第11話「データを統べる少女、あいり」

 突然の、再会

 幼馴染おさななじみ水瀬千依ミナセチヨリを目にして、阿南宗一アナミソウイチは固まってしまった。

 あの恐ろしい日々が、今という現実と地続きだと思い出してしまったのだ。

 なんとか挨拶を交わせたが、内心の動揺を隠すことすら忘れてしまう。


「宗一? なに、どしたの。……なんでこんな場所にいるのよ」

「そっ、そそ、それはだな」


 ちらりと試着室の方を見やる。

 仁科要ニシナカナメは、カーテンの奥の彌勒寺ミロクジあいりにどんどん服を渡している。

 それから、改めて宗一は千依に向き直った。


「ちょ、ちょっと、その、あー……うん、仕事で。アルバイトしてんだ」

「この百貨店デパートで? ってことはないか」

「そう、なんていうか……そう、子守こもり!」

「はぁ!? なにそれ、ベビーシッター?」


 非常に苦しいが、あながち嘘とも言えない。

 あいりは本当に、世間知らずで常識知らず、その上に親の心子知らずときている。

 そこまで思って、はたと宗一は気付いた。

 あいりへの最近のドキドキ、その正体……それは、親が我が子に庇護欲ひごよくを感じているに過ぎないのだ。まったくもって、そういう状態なのだと思ったら納得できた。


「と、とにかくだ。俺は今、大事な仕事中なんだ。……お前は?」

「ん、学校の帰り……買い物だけど?」

「そ、そっか。じゃあ、さっさと行けよ。ほら」

「なによ……そんなに邪険に、しないでよ。……


 出た。

 十年以上、ずっと言われ続けてる言葉。

 千依はなにかと『宗一のくせに』などと言うのだ。

 お前はあれか、ジャイアンなのかスネ夫なのか?

 自分はのび太なのかと、思わないでもない。

 だが、千依にこれといって悪意はないのだ。ただ、小さな頃から宗一は、おせっかいで世話焼きなこのチビっ子と一緒だった。いつも、いつでも。

 そして、いつまでもそうかもしれないと、漠然ばくぜんと感じていたのだった。


ちなみに千依、なにを買うんだ?」

「っ! ……へ、変態っ! 女の子がこういう場所で買うって言ったら、一つでしょ!」

「ああ、そうだよな。服だよな……お前のサイズ、あるといいな」

「また背のこと言った! まな板だって言った!」

「いや……お前、それ墓穴ぼけつ掘ってるぞ」

くらいなら、いくらでもサイズくらいあるわよっ! ……む、むしろ……本当はもっと大人っぽいのが欲しいけど、百貨店で売ってるシンプルなのしかはけないの!」

「……あー、えっとー、その……まあ、すまん」


 気付けばなんだか、周囲の視線が痛い。

 尚も食い下がるように、千依が身を乗り出してくる。

 両手を伸ばしてくるので、自然と宗一は千依のひたいを押さえた。

 腕の長さが全然違うので、千依はジタバタするしかできない。

 そうこうしていると、ぽややんとした声が響いた。


「先輩っ、終わりましたぁ。あの、これ……先輩の、服、お返し……します、けど? あれ? この人、誰ですか?」


 試着を終えたあいりが、畳んだ宗一の服を持って現れた。

 彼女は、オレンジのキュロットスカートにブラウスと、カジュアルな格好だ。どうやら、帰りは買ったものの一部を、そのまま着て戻るつもりらしい。

 背後では、有頂天うちょうてんな店員が要に愛想を振りまいている。

 いくつもの紙袋に、これでもかと購入した服がパンパンに詰まっていた。


「あいり、紹介するよ。俺の幼馴染、腐れ縁の千依、水瀬千依だ」

「あら、なに? ……この、なに? ちょっと宗一、なんなの!」

「なにって……えっと、生徒。俺、家庭教師のバイトしてんだよ。この娘の勉強、見てやってんの。今日はまあ、ちょっとした社会勉強だな」

「……なにそれ。気に入らないわっ!」

「なんでだよ」


 あいりは、目をしばたかせながら宗一と千依とを何度も交互に見やる。

 そんな彼女の前に向き直って、千依が腰に手を当て胸を張った。

 限りなくまっ平らな胸を反らして、見下ろすようにめつける。

 あいりも小柄な方だが、千依の方が小さい。


「ちょっと、アンタ! アタシは水瀬千依! これの……同級生よ!」

「おいこら、これってなんだ、これって」

「宗一は黙ってて!」


 何故なぜか知らないが、千依はあいりをすがめて怖い顔をする。

 あいりはと言えば、「あっ」と手をパム! と叩いた。


「先輩、あの……修羅場、ですか? この人、先輩の恋人さんですか? 愛人さんなんですか?」

「ちょ……待ちなさいよ! アタシが宗一と、そんな、ゴニョニョな……それは」


 なんか、面倒なことになってきた。

 そして、助け舟を期待して横目に見れば、要が笑いを噛み殺している。

 どうやら、介入する気は全くないようだ。

 それどころか、面白そうにこちらを見ては、口元を手で抑えている。


「えっとな、あいり。全然そんなんじゃないんだ」

「ちょっと! 全然って言わないでよ、もぉ! ……全然は、ヤだもん」

「とまあ、こんなノリでずっと俺と十年以上の付き合いでさ」

「つっ、つつ、付き合いっ!? ……そうね、その通りね!」


 だが、あいりはさらりと笑う。

 それはもう、にんまりと生温かい笑みだ。


「つまり、先輩とは親しいものの、男女の仲ではないってことですねぇ」

「おう、そりゃな」

「なら、いいですっ。改めて、はじめまして、水瀬千依さん。わたしは彌勒寺あいりです。よろしくお願いしますっ」


 あいりはペコリと頭を下げてから、右手を差し出す。

 レンズのように光るデバイスを見て、千依もふと首をかしげた。

 だが、すぐに握手に応じる。

 宗一の時もそうだったが、あいりはムフー! と鼻息も荒く握った手を大きく上下させる。熱烈な握手に、千依は先程の気色けしきばんだ表情を引っ込めてしまった。


「なに、この娘……ちょっと、宗一」

「ん、なんか変だろ? 妙だよな? でもま、悪い奴じゃないから。むしろ、心配になるくらい、なんつーか……じゅん? 無邪気? とにかく、危なっかしくてさ」

「……そう、なんだ……宗一、そういうの、好きなんだ……」


 手を離したあいりは「あ、そだ」と振り返る。

 ようやく要は、店員と一緒にこちらへやってくる。

 満面の笑みで店員が会計を求め、要が財布を取り出そうとした、その時だった。

 あいりの右手で、あのデバイスが光り出す。


「わたし、本当のお買い物って初めてで……払いますねっ」

「お、おい、あいり!」

「インターネットではたまにするんですけどぉ、実際に見て着て触って、こうしての買い物は初めて……楽しいですねっ、先輩」


 店員も要も、目を見開いたまま固まってしまった。

 またしても、あのデバイスから立体映像が浮かび上がる。

 手の平に収まる小さなウィンドウは、すぐにクレジットカードへと姿を変える。それをあいりは、トンと指で押しやった。

 あっという間に、光学映像のカードがレジの方へ飛んでゆく。

 そして、突然レシートが印字され始めた。

 店員はあまりにも急なことで、混乱してしまっている。

 だが、あいりはデバイスの光を消すと、宗一の手を握ってきた。


「行きましょう、先輩。あと、えと、水瀬さんも」


 もう片方の手を千依と結んで、二人の間でグイグイとあいりが歩き出す。

 呆然ぼうぜんとする店員に礼を言って、両手に荷物の要も慌てて後を追ってきた。

 とりあえず宗一は、簡単にあいりの持つデバイスのことを説明する。だが、正直自分でもわからないことが多いのだ。

 会計については、少し考えていた。

 バイト代も入ったし、一着くらいは……などと思っていたのだ。

 だが、結果はあまりにも突飛とっぴで、常識の埒外らちがいだった。

 電子マネーとかクレジットカードとか、そういうものは既に社会の常識として定着しつつある。仮想通貨だって取引で普通に扱われていた。

 そうしたものさえ、あいりの手にかかれば全てがデータなのだ。

 現金のわずらわしさを解消したクレジットカードさえ、彼女のとっては自分が持つデータの一つで、会計には暗証番号も機器で読み込むことも必要ない。


「驚いたな……あいり御嬢様おじょうさまが珍しい端末を持ってるのは知ってたけど」

「要さん、あれ……ミロクジ・インターナショナルの最新鋭で、あっ! じゃ、じゃあ、こうしていろんなとこで見せちゃうの、まずくないですか?」

「だね。とりあえず、お茶代は僕が出すよ。服だけ買ってハイ帰宅、ってのもね。社会勉強なんだろう? 宗一先輩?」


 悪戯いたずらたっぷりに、要が笑う。

 そうしている間も、百貨店の中をズンズカとあいりは歩き続けた。

 複雑な顔で手を引かれる千依が、なにかを言いかける。


「そうだ、宗一。その……学校、戻らないの? アンタがいないとさ、アタシ……」

「ん? ああ、学校ね……居場所、ないし。勉強するだけなら、通わなくても不自由はないしさ。それに、今はあいりの面倒を見るだけで手一杯なんだ」

「そんな……そ、それじゃあ、アタシ」


 俯き千依が口をつぐむ。

 その表情から宗一は、何も読み取れずに首を傾げるしかできない。

 そして、この時が彼女を知る……彼女の窮地きゅうちを知るチャンスだったとは、夢にも思わないのだった。

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