第13話「やっぱりおかしい少女、あいり」

 はじめての外出以来、彌勒寺ミロクジあいりは上機嫌だった。

 それは、ほぼ毎日会ってる阿南宗一アナミソウイチにはわかる。というか、わかりやす過ぎて若干引く。本当にあいりは、満面の笑みで浮かれていた。

 学力の方も問題なく、勉強も順調に進んでいる。

 ただ一つ……たった一つ、宗一には気になっていることがあった。


「なあ、あいり」

「はい? なんですかっ、宗一先輩」

「あのなあ……」


 今日も今日とて、机に椅子を並べて隣に座っている。

 宗一をきょとんと見上げてくるあいりは、眼鏡の奥で大きな瞳をしばたかせた。

 不思議そうにしてるのは、多分宗一が眉間みけんにしわをよせてるからだ。


「昨日も言ったよな、あいり」

「なにを、ですか?」

「その格好! なんでお前……! 買った服は!」


 そう、あいりは今日もパジャマ姿だ。

 しかも、ちょっとフリフリでかわいいやつだ。

 ピンク色のワンピーススタイルで、それはもう少し大人びて色っぽいとネグリジェに見えるかもしれない。そういう色香いろかの過剰な雰囲気はないが、フリルとレースのついた、いかにも御嬢様おじょうさまっぽいものである。

 あいりはじっと宗一を見詰めて、しばし黙考したあとに口を開いた。


「これ、あの時に買ったやつですよ?」

「そういう話じゃなくてだな……」

「かわいく、ないですか?」

「……ま、まあ、その……かわいい、けど。だから、困るんだけど、さ」

「困るんですかっ!?」


 不意にグイとあいりが身を乗り出してきた。

 それが一番困った。

 眼の前に精緻せいちな小顔があって、鼻息も荒く詰め寄ってくる。肌を撫でるあいりの呼気が感じられて、思わず宗一は目を逸らした。


「いや、まあ……そこまでは、困らないけど」

「どこまで困ってますか? やっぱり、パジャマは寝る時以外は着ない感じですか?」

「そりゃな。……ああ、そうだ。そんなお前に渡したいものがある」


 宗一は慌てて椅子を立つと、自分のリュックから包みを取り出す。

 ユニクロで買ったもので、取り立てて高価でもないが、あいりのために用意した品だ。


「俺、バイト代入ったからさ、こないだ。ほれ、お前にやる」

「こ、これはっ」

「い、いいから開けてみろよ」

「はいっ! 宗一先輩、ありがとうございますっ」


 ガサガサと紙の包装を、丁寧ていねいにあいりががしてゆく。

 その、意外と不器用な手付きをみながら、宗一は改めて隣りに座った。


「なあ、あいり……お前さ」

「はいっ」

「弟とか。いるのか?」

「弟、ですか? えっと、どうでしょう」

「いや、お前んちの話だろ。どうでしょう、ってことはなくないか?」

「父様から、そういう話は聞いてないです、ね」


 以前、あいりの父親でもあり、宗一の保護者でもある彌勒寺恭也ミロクジキョウヤの仕事部屋で見たのだ。それは、七五三しちごさんと思しき写真。晴れ着を着たあいりの側には、小さな男の子がいた。

 どこかで見たことがあるような面影の男児は、年の頃は四つか五つくらいだ。

 あいりは手を止め、「んー」と考え込む。


「お前んち、というのは……ここ、ですよねえ。わたしの、家族……んー? んんん?」

「いや待て、お前はおじさんの……彌勒寺恭也の娘だろう?」

「そですよ? でも、父様は忙しくてなかなか会えないし……はっ! もしかして」

「どした、なんか心当たりがあるか?」


 神妙しんみょう面持おももちで、あいりは再び顔を近付けてくる。

 いつもそうだが、無駄に顔が近い。

 今度はもう、鼻と鼻とが触れる距離だ。

 だが、そんな間近に迫って、あいりはとんでもない一言を言い放つ。


「つまり、父様には隠し子がいるっ、て……こと、でしょうか」

「いや、それは……どうかな、わからんけど」

「父様に隠し子……はっ、そういえば……」

「そういえば?」

「心当たりが、なきにしも、あらずんば、虎子こじず、的な」

「いや、訳がわからんのだが」


 フフン、と笑ってあいりは離れるや、腕組み胸を反らす。

 こういう時の彼女が、トンチキなことを言うのを宗一は経験則で知っていた。

 そして実際、彼女はとんでもないことを言い出す。


「謎は解けましたっ。つまり、父様が突然呼び込んだ男の子、我が子も同然に扱ってる男の子……それはっ」

「それは?」

「ずばり、宗一先輩っ! 先輩が父様の隠し子っ!」

「おい待てぇ!」


 だが、否定する根拠が万全ともいえない。

 宗一は物心付く前に両親を亡くし、施設で育った。そんな宗一をバックアップしてくれたのが、恭也……つまり、あいりの父親である。

 これが映画やドラマの脚本なら、さぞかし盛り上がる衝撃的な展開だろう。

 しかし、どうにもしっくりこない。

 何故なら、宗一は今年の誕生日がくれば17歳の高校生だ。

 対して、あいりは14歳……学校に行っていれば中学生である。

 勿論もちろん、この時期の少年少女などは見た目と年齢が一致しないことも稀にある。

 それでも、目の前のこの奇妙な少女が年上だとは思えない。

 むしろ、年下だとしても中学生レベルだとは思えないのだ。


「先輩っ、お姉ちゃんって呼んでも、いいです、よ?」

「呼ぶか、馬鹿っ!」

「……素直じゃ、ない、ですね……ふむ。で、実際はどうなんですか?」

「俺が聞きたいくらいだ。でも、俺は違うぞ、隠し子なんかじゃない。俺の両親は……おじさんと友達だったんだ。それで、おじさんは俺のことを面倒みてくれる。感謝してもしたりないよ」

「ふむふむ、なるほど……お姉ちゃんはよくわかりました」

「だから、違うって!」


 気になると言えば気になる。

 あいりと一緒に映っていた、謎の男の子。

 その両親の片方、父親はなんとなく若い頃の恭也を彷彿ほうふつとさせる。つまり、あいりが小さかった頃の写真という訳だ。

 そういえば、恭也の妻、あいりの母親に関しても情報が抜け落ちている。

 徐々に宗一の中で、奇妙な感覚が身をもたげていった。

 しかし、あいりは全く気にならないらしい。

 唯我独尊ゆいがどくそん、マイペースでムフフと笑っている。


「それはさておき、お姉ちゃんは嬉しい、です、よ? かわいい弟から、プレゼント」

「いや、姉弟きょうだいじゃないし。むしろ、兄妹きょうだいですらないし」

「照れちゃって……かわいい、です」

「違うからな! ほ、ほらっ、さっさとプレゼントを見なさいって!」


 あいりはようやく、たどたどしい作業を再開した。

 そして、赤いロゴが入った紙包みがほどかれる。

 そこには、ビニールにパッケージングされた上下揃いの一着が密閉されていた。それを両手で持ち上げて、あいりは大きな瞳をことさら大きく見開いた。


「先輩っ、服です! これは服ですね! しかも……パジャマですっ!」

「……ちげーよ。いいか、あいり。まあ……お前にパジャマ姿でうろうろされても困るんだよ。主に俺が」

「どうして、ですか?」

「どうしても!」


 あいりは間違いなく、世にいう美少女と呼ばれる生き物に見えるから。

 中身こそヘンテコでポンコツっぽいが、とても愛らしい容姿をしているのだ。そんな可憐かれんな少女が、今日はまたドレスのようなパジャマですぐ側にいるのだ。

 宗一は、あの外出の日からずっと、困っている。

 あれだけ服を買ったのに、どうして部屋着へやぎを持っていないのだろう。

 新調してまで、何故なにゆえにパジャマ姿なのだろう。


「いいか、あいり……これはSサイズだからお前でも着れる。こいつは……上下揃いのだ。今みたいな、春先の時期にはうってつけの部屋着なんだよ」

Sweatスウェット? 汗、ですねぇ……でも、なんだかやわらかくてモフモフしてます」


 ビニール袋の中から、あいりは水色のスウェットを取り出した。

 上下揃いで値段もそこそこ、なにより着るものの身体的な凹凸おうとつ、優美な起伏を隠してくれるダッポリした服である。


「俺からプレゼントだ、あいり。いいか……スウェットは便利だ。こいつを着てれば家でもくつろげる。なにより、

「ほほー、なるほどぉ……これ、パジャマじゃないんですかぁ?」

「違うっ! ……まあ、パジャマも兼ねるかもしれない。けど、とりあえず、その……お前な、俺の前ではあんましパジャマでうろうろしないでくれよ」


 家でゴロゴロしてる時など、宗一もスウェット姿だ。もともとインドア派なので、ファッションには無頓着むとんちゃくである。幼馴染おさななじみ水瀬千依ミナセチヨリなどは、身だしなみに口うるさい奴だったが、宗一は全く気にしてなかった。


「ま、近場のコンビニに行くくらいなら、スウェットになにか羽織はおればOKだろう」

「おおー! ……で、先輩。?」

「……は? いや、コンビニはコンビニだろ。コンビニエンスストア」

Convenienceコンビニエンス……好都合、便利、って意味ですよね? ……便利屋さん、ですか?」

「お前、コンビニに行ったことは……ないよな、まあ。そうだろうと思ったぜ」


 ちらりと携帯の時計を見る。今日はあと小一時間であいりの授業は終わるのだが、お勉強より教えてやりたいことができた気がした。

 だから、近所のコンビニに行ってみるかと宗一は声をかけようとして……息を飲む。

 慌てて彼は、その場でスウェットに着替えようとするあいりを止めて、部屋を出るのだった。

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