第12話「うきうきな少女、あいり」

 百貨店デパートを出て、阿南宗一アナミソウイチはパーラーに来ていた。

 小洒落こじゃれた店内を出て、外のテラスコートでテーブルを探す。混雑という訳でもないが、それなりに人がいて、めいめいにお茶を楽しんでいる。ノートパソコンを開いたビジネスマンに、おしゃべりが止まらないご婦人達、そして買い物帰りの老夫婦などだ。

 宗一の手を放して、彌勒寺ミロクジあいりは小走りに奥を指さした。


「先輩っ、あそこが空いてますっ。あそこにしましょう」

「おいおい、走るなって。転ぶぞ、あいり!」

「大丈夫ですっ」


 ぽてぽてとあいりは、通りに面したテーブルを確保し、得意満面で振り返る。

 飼い主にめて欲しい時の犬みたいで、なんだか少しおかしい。

 だが、隣の水瀬千依ミナセチヨリは不満顔だ。


「なにあれ……はしゃいじゃって。はっずかしい!」

「まあ、そう言うなよ。あいりにはもしかしたら、初めての外出かもしれないんだから」

「えっ、マジ!? だってあの子……えっと、中学生? くらい? よね」


 宗一が振り返れば、運転手の仁科要ニシナカナメが大きく頷く。

 今日はあいりにとって、記念すべき日だ。だからだろうか? 恐らく、あまりにも嬉しくて忘れているのだ。普段ならこんな時、彼女は必ず写真をる。来る時の車中でも、それはもうせわしなくフラッシュを焚いていた。

 彼女の右手からは、なんでも出てくる……カメラだって、クレジットカードだって。

 全てが立体映像のデータだが、それを本物以上に使えるのが、あいりの持つ謎のデバイスの力だ。既存きぞんのスマートフォンやタブレットなど、あれを見たあとは玩具おもちゃですらない。

 そんなことを思っていると、隣の千依をポンと要が押す。


「さ、二人共テーブルに行こう。僕がお茶をご馳走ちそうするよ」

「あの、いいんですか? アタシまで」

勿論もちろんさ。ふふ、宗一君のガールフレンドだからね」


 要の言葉に思わず、宗一は口をはさむ。

 ガールフレンドというものではないし、ここ最近は会ってなかったのだ。施設を出てからの暮らしではずっと一緒だったが、今日は半年ぶりである。

 宗一はずっと、昨年から学校に行っていない。

 行くこともできないし、行っても居場所がないのだ。

 だが、千依は真っ赤になって黙った。

 そのまま、何故なぜか自分のツインテールを左右それぞれ両手でガシリとつかむ。


「ガッ、ガガガガ、ガールフレンド! ちっ、ち、ちが……あ、いや」

「だよなあ。俺だって相手は選びたいし、なにより――ってえ!」


 千依に足を踏んづけられた。

 グリグリと踏みにじられたのだ。

 彼女はまだ、自分の髪を掴みながらくちびるとがらせる。


「選びたいってなによ! 宗一のくせに!」

「いや、そのままの意味だよ! ってか、足を離せって」

くやしい……宗一のくせに! あんな小さなと! このっ、ロリコン!」

「お前より背があるだろ、ってかお前がチビ過ぎんだ――ッグ、オ、オオ……」


 頼むからやめてくれ、ガチで痛い。

 あいりが小首をかしげて、向こうから見詰めてくる。

 要は苦笑を隠そうとして肩を震わせていた。

 宗一はようやく、千依の暴力から逃げ出す。いつもこうなのだ。勝手に構っては世話を焼き、なにかと口を開けば『宗一のくせに』だ。

 千依は、フン! とそっぽを向いて、大股で歩いて行ってしまった。


「イチチ……千依めぇ」

「仲、いいんだね。宗一君?」

「違うんですよ、要さん。あれは、腐れ縁っていうか、いつも俺の周りをチョロチョロと」

「そういう人があいり御嬢様おじょうさまにもいればね……よかったんだけどね」

「あっ」


 少し迂闊うかつだったかもしれない。

 要が心配するように、あいりには限られた人間関係しかないのだ。それ以上は望めないし、その中でしか生きていけない。御屋敷では父親の彌勒寺恭也ミロクジキョウヤ、そして小鳥遊華梨タカナシカリンを始めとする数人のメイドだけ。

 それが、あいりを囲む人間達の全てだ。

 だから、その一員に加わった宗一は、彼女のことを気にかけている。

 きっと家庭教師というアルバイトは、勉強以上のものを彼女に与えたくて宗一に与えられた仕事だから。仕事である以上に、宗一はそれを自ら望んでいる。

 そんな彼の気持ちとは裏腹に、あいりは呑気なものだ。


「えっと、水瀬千依ちゃん。千依ちゃんはなににしますか? チョコレートパフェにしますか? フルーツパフェですか? わたしは――」

「ちょ、ちょっと! 年上に馴れ馴れしいわね!」

「えっ……宗一先輩っ、なんだか千依ちゃんがご機嫌ナナメです。飴玉あめだまとかもってますか?」

「アタシ、こう見えても16歳よ! 宗一と同い年よっ!」

「よしよし、いい子いい子、どうどう。冗談のセンスはイマイチですね、千依ちゃん」

「う、うっさい!」


 ……仲良くしてもらえるんだろうか。

 だが、小さなあいりが千依と並べば、少しだけお姉さんに見える。

 どんぐりの背比べだが、低レベルな争いだけに小さな差は決定的だ。

 グヌヌとうなりながらも、千依があいりとメニューを覗き込む。

 宗一も要と一緒に、テーブルを囲んで座った。


「俺はコーヒーでいいや。要さん、なんにします?」

「僕は紅茶をもらおうかな? レモンティーで」

「了解っす、で? おい千依。あいりも。お前等、どうすんだ?」


 パタン、とメニューを閉じたあいりは、眼鏡の奥で瞳をキラキラさせている。

 それはもう、真昼の地上に落ちてしまった流星のようにきらびやかだ。


「わたしは、デラックスチョコレートパフェにします! ……千依ちゃんは」

「フン! お子様ね……アタシは宗一と同じコーヒーでいいわ」

「……無理しなくて、いいんですよ?」

「無理してないわよ!」

「じゃあ、少しわけてあげますね。デラックスチョコレートパフェ。凄く美味しそうです……家で出るおやつより、もっと、もぉーっと大きくてでっかいのです」


 大きいもでっかいも同じではないだろうか、と思ったら笑みがこぼれた。

 要がウェイトレスに注文をオーダーした。

 その間ずっと、千依はあいりにからんでいた。

 そして、よしよしと適度にあしらわれている。

 これではどちらが年上かわからない。

 だが、あいりは「あっ」と思い出したように目を丸くした。


「写真……写真、忘れてましたっ。ええと、服を……でもまず、あのあのっ、千依ちゃん!」

「なっ、なによ」

「写真、一緒に撮りましょうっ。お友達の記念に」

「誰が友達よ……で、でもまあ、アンタがそう言うなら――」

「大丈夫です、あいりお姉さんが綺麗に撮ってあげますから」

「だから、アタシの方が年上だっての!」


 慌てて宗一は二人を止めた。

 ちなみに要は、やっぱり笑いを噛み殺している。

 微笑ほほましいのだが、この大勢がいる場では少し不味い。あいりの右手にあるレンズ状のデバイスは、ミロクジ・インターナショナルの最先端、未公開の最新鋭マシーンだ。

 公衆の面前で、気軽にあいりが振り回していいものじゃない。


「待て! 待てって、あいり!」

「はい? ああ、大丈夫ですよ。先輩と要さんも一緒に、四人で記念写真しましょうっ」

「ちげーよ! えっと……そ、そうだ! たまにはお前、写真撮られる側になれ。千依、お前のスマホで頼む!」


 いいから合わせてくれと、念じるままに視線を突き立てる。

 千依は流石に長年の付き合いで、僅かな間の後に「ふぅん」とつまらなそうに呟いた。だが、やれやれと溜息ためいきを零しながら携帯電話を取り出す。

 要が遠慮したので、三人で写真を撮ることにした。

 宗一はコーヒーが来る前に、グイとテーブルに身を乗り出す。

 自撮りの要領で、千依とあいりの顔が近い。


「なーにやってんだか、アタシ……ま、いいわ。ほら、撮るわよ。ハイ、チーズ! って言ったら撮るから」

「千依ちゃん……まぎらわしいです」

「はいはい、わかったわかった。ハイ、チーズッ!」


 カシュッ、と電子的なシャッター音が鳴る。

 一応事前に周囲へ目配めくばせしておいたが、ここは公共の場だ。

 そのことで宗一は、一応あいりに釘を刺しておく。


「いいか、あいり……外の世界では、なんでもかんでも勝手に写真を撮っちゃ駄目なんだ」

「ほえ? そうなんですか? えっ、じゃあ……あの、来る時に車の中で」

「気をつけなきゃいけないのはまず、博物館や美術館。撮影禁止が基本だ。次に、どこでも人物の撮影、これも控えろ。みんな自分の生活と時間を生きてるからな。それを勝手に切り取るのは駄目だ」

「確かに……そうですねっ、先輩! 他には」

「撮った写真をネットに」

Twittanツイッタンとか、インスタグラファーですねっ」

「そう、それ。そういうのにアップする時は、必ず人物が映ってないことを確認すること。それと、車のナンバーや住所、電話番号がわかるものもアウトだ」


 ほうほうと、あいりは神妙しんみょううなずいた。

 基礎中の基礎なのだが、この御姫様おひめさまにはそれがわからなくてもおかしくはない。

 だからこそ、家庭教師の宗一がついてやってるのだ。この場合、写真のアップロードを禁止するのが一番手っ取り早い。しかしそれは『』であって『』ではないのだ。


「わかりましたっ! じゃあ、千依ちゃん。メールアドレスを交換しましょう」

「ちょ、ちょっとなによ……あ、今撮った写真?」

「わたしのTwittanアカウントも教えてあげますね。えと、他には」

「はっ、話を聞きなさいよ! ……まあ、いいわよ」


 赤外線通信で、千依がスマートフォンから情報をあいりへと送る。すると、あいりの右手のレンズが光った。

 その時、宗一は……あいりの瞳が輝いて見えた気がした。

 不自然な程に鮮やかで、深くんだエメラルドのような光。

 それはすぐ、気のせいだったかのように消えてしまうのだった。

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