第15話「碧い瞳の少女、あいり」

 あの日、阿南宗一アナミソウイチは確かに目撃した。

 ぽややんとしたド天然の不思議ちゃん少女、彌勒寺ミロクジあいりの怒りを。

 彼女が怒ることなど、ないと思っていた。

 だが、その怒りは苛烈かれつなものだった。

 あわれ昔のクラスメート達は、全員揃って携帯電話を破壊されてしまった。内側からかれてしまったのだ。あいりの謎のデバイスをもってすれば、それは容易たやすいことだった。

 だから、宗一は恐ろしい。

 そして、何故なぜか少し嬉しかった。


「おーい、あいり……は、入るぞ?」


 今日も今日とて、宗一は彌勒寺の御屋敷に来ていた。

 あれからもあいりは、変わらず宗一の生徒でいてくれる。素直で飲み込みがよく、無防備に先輩と呼んでなついてくる少女。

 嫌いになれる筈がない。

 ノックをしても返事がないので、宗一はそっとドアを開いた。

 いつも通り片付いた部屋には、瑞々しい清潔感が満ちていた。


「……なんだ? 寝てるのかよ、あいり」


 静かに足音を殺して、宗一は恐る恐る部屋へと入る。

 ベッドの上で、あいりが安らかな寝息をたてていた。

 以前、宗一がプレゼントしたスウェットを着ている。その薄い胸が、ほんの僅かに上下していた。お腹の上で手を組んで、仰向けに眠るこの家の御嬢様おじょうさま

 まるで、ひつぎに寝かされた白雪姫のようだった。


「あちゃー、Sサイズでも少し大きかったか? そういや、千依チヨリも言ってたな……ちっちゃいと結構、服を探すのも大変だって」


 宗一がプレゼントしたのは、Sサイズのスウェットだ。だが、それでもほんの少しそでが余っている。幼馴染の水瀬千依ミナセチヨリも、サイズがないといつも愚痴ぐちを零していたのを思い出した。

 まるでスウェットに着られているのが、あいりの方のようだ。

 それでも彼女は、穏やかな寝顔で時々むにゃむにゃと寝言を呟く。

 言葉にならない声が、きりのようにけむって宗一の鼓膜を優しくでた。


「……眼鏡めがね、外して寝ろよな……まったく」


 そっと宗一は、ベッドの上へと身を屈める。

 どういう訳か、あいりは眼鏡をしたまま眠りこけていた。

 このままでは、寝返りを打ったりしたらフレームがゆがんでしまう。

 だが、どういう訳か眼鏡を外そうとするだけで、宗一の心臓は不用意な高鳴りを響かせる。変な緊張感に、思わずのどがゴクリと鳴った。

 そっと起こさぬように、両手で眼鏡に触れる。

 静かに外しかけた、その時だった。


「……ん、ぁ……? 宗一、先輩?」


 あいりがゆっくりとまぶたを開いた。

 眠たげな声に、桜色のくちびるが小さくもごもごと動く。

 そして、宗一は言葉を失った。

 辛うじて絞り出した声が、驚きに震える。


「お、おう……あいり、お前……目が」


 うるんだひとみに、宗一の顔が映っていた。

 眼鏡のレンズを介さぬあいりの瞳は、深い深い碧色みどりいろだった。

 限りなくあおく、抜けるように透き通った碧色。

 まばたきせずに見上げてくる双眸そうぼうの中に、絶句する自分の顔があった。


「先輩? あの」

「あ、ああ! いや、違うんだ、あいり! これは!」

「えと、んと……ど、どうぞ」

「どうぞってなんだ、おいっ!」

「続き、どうぞ?」

「なんの続きだ! 俺はただ、寝てるなら眼鏡をと思って」


 しどろもどろになりながらも、宗一は手を放して後ずさる。

 眼鏡をかけ直して起き上がるあいりは、心なしか残念そうにプゥと頬を膨らませた。なんでそんな、不満たっぷりな顔をされるのかわからない。

 だが、眼鏡をかけた彼女の瞳は、普段と同じいつもの色だった。

 漆黒しっこくの目が、何度もまばたきながら宗一を見詰めてくる。


「見間違い……か? いや、でも」

「先輩……? あの、さっきのは」

「いやっ! けしてやましい気持ちは! やらしい気持ちも! これっぽっちも、ないぞ!」

「……そう、ですか」


 もそもそとあいりは、ベッドから降りてきた。

 まだ少し眠いのか、夢見心地といった感じである。

 宗一は何故か、変に狼狽うろたえてしまって目を反らした。


「さ、さあ、勉強しようぜ! うんうん、今日はなにを教えるかな、ハハハ、ハハ……」

「……あぃ。勉強、します」

「ど、どうした? あいり、元気ないな! まだ寝ぼけてるのか?」

「そうでも、ないです、けど……あっ、そうだ」


 あいりは思い出したように、ぱむ! と手を叩いた。

 そして、いつもの彼女に戻ったように見える。

 宗一も安心して、妙に落ち着かない自分を隠しおおせたのだった。


「先輩っ、オフ会ってなんですか?」

「オフ会?」

「ですですっ、オフ会です。わたし、この間ゲームで、ハンティング・ファンタジアでオフ会? っていうのに、誘われちゃって」

「……怪しい集まりじゃないだろうな。すっげえ心配なんだけど」

「先輩が紹介してくれて、仲良くしてもらってる人、ですよ? ええと……デルドリィードさんですっ」

「ああ、デルドリィードか」


 キャラクター名、デルドリィード。大魔導師ウォーロックを自称する宗一のゲーム仲間である。その言動は仰々ぎょうぎょうしくて芝居しばいがかっており、見事な演じっぷりだ。俗に言う『』と呼ばれる人種で、自らが設定したキャラクターになりきっているのだ。

 だが、それでいてデルドリィードはネットマナーにも精通しており、紳士的である。

 恐らく過去にも多くのネットゲームを遊んだことがある、上級者なのだろう。

 宗一とは古くからのゲーム仲間で、共にパーティーを組むフレンドでもある。


「ま、大丈夫だとは思うけどさ……あいり、行きたいのか?」

「はいっ。父様は、宗一先輩の許可が出ればいいって」

「おいおい、おじさんは俺に丸投げかよ。……ま、信頼されてるってことか」


 あいりの父親、彌勒寺恭也ミロクジキョウヤは宗一にとっても保護者だ。

 物心つく前に両親に先立たれた宗一を、昔から支援してくれている。施設から出ての生活も保証してくれたし、不登校な現状に対しても性急なことを言ってはこない。

 宗一の自主性を信じつつ、心配してくれているのだ。

 そんな彼が、愛娘に対してのおおらかな態度……それも恐らく、家庭教師たる宗一への信頼なのだと思った。


「んじゃ、行ってみるか? いつだよ、オフ会」

「次の日曜日ですっ」

「ほうほう……あ! そ、そういえば……確か、デルドリィードからゲーム内でメールが来てたような……オフ会のお誘いがあったような」

「バズンさんも来るですよ? ふふ、ゲームの外で会うのって、なんだか楽しみですね、先輩っ」

「バズンもか……そういや、二人とはリアルで会ったことがなかったな」


 バズンとデルドリィードは、ゲーム仲間だ。

 だが、取り立ててお互いを詮索せんさくすることはなかったし、その時その時でちょこちょこ現実の話をすることはあっても、それを掘り下げることはしなかった。

 だから、宗一は二人がどんな人間なのかをしらない。

 ただ、良識あるゲーマーで、とても気持ちのいい人間だとわかっている。だから、あいりがオフ会の話を持ち出した時も、二人の名前を聞いて安心したくらいである。


「よし、じゃああいり……行ってみるか? オフ会」

「行きたいです、行きたいですっ。……先輩と、行きたいです」

「当たり前だろ? 俺もついてく。お前は目を離すと、なにをするかわからないからな」

「はいっ」


 にふふと笑って、なんだかあいりはゴキゲンだ。

 彼女は少し大きめなサイズのスウェットで、そのまま机へと向かう。

 だが、勉強の準備をしながらも彼女は、思い出したように振り返った。


「そういえば先輩、最近ゲームの中にいないです……ハンティング・ファンタジア、もっと先輩と遊びたいですっ」

「ああ、悪い悪い……ちょっとなんか、色々と考え事があってな」

「そう、ですか?」

「まあ……あいり、こないだコンビニに行っただろ? あの連中、俺のクラスメイトなんだよ。で……あいつ等になんつーか、ちょっといじめられてた」

「そういう感じでしたっ! だからわたし、許せないですっ」


 だが、両のこぶしを握って意気込むあいりの、そのひたいをペイ! と指で弾く。

 そうして宗一は、ここ最近の悩みを打ち明けた。


「あのなあ、あいり。お前、凄いデバイス持ってるのはわかったし、それがとんでもない力を秘めてるのもわかった。けどな」

「けど、な? ななな?」

「あんまし力を安易に使うなよ? こないだもほら、あいつの携帯が」

「はいっ、携帯をやっつけましたぁ。綺麗さっぱり中身を消し飛ばしたんですっ」

「そういうの、よせよ。あいつ等だって困るだろうさ」


 実は、その後にSNSで接触して宗一は知っていた。足跡を残さず、クラスメイト達のその後を調べていたのだ。

 やはり、あの場所にいた全員が携帯電話を物理的に破壊されていた。

 のみならず、データも綺麗サッパリ消し飛ばされていたというのである。

 そのことで久々に、宗一の話題で彼等は盛り上がっていた。だが、学校にいない人間にはなにもできない、そこまで積極的ではないのが連中である。


「いいか、あいり……あんまし無闇やたらと力を使うな」

「でもでもっ、あの人達は悪い人ですっ。先輩に酷いことした人、ですっ」

「それでもだ。悪い人をやっつけるために、あいりまで悪い人になる必要はないだろ? 気持ちは嬉しいからさ、あいり……ちゃんとお互い、考えて行動しようぜ」


 あいりは少し考え込む仕草を見せたが、大きく何度も頷いた。

 そんな彼女がやっぱり、かわいいなと思う宗一なのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る