりなんだお前……数える程しか外出したことがないのに」


 あいりは左手でギュムと宗一の手を握り、右手のデバイスに光を走らせる。

 あっという間に光学映像で地図が表示された。


「表示、3D。目的地までのナビを開始っ」


 あいりの言葉で、俯瞰視点ふかんしてんの地図がオブジェクトを再構成する。

 この混雑の中、あいりの美貌びぼうに振り返る誰もが言葉を失った。

 精密な新宿駅周辺の立体映像を、まるで箱庭のように広げる謎のデバイス。とんでもない性能のそれは、あいりをどんどん宗一ごと目的地へみちびいていった。

 新宿駅を出て、繁華街はんかがいの中を歩くこと、5分少々。

 目的地への到達を示すチャイムが鳴って、ナビの映像が消える。

 同時にあいりは、目の前の店を見上げた。


「ダイニングキッチン、山猫亭やまねこてい……先輩、ここですっ」

「お、おう。居酒屋か」


 丁度昼時で、休日のランチタイムは混雑している。

 どうやら昼間はお酒より食事をメインに出しているようだ。

 この場所は、今回のオフ会の主催者であるデルドリィードが指定した店だ。今日は人数が多くて、30人前後が集まる。会費は2,000円で、食事をしながらの懇談会みたいなものだ。

 改めて宗一は、ワクワクが隠せないあいりの頭をポンと叩く。


「いいか、あいり。何度も言ってきたけど、今日は気をつけろよ?」

「はいっ。気をつけて楽しみまっす」

「まず、お前も俺も未成年だ。勧められても絶対にお酒は駄目。いいな?」

「はいっ。わたしや宗一先輩が倒れちゃったら、皆さんに迷惑がかかります。それに、ゲームと違って未成年の飲酒は駄目ですよね? 飲ませた人の責任も問われますっ」

「お、わかってんじゃん。それと……あ、あんまし俺から、離れるなよ?」


 宗一の一番の心配事は、ここ最近のあいりのゲームでの評判だ。

 今日は、彼女が『阿南あいり』というキャラクターの中の人だと知れるだろう。まあ、あのデルドリィードが募る集まりなので、せいぜい「おいおいリアルネームキャラかよ、小学生かっ!」程度のいじられ方で笑って済まされると思う。

 だが、それでも注意したほうがいい。

 すでにあいりは、宗一の知らないところでゲームを遊びまくっている。

 どこでどんな評判を得ているか、そしてどんな人と現実で関係性が構築できるか……それは全て、これからのオフ会の数時間にかかっているのだ。

 そんなことを考えていると、和風な構えの扉がガラガラと開いた。


「フッフッフ、今宵こよいのオフ会の参加者だな? 我が招聘しょうへいに応えし勇者よ、よく来たっ!」

「あ……えと、あの……デルドリィード、さん? だよな? な、なんとなく」

「うむっ! 我こそは大魔導師デルドリィード! そなた、名は……この現世うつしよで与えられし、たましい真名なまえを聞かせてもらおうか!」


 間違いない。

 間違えようもない。

 この気取って芝居しばいがかった物言い、デルドリィードだ。

 ゲームのキャラクターそのままの、この世でただ一人のデルドリィードがそこにはいた。

 驚きのあまり、宗一は固まってしまった。

 繋いだ手を握ったまま、あいりも目を丸くしてまばたきを繰り返す。


「え、えっと……本当にデルドリィード、なんだよな?」

「先輩っ、この人」

「待て! 言うなあいり……ネトゲではな、こういうことはある。ままある! まれによくあるんだ!」


 二人の目の前に、普段の頼れる上級プレイヤーが立っている。

 長い黒髪にゴシックロリータのエプロンドレスを着た、

 腕組みフフンと鼻を鳴らす彼女の、ややハスキーな声が響く。


「我が友エンジュよ、はじめましてだな! そして、そっちは最近腕をあげている新進気鋭の神官……阿南あいり! フッ、知己ちきとして歓迎しよう」


 デルドリィードは、ゴスロリ美少女だった。

 ちょっと、信じられない。

 だが、これがネットと現実のギャップであり、大なり小なりだれでもあることだ。あいりが別段大げさなショックを受けていない反面、宗一は言葉もない。

 絶対に同じ男だと思っていたのだ。

 中二病ちゅうにびょうをこじらせた学生さんだと思っていた。

 外見年齢は宗一より少し上くらいだが、歳以外なにもかもが予想外だった。

 立ち尽くしていると、デルドリィードの背後で壮年の男性が顔を出す。エプロン姿は、おそらくこの山猫亭の料理人だ。

 彼は仁王立ちのデルドリィードを見て、やれやれと溜息ためいきこぼした。


「おいおい、三郎サブロウ。お客さんだろ? お前、オフ会とかってのに奥の座敷を使うって……いいから店に入ってもらえ。とうちゃん、今日は腕を振るうからな。ささ、いらっしゃい! 入ってくれ!」


 デルドリィードは、不遜ふそんな笑顔のまま固まった。

 そして、咄嗟とっさに振り向き声をあげる。


「オヤジッ! あ、いや、父上! 我の名はデルドリィード、暗黒の力を極めし――」

「おいおい三郎、父ちゃんゲームの話はわかんねえよ。お前の女装趣味もな。けどまあ……なんかお前、死んだかあちゃんに似てきたなあ。ま、元気が一番だ! ガッハッハ!」

「あ、え、お、おう……で、あるからして! うむ! と、とりあえず店に入るがいい、勇者達よ!」


 二度目のショックが宗一を襲った。

 通りで声が低いと思った。

 デルドリィードの正体は、ゴスロリ美少女。にしか見えない、。ほぼ同世代なのに、どこかぼんやりした宗一から見ても、同性とは思えない。

 そのデルドリィードは、顔を真っ赤にしつつキャラを取り繕っている。

 そこへ、無慈悲むじひなあいりの追い打ちがクリティカルヒットした。


「こんにちは、おじさんっ。いつも三郎さんにはお世話になってますっ」

「おう、おじょうちゃん、いい挨拶だな。いらっしゃい」

「三郎さんはいつも、わたし達に親切です。今日は一緒にゲームを遊んでる友達と、こうして直接会えるので楽しみにしてましたぁ」

「だってよ、三郎! よかったな、ガハハ! さ、入った入った!」


 かわいそうに、デルドリィードもとい三郎はうなだれてしまった。

 あいり、ド天然過ぎるその無垢むくな無邪気さは……時に心をえぐって穿うがつ凶器である。


「フ、フフ……フハハハハッ! 我が名は大魔導師デルドリィード! 三郎などという名、そしてこの肉体は仮初かりそめめのものに過ぎん! ささ、エンジュ! そして阿南あいりよ……入るがいい」


 ギリギリで心のバランスを保ちながら、デルドリィードが店の奥へ案内してくれる。

 店内はカウンター席の椅子が10個前後、そしてテーブル席が同じくらいあって広く感じる。小上がりの座敷も奥にあって、一番広い部屋には既に何人かが集まっていた。

 おそらく、オフ会のメンバーだ。

 三郎ことデルドリィードの声に、誰もが立ち上がって振り返る。


「あ、ども……エンジュの中の人です。えっと……宗一って呼んでください。あいり、ほら。挨拶」

「は、はひっ! えと、んと、いつもお世話になってますっ。阿南あいりです。あいりって呼んでくださび!」


 

 盛大にんだ。

 笑いが沸き起こる中、すぐにあいりの周囲に皆が寄ってきた。


「えっ、あいりちゃんって何歳? すっごい若いね」

「うわー、キャラクターにそっくり。ってか逆か、キャラクターがあいりちゃんにそっくりなんだね」

「よろしくね、いつもゲームの中では色々ありがとう」

「ちょっと前まで初心者だったのに、随分レベルアップしたもんね」


 どうやらすぐに打ち解けられそうだ。

 安心していると、デルドリィードが背後に立つ。


「……我が友エンジュよ……我の名はデルドリィード、森羅万象しんらばんしょうをも掌握しょうあくする大魔導師」

「お、おう……えっと、その」

「我の三郎なる名はいつわりに過ぎぬ……勿論もちろん、性別など些細ささいなこと。故に」

「ア、ハイ。いや、わかってますって……秘密、なんですよね? デルドリィードさん」

「おお! 心の友よ!」


 肩を抱いてくるデルドリィードが、本当に同じ男だとは少し思えない。

 だが、メイクや服装、チョーカーなんかで極力男らしさを消す努力をしているのだろう。

 こうして宗一は、笑顔のあいりと一緒に楽しいオフ会の一日へと飛び込んでゆくのだった。

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