第12話「うきうきな少女、あいり」
宗一の手を放して、
「先輩っ、あそこが空いてますっ。あそこにしましょう」
「おいおい、走るなって。転ぶぞ、あいり!」
「大丈夫ですっ」
ぽてぽてとあいりは、通りに面したテーブルを確保し、得意満面で振り返る。
飼い主に
だが、隣の
「なにあれ……はしゃいじゃって。はっずかしい!」
「まあ、そう言うなよ。あいりにはもしかしたら、初めての外出かもしれないんだから」
「えっ、マジ!? だってあの子……えっと、中学生? くらい? よね」
宗一が振り返れば、運転手の
今日はあいりにとって、記念すべき日だ。だからだろうか? 恐らく、あまりにも嬉しくて忘れているのだ。普段ならこんな時、彼女は必ず写真を
彼女の右手からは、なんでも出てくる……カメラだって、クレジットカードだって。
全てが立体映像のデータだが、それを本物以上に使えるのが、あいりの持つ謎のデバイスの力だ。
そんなことを思っていると、隣の千依をポンと要が押す。
「さ、二人共テーブルに行こう。僕がお茶をご
「あの、いいんですか? アタシまで」
「
要の言葉に思わず、宗一は口を
ガールフレンドというものではないし、ここ最近は会ってなかったのだ。施設を出てからの暮らしではずっと一緒だったが、今日は半年ぶりである。
宗一はずっと、昨年から学校に行っていない。
行くこともできないし、行っても居場所がないのだ。
だが、千依は真っ赤になって黙った。
そのまま、
「ガッ、ガガガガ、ガールフレンド! ちっ、ち、ちが……あ、いや」
「だよなあ。俺だって相手は選びたいし、なにより――ってえ!」
千依に足を踏んづけられた。
グリグリと踏み
彼女はまだ、自分の髪を掴みながら
「選びたいってなによ! 宗一のくせに!」
「いや、そのままの意味だよ! ってか、足を離せって」
「
「お前より背があるだろ、ってかお前がチビ過ぎんだ――ッグ、オ、オオ……」
頼むからやめてくれ、ガチで痛い。
あいりが小首を
要は苦笑を隠そうとして肩を震わせていた。
宗一はようやく、千依の暴力から逃げ出す。いつもこうなのだ。勝手に構っては世話を焼き、なにかと口を開けば『宗一のくせに』だ。
千依は、フン! とそっぽを向いて、大股で歩いて行ってしまった。
「イチチ……千依めぇ」
「仲、いいんだね。宗一君?」
「違うんですよ、要さん。あれは、腐れ縁っていうか、いつも俺の周りをチョロチョロと」
「そういう人があいり
「あっ」
少し
要が心配するように、あいりには限られた人間関係しかないのだ。それ以上は望めないし、その中でしか生きていけない。御屋敷では父親の
それが、あいりを囲む人間達の全てだ。
だから、その一員に加わった宗一は、彼女のことを気にかけている。
きっと家庭教師というアルバイトは、勉強以上のものを彼女に与えたくて宗一に与えられた仕事だから。仕事である以上に、宗一はそれを自ら望んでいる。
そんな彼の気持ちとは裏腹に、あいりは呑気なものだ。
「えっと、水瀬千依ちゃん。千依ちゃんはなににしますか? チョコレートパフェにしますか? フルーツパフェですか? わたしは――」
「ちょ、ちょっと! 年上に馴れ馴れしいわね!」
「えっ……宗一先輩っ、なんだか千依ちゃんがご機嫌ナナメです。
「アタシ、こう見えても16歳よ! 宗一と同い年よっ!」
「よしよし、いい子いい子、どうどう。冗談のセンスはイマイチですね、千依ちゃん」
「う、うっさい!」
……仲良くしてもらえるんだろうか。
だが、小さなあいりが千依と並べば、少しだけお姉さんに見える。
どんぐりの背比べだが、低レベルな争いだけに小さな差は決定的だ。
グヌヌと
宗一も要と一緒に、テーブルを囲んで座った。
「俺はコーヒーでいいや。要さん、なんにします?」
「僕は紅茶をもらおうかな? レモンティーで」
「了解っす、で? おい千依。あいりも。お前等、どうすんだ?」
パタン、とメニューを閉じたあいりは、眼鏡の奥で瞳をキラキラさせている。
それはもう、真昼の地上に落ちてしまった流星のようにきらびやかだ。
「わたしは、デラックスチョコレートパフェにします! ……千依ちゃんは」
「フン! お子様ね……アタシは宗一と同じコーヒーでいいわ」
「……無理しなくて、いいんですよ?」
「無理してないわよ!」
「じゃあ、少しわけてあげますね。デラックスチョコレートパフェ。凄く美味しそうです……家で出るおやつより、もっと、もぉーっと大きくてでっかいのです」
大きいもでっかいも同じではないだろうか、と思ったら笑みが
要がウェイトレスに注文をオーダーした。
その間ずっと、千依はあいりにからんでいた。
そして、よしよしと適度にあしらわれている。
これではどちらが年上かわからない。
だが、あいりは「あっ」と思い出したように目を丸くした。
「写真……写真、忘れてましたっ。ええと、服を……でもまず、あのあのっ、千依ちゃん!」
「なっ、なによ」
「写真、一緒に撮りましょうっ。お友達の記念に」
「誰が友達よ……で、でもまあ、アンタがそう言うなら――」
「大丈夫です、あいりお姉さんが綺麗に撮ってあげますから」
「だから、アタシの方が年上だっての!」
慌てて宗一は二人を止めた。
公衆の面前で、気軽にあいりが振り回していいものじゃない。
「待て! 待てって、あいり!」
「はい? ああ、大丈夫ですよ。先輩と要さんも一緒に、四人で記念写真しましょうっ」
「ちげーよ! えっと……そ、そうだ! たまにはお前、写真撮られる側になれ。千依、お前のスマホで頼む!」
いいから合わせてくれと、念じるままに視線を突き立てる。
千依は流石に長年の付き合いで、僅かな間の後に「ふぅん」とつまらなそうに呟いた。だが、やれやれと
要が遠慮したので、三人で写真を撮ることにした。
宗一はコーヒーが来る前に、グイとテーブルに身を乗り出す。
自撮りの要領で、千依とあいりの顔が近い。
「なーにやってんだか、アタシ……ま、いいわ。ほら、撮るわよ。ハイ、チーズ! って言ったら撮るから」
「千依ちゃん……まぎらわしいです」
「はいはい、わかったわかった。ハイ、チーズッ!」
カシュッ、と電子的なシャッター音が鳴る。
一応事前に周囲へ
そのことで宗一は、一応あいりに釘を刺しておく。
「いいか、あいり……外の世界では、なんでもかんでも勝手に写真を撮っちゃ駄目なんだ」
「ほえ? そうなんですか? えっ、じゃあ……あの、来る時に車の中で」
「気をつけなきゃいけないのはまず、博物館や美術館。撮影禁止が基本だ。次に、どこでも人物の撮影、これも控えろ。みんな自分の生活と時間を生きてるからな。それを勝手に切り取るのは駄目だ」
「確かに……そうですねっ、先輩! 他には」
「撮った写真をネットに」
「
「そう、それ。そういうのにアップする時は、必ず人物が映ってないことを確認すること。それと、車のナンバーや住所、電話番号がわかるものもアウトだ」
ほうほうと、あいりは
基礎中の基礎なのだが、この
だからこそ、家庭教師の宗一がついてやってるのだ。この場合、写真のアップロードを禁止するのが一番手っ取り早い。しかしそれは『問題自体の消滅』であって『問題の解決』ではないのだ。
「わかりましたっ! じゃあ、千依ちゃん。メールアドレスを交換しましょう」
「ちょ、ちょっとなによ……あ、今撮った写真?」
「わたしのTwittanアカウントも教えてあげますね。えと、他には」
「はっ、話を聞きなさいよ! ……まあ、いいわよ」
赤外線通信で、千依がスマートフォンから情報をあいりへと送る。すると、あいりの右手のレンズが光った。
その時、宗一は……あいりの瞳が輝いて見えた気がした。
不自然な程に鮮やかで、深く
それはすぐ、気のせいだったかのように消えてしまうのだった。
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