第10話「見違えてしまった少女、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチ彌勒寺ミロクジあいりを連れて、都内の大きな百貨店デパートに来ていた。

 平日の午後でも、かなりの人が買い物を楽しんでいる。そして、四階の婦人服売り場には沢山の女性達が行き交っていた。その中でも、ティーンエイジャー向けの服が並ぶ一角は比較的空いている。

 そして、正直すっごく居辛いづらい。

 気分的に落ち着かない。

 それは、宗一が男だからだ。


「ん、いいね。あいり御嬢様おじょうさま、こっちもどう? 最後はちゃんと試着してみるんだよ」

「はいっ。ありがとうございます、カナメさん」

「いいんだ、僕はね……かわいいものが大好きだから。かわいいあいり御嬢様には、かわいい服を着せたくなるものなのさ」


 今、ずらり並んだ服の数々を、次々と仁科要ニシナカナメが手にとってゆく。

 どっちかというと、あいりより彼女の方がはしゃいでるように見えた。

 ただ、金に糸目をつけないというか、値段を見もしないセンスに店員も満面の笑みである。そして、あいりは次々と渡される服に目を白黒させていた。


「あ、えと、先輩っ。宗一先輩」

「ん? どした」

「あの、これと、こっちと、どうですか? どっちが好きですか?」

「……は?」


 あいりは真顔で、二着の服を左右の手で交互に自分へ当てる。

 片方は若草色わかくさいろのワンピースで、少し肩が露出してるタイプだ。もう片方はえりのついたシャツにチェックのプリーツスカート。どっちもかなり御嬢様っぽい。

 じーっと見詰めてくるあいりの視線から、自然と宗一は目をらす。

 正直、よくわからない。

 そして、すずやかな要の笑みも、にんまりといやらしい気がした。


「じゃ、じゃあ、そっち……ワンピース」

「わかりましたっ、着てみます!」

「お、おう」

「えっと、要さん。他にも沢山、たっくさん、選んでください。わたし、今日は服を買うんです。やっぱり、パジャマでいると変らしいので」


 そう言ってあいりは、ワンピースのハンガーを手に試着室に消えていった。

 心配だが、女性の店員さんが付き添ってくれるので大丈夫だろう。

 そして、要は喜々として次の服を選び始めた。

 鼻歌でも聴こえてきそうな上機嫌で、今日の彼女はプライベートだけあってよく喋る。


「僕はね、宗一君。小さい頃から、こういう女の子らしい服に憧れてたのさ」

「……なら、着れば……あ! きっ、着なかったんですか?」

「まぁね。着れなかった、かな」


 要は今日も男装で、スーツ姿がとても凛々しい。

 彼女は幼少期から、しばらく男として育てられたらしい。だが、二次性徴と共に思春期が訪れると、どうしても胸の奥で不思議な感情がうずいた。

 ようやく女性として生きられるようになって、今は男装も仕事上は都合がいい。

 それに、長年に渡って同性の女性に好かれる日々が続き、慣れてしまったのだ。


「少し特殊な家でね……本当は両親は、男の子が欲しかったんだ」

「そんな」

「ま、いまさら言っても詮無せんないことだけどね。それはいいとして……どう? 宗一君」

「は? どう、って……」

「あいり御嬢様のことだよ」


 美麗な笑みを浮かべたまま、要が目を細める。

 急に言われて、宗一は自然とほおが熱くなった。

 自然と、今までのあいりが脳裏に蘇る。幾重にも連なり浮かんで、先輩、先輩と呼んでくるのだ。慌ててそんな妄想を宗一は振り払う。


「どう、っていうと、まず……

「うん、それは知ってる」

「……やっぱり、ですか?」

「まあ、ね。でも、妙なとこがあるけど、いいだよ」

「ですね」


 そう、あいりは変だ。

 長らく屋敷の中でだけ暮らしてきたからか、一般常識的なアレコレがすっぽり抜け落ちている。そのくせ、好奇心だけは旺盛おうせいだから行動力もあって、時々宗一をドキドキさせることも多かった。

 そしてなにより、見ていて不安で、守りたくなる。

 最新鋭のデバイスを手につけているのに、ネットの知識も自衛のためのルールとマナーも、なにも知らないのだ。

 そんなあいりの核心に、初めて宗一は触れることにした。


「あの、要さん」

「うん?」

「あいりの病気って……なんですか? あいつ、結構元気ですけど」

「ああ、それね……実はね、宗一君」


 神妙な顔で要が少しかがんでくる。そうして目線の高さを合わせて、じっと宗一を見詰めてくるのだ。

 思わずごくりと喉が鳴る。

 あいりをむしばむ病魔の正体、それは不治の病か、それとも心の病気か。

 だが、要は意外なことを言ってにっこり笑った。


「実は、誰も知らないんだ」

「……は?」

「旦那様以外、誰も知らない。聞かされてないんだよ。ただ、病弱で、それで家で療養生活をずっと続けてるってことになってる。でも、薬も飲んでないし、医者も来ない」


 そう、あいりには病人特有のかげりがない。

 無邪気で無垢むくで、そしてあどけない快活さがあった。ぼんやりしているように見えて、かなりアクティブでもある。

 病気を患うと、大なり小なり雰囲気に出るものだ。

 だが、あいりにそうした暗い影を感じることは全くなかった。


「……もしかして、あの、要さん」

「ん?」

「普段は平気だけど、突然心臓が! みたいな……いや、もっと酷くて……もう余命宣告を受けてるから、逆に吹っ切れちゃってるとか! ……ど、どうしよう」


 突然、目の前が真っ暗になった気がした。

 あの、どこか飄々ひょうひょうとした態度、変に達観して見えるのは……むしろ、諦観ていかんの念か。

 そんなことを感がてしまって、宗一はシリアスな無言へとおちいってしまう。

 だが、そんな彼に要は笑いかけた。


「だとしても、君が……宗一君がいてくれるなら、少しはいいよねって思える。ありがとう。あいり御嬢様のことにそんなに真剣な顔を見せる人、いないからね」

「要さん……」

「さ、この話は終わり。ほら、御姫様おひめさまの登場だよ」


 カーテンレールを滑車が走る音が響く。

 そして、試着室の奥からあいりが出てきた。

 見違えてしまって、まるで本当に御姫様みたいだった。


「どっ、どうですか? 先輩っ」

「お、おお……あ、うん! いいんじゃないか? かっ、かかか、か……かわ、いい」


 声が裏返った。

 動悸とうきが激しくなって、今にも心臓が胸を突き破ってきそうだ。

 見違えたようなまぶしさで、ワンピース姿のあいりがやってくる。彼女はスカートのすそを両手で摘むと、ちょいん、と淑女のように気取った挨拶をしてくれた。

 そして、ムフー! と鼻息も荒く得意げに胸を反らす。


「わたし、これ買います。要さんっ、もっと買いましょう! 試着、しましょうっ!」

「うんうん、お洋服は一張羅だけじゃなく、もっと沢山あった方がいいしね。旦那様からも、金額を気にせず必要なだけ買うよう言われてるよ」


 店員が瞳をキラキラさせ始めた。

 上客と思われたらしい。

 ますます愛想をよくして、彼女は要と一緒に服を選びだした。

 あいりも自分を見下ろし、上機嫌でくるりと回ったりしていた。


「あっ、じゃあ……もっと、着ますっ。待っててくださいっ、先輩」

「お、おう。あのな、あいり」

「……胸が大きくなる服……っていうのは、ないですよねぇ……はぁ」

「おーい、あいりー?」

「は、はいっ。とりあえず、もっと試着してみますっ」


 再びあいりは試着室へと行ってしまう。

 彼女は沢山の服を抱えた店員と要に囲まれながら、どこか楽しそうだった。

 そんな光景をながめていると……突然背後で声がした。


「えっ……宗一? ちょっと、なんでこんなとこに……?」


 その声を知っていた。

 忘れていたのに、思い出してしまう。

 振り返るとそこには、久々に見る制服姿の少女が立っている。紺色こんいろのブレザーに、落ち着いた緑色のプリーツスカート。胸元のタイは青色で、宗一と同学年だから、この春から二年生だ。

 長い黒髪をツインテールに結った、背の小さな女の子である。


「ん……千依チヨリか。元気、そうだよな……久しぶり」

「え、ええ……久しぶり。学校、来ないから、その」

「心配してたってか? いやぁ……まあ、でも、嬉しいよ。気持ちだけはな」


 それは、中学からの腐れ縁。

 言うなれば幼馴染おさななじみだ。そして、ずっと同じクラスで、そのまま二年生へと進級した今もそう。だが、級友と言うにはあまりにも空白期間が長過ぎた。

 宗一は一年生の三学期からずっと、高校には行っていない。

 だから、水瀬千依ミナセチヨリと合うのは随分と久しぶりなのだった。

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