第14話「時には怒る少女、あいり」

 コンビニエンスストア……通称、コンビニ。

 昨今さっこんの日本にとって、もはやインフラの一つと言ってもいい営業形態の店である。24時間いつでも、食料品や飲料、雑誌にちょっとした日用雑貨、下着まで売っている。

 そのコンビニを知らないと、彌勒寺ミロクジあいりは言うのだ。

 これはもう、社会勉強の時間だと阿南宗一アナミソウイチは思った。

 そんな訳で、二人は御屋敷から一番近いコンビニに来たのだった。


「わぁ……先輩っ、宗一先輩っ! これが……コンビニエンスストアなんですねっ」


 結局、あいりは先日買ったよそ行きの服を着てきた。

 スウェットで外出しようとしたら、こわーいメイドのお姉さんににらまれたのだ。一番のメイドがしらである小鳥遊華梨タカナシカリンが、まるで厄介事やっかいごとを見るように宗一をすがめてきたのは、しばらく忘れられないだろう。美人が台無しの、女の人がしてはいけない顔をしていたから。

 だが、外出に関しては割とあっさり許可された。

 華梨も、あいりが家から出られない現状はあまりいいとは思っていないようだった。


「おーい、あいり。走るなよ。それとな、お前の右手のデバイスだけど――」

「すごいですっ、本当になんでも売ってますねえ。あっ、そだ」


 宗一が止める間もなく、あいりが右手を天井へと突き上げる。

 手の甲のレンズが光って、無数の光学ウィンドウが広がった。どれも全部、カメラアプリだ。突然のことに、レジの店員さんが目を丸くして固まってしまった。

 あわてる宗一をよそに、あいりは写真を撮りながらチョロチョロと奥へ歩き出す。


「だからっ、写真は! ああもうっ」

「わあ、お弁当が沢山……それに、これは……おにぎりですねぇ。あ、こっちはなんでしょう」

「ま、待てって! あいり!」

「おおー、お菓子が沢山……どれも食べたことがないお菓子です。先輩っ、見てくださいこれ! お菓子が沢山ありますっ」


 あいりは瞳をキラキラさせながら、満面の笑みだ。

 だが、見ている宗一は気が気じゃない。

 店員がようやく我に返って、ゴホン! と咳払せきばらいを一つ。だが、あいりは気にせずコンビニを堪能中だ。宗一は逆に、ひたすら恐縮して店員に頭を下げるしかできない。

 それだけ、あいりにとってはコンビニは別世界なのだ。

 そもそも、前日の買い物が生まれてはじめての外出だったから。

 彼女は自分の周囲にカメラアプリのフレームを無数に散りばめ、上機嫌で舞うように歩く。ほのかに輝き浮かぶ光学ウィンドウが、まるで彼女を照らすスポットライトだ。


「あっ、本もあります。……おやおやぁ、先輩っ。これ、漫画本じゃないでしょうか」


「そ、そうだな。それより、あいり……あのな」

「わたしっ、漫画本って初めて見ますっ。凄い……これが、漫画雑誌」

「まて、写真を撮るな! ……いいか、あいり。前も言ったかもしれないけどな、よく聞け」


 あいりはマイペースで突飛なことばかりするだが、宗一が言葉を選べば必ず耳を傾けてくれた。今も、周囲のカメラアプリを消してこちらへと向き直る。

 じっと見上げてくるあいりに向かって、宗一は人差し指を立てながら話した。


「いいか、あいり。写真が好きなのは、わかる。俺もまあ、好きだ。だが、なんでも無闇に撮影しちゃ駄目だ。

「なるほどぉ」

「書籍ってのはな、全部中に書いてある情報にお金が払われるんだ。それを写真で勝手に取り出しちゃったら、それは泥棒と同じさ。な? あいりは泥棒じゃないだろ」

「はいっ。わっかりましたっ、先輩。写真は、あとで買ったものだけにしますっ」

「ん、それがいい」


 にっぽりとあいりは、ゆるい笑みを浮かべて大きくうなずいた。

 素直でかわいい、いつものあいりがそこにはいた。

 大変よろしい、と宗一も腕組みうんうんとうなる。

 だが、あいりはツツツと手を伸べ、雑誌が並ぶ棚の奥へと進む。


「先輩もまあ、好き……写真、好き……こういうのですかぁ? 先輩っ」

「いやあ、やっぱりガチャですげえレアが出たりすると、スクリーンショットを……ん?」


 あいりが手にしているのは、ちょっとオトナなグラビア雑誌だ。

 そう、表紙こそ水着姿のおねーさんだが、中身は袋とじがあったり、赤裸々せきららな一夜のアレコレがつづられているものである。

 慌てて宗一は、あいりの手からグラビア雑誌をひったくる。

 だが、瞳をキラキラさせて彼女は鼻息も荒く、ムフー! と迫ってきた。


「宗一先輩っ、わたしが買ってあげましょうか! 大丈夫ですっ、そういうのに理解ありますからぁ」

「い、いらんっ!」

「あ、こっちには漫画のもありますよぉ。なんか、ちょっと? んー、すっごく? えっちぃですねー」

「やめい! お前にはまだ早い!」


 そんなことをワタワタとしていた、その時だった。

 どやどやと高校生の一団が入ってきた。

 男女合わせて五、六人程のグループで、そういえばちょうど下校時間の昼下がりだ。加えて言えば……微妙な距離だが、宗一の通っている高校からもこのコンビニは近い。

 通っていた高校、と心の中で過去形に訂正しつつ、思わず宗一は背を向ける。

 だが、向こうが勝手に気付いたことで、顔見知りだとわかってしまった。


「おっ? おいおい、お前もしかして……阿南かぁ?」


 聞き覚えのある、声。 

 常に嘲笑ちょうしょうをはらんだ、数をバックに響いてきた声音だった。

 恐る恐る振り返ると、やはり昔のクラスメイトだ。二年生への進級はクラス替えがなかったので、そのまま一年生からスライドした顔ぶれがそこにはいた。


「お? なになに? って、阿南じゃん。お前、なにやってんの?」

「学校にもこねーでさあ……ってか、あれか? 俺等がちょっといじり過ぎた? 的な?」

「それ言うー? あーし達から言っちゃうー? あははっ、ウケルー!」


 この集団が、宗一を長らくさいなみ傷付け、学校から追い出した張本人達だ。成績や外見、あとはノリとかいうよくわからないものを使って、スクールカーストの頂点に君臨する生徒達である。いな……彼等が頂点であるために、スクールカーストが生み出されたのだ。


「あ、そうそう……お前さ、阿南。学校来いよ。もうターゲット、移ったからよ」

「そだよー? なんか、あーし達が追い出したみたいで感じ悪いじゃん?」

「そうだぜ? ほら、この写真見ろよ……今はもっと面白くてさ、な? いいから見ろって」


 当たり前だが、宗一を前にしても悪びれた様子が全く無い。

 むしろ、自分達が意図的に一人の人間を排除したという自覚すら、感じられなかった。

 そして、悔しいが宗一は身を固くしてうつむいてしまう。

 そんな時、あいりが左手で宗一の右手を握ってきた。


「先輩っ、この人達は誰ですか?」

「あっ、あいり……その、ええと」


 小さくて柔らかくて、温かいあいりの手。

 その手を握り返すこともできず、宗一はしどろもどろになる。

 そして、そんな醜態しゅうたいを見せれば、いよいよいじめっ子達は面白そうに近寄ってきた。


「えっ、なになに? 阿南のカノジョ? ってか、お子様じゃん」

「なぁに、モテないからってエンコー? マジやばーい!」

「ははっ、面白え。拡散、拡散っと――」


 一人の男子が携帯電話を向けてきた、その時だった。

 あいりは普段のぽややんとした雰囲気が嘘のように、りんとした声を静かに響かせた。


「勝手に写真撮っちゃ、駄目なんです、よ? いけないですっ! めぇーっ、ですぅ」

「おっ? よく見りゃかわいいじゃん。ねね、歳はいくつ? 阿南なんかより」

「カメラを向ける時は、よく考えないと駄目ですっ! 宗一先輩がそう言ってました!」


 あいりが右手を相手へ向ける。

 開いた手の平を見て、一団は互いの顔を見合わせた。

 だが、宗一は息をむ。

 逆にあいりと自分に向けられた手の甲……例のレンズ状のデバイスが光り出す。

 次の瞬間、異変が起こった。


「ぅっち! アチチ……な、なんだ? 俺のスマホ……お、おいおい、どうしたよこれ」


 突然、カメラを向けてきていた男子がスマートフォンを取り落とした。

 煙をあげるそれは、げ臭い異臭を放ちながら床に転がる。

 続けて、次々と目の前の一団はスマートフォンを手放した。どれもブスブスと小さな煙をくゆらせている。顔を見合わせる男女に、あいりはハッキリと言い放った。


「悪い子には、スマートフォンなんか持たせてあげませんっ。わたしが、えっと……わたしが、チン! しときましたっ!」


 そう言って、あいりは「失礼しまっす!」と宗一の手を引っ張り歩き出す。

 その時初めて、宗一はさとった。

 あいりは怒っているのだ。

 宗一のために怒ってくれたのだ。

 そして……彼女の怒りが、あのデバイスの力をまた一つ、引き出した。外部からのアクセスで、恐らくバッテリー等の内部機器を熱によって破壊したのだ。

 そんな恐ろしいことを、あいりが……だが、宗一は手を引かれるまま歩く。


「……へえ、なんだそら? 面白えじゃん、チビガキが」

「面白くありませんっ。さ、先輩っ! 行きましょう。もうコンビニは見ましたし、今日はお部屋に帰って、また勉強を見てほしいですっ。……先輩?」


 ようやく宗一は、あいりの手を握り返せた。

 そして、立ち止まると振り返る。

 ギュムと握ったあいりの手から、見えないなにかが注ぎ込まれてるような気がした。


「ちょっと待て、あいり。……あのさ、お前等。くだらないこと、もうやめろよ。居場所をなくすのなんか、俺だけで十分だからさ」

「な、なんだよ……阿南。そうマジになるなって。な?」

「今マジにならないで、いつなるんだよ。言うの、遅いけどさ……遅過ぎはしないから。お前等、くだらないよ」

「……学校にはも、戻らねーんだな? なら、今のターゲットは――」

「アホくさ……一生やってろよ。けどな、俺は今はこいつの……あいりの先生なんだよ。あいりの前じゃ、少しはシャンとしてないと駄目だからさ。そんだけだ」


 宗一は、驚き目を見開くあいりの手を、今度は逆に引いてコンビニをあとにした。

 何故なぜか嬉しそうに、あいりはぴったり身を寄せて、繋いだ手をギュムと握り締めてきたのだった。

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