第7話「マイペースな少女、あいり」

 空けて翌日、彌勒寺邸みろくじていを辞する時に阿南宗一アナミソウイチはネットゲームに誘ってみた。

 彌勒寺ミロクジあいりはキョトンとしていたが、軽く説明したら興味津々だったのは嬉しい。何より『VRバーチャルの異世界でスクリーンショット、いわゆる』という一言が、彼女をとりこにしてしまった。

 ゲーム機などの購入も、父親である彌勒寺恭也ミロクジキョウヤが許可してくれた。

 これで、少しでもあいりの世界が広がればいいと思う。


「ま、最初はチュートリアルもあるし、見知らぬ人との一期一会いちごいちえだって楽しいし。機会を見て、俺は様子を見に行く程度で……」


 今日も部屋で、冒険の時間が訪れる。

 食事や洗濯、勉強を片付けた夜八時、宗一はVR用のゴーグルを装着してゲーム機を起動させた。毎日欠かさず仮想現実バーチャルリアリティにログインし、就寝まで二、三時間は遊ぶのが日課だ。

 すぐに宗一の視界は、女騎士エンジュにシンクロした。

 そのまま異世界へと降り立ち、仲間達の元へと飛ぶ。

 ハンティング・ファンタジアでいう、大きな街の酒場が宗一達の待ち合わせ場所だ。


『お、エンジュー! こっちこっち、お疲れちゃん』

『来たか……我がたましいの友、姫騎士ひめきしエンジュよ。さ、今宵こよいも伝説を築こうぞ』

「あの、姫騎士じゃないんだけど。ども、バズンさんもデルドリィードさんも、こんばんは」


 周囲はまさしく、盛り場の喧騒を思わせる。

 予め設定された街の人間、いわゆるNPCノンプレイヤーキャラクターが半分。

 もう半分は、ここでの出会いや情報交換を求めるプレイヤーのキャラクターだ。


『さ、我が友よ……今夜のクエストだが、久々に――』

『ん、ちょっと待って』


 不意にバズンが、ゴツい手で店の入口を指さした。

 見れば、いかにも初心者といった雰囲気のキャラクターがうろうろしている。不自然に壁に身体をこすりつけたり、その場でぐるぐる回ったりしているのだ。

 初めてのVR空間で、勝手がわからない初心者を思わせた。

 だが、宗一はピンと来た。

 あれは、自分の視界をそのままスクリーンショットで画像データとして取得する時の、角度や距離を調整する動きだ。外から見ると間抜けだが、あのキャラのプレイヤーはこの酒場の賑わいを写真に撮ろうというのだ。


『ほう? 新たな旅を始めた冒険者か……よかろう! バズンの言いたいことは理解した』

『ま、おせっかいなんだけど。ほっとけないのよネ、ああいう子』


 バズンの人となりは、おしなべて紳士的で親切、世話焼きのおせっかいだ。それでも、ベテランゲーマーを自称する巨漢の戦士は、決して『』は奪わない。

 突然、強い武器や防具を与えたりはしない。

 アドバイスは求められた時だけ。

 いきなりレベルの高い戦いへも行かないのだ。

 世話を焼いても過保護にならない、そっと見守るタイプなのである。

 悪戦苦闘する初心者をサポートし、一緒に過ごす。そうして、必要な分だけ手を貸しながら、ちょっとしたコツをさりげなく教えて去るのだ。

 こういうバズンの中の人、プレイヤーのスタンスが宗一も好きだ。

 きっと、デルドリィードも同じ気持ちだと思う。


「あ、じゃあちょっと俺が声をかけてきますよ」

『あら、ありがと。んー、じゃあアタシは初心者向けのクエストを探しておくわ』

『しからば、われがイベント等をチェックしようぞ』


 宗一は、エンジュを操り新米キャラクターへと近付く。

 そして、奇妙な既視感デジャヴに襲われた。

 うろうろしながら一生懸命視界を調節し、夢中でスクリーンショットを撮るキャラクター……どうやら服装や装備から僧侶そうりょのようだ。ようするに、味方の援護や回復を行う魔法系のキャラクターである。

 その顔が、どこかで見たことがあるような気がした。

 そして、パジャマ姿しか見たことのない少女に面影おもかげが重なる。


「え、ちょっと待てよ……いやいや、今日の午後に教えたばっかりだぜ?」


 だが、相手は大金持ちの御嬢様おじょうさまである。

 ゲーム機の一つや二つ、速攻で用意できてしまいそうだ。その場合は、あのメイドの小鳥遊華梨タカナシカリンが買いに行くのだろうか? それとも、カード決済で通信販売だろうか? しかし、宗一がキャラクターのステータスを表示した瞬間、疑念は確信に変わった。

 確信どころではない。

 想像だにせぬ正体が、でかでかと書いてあった。

 あわてて宗一は、初期装備の僧侶に駆け寄る。


「おい、あいりっ! あ、まずいな……えっと、そこの僧侶さん! ちょ、ちょっと!」

『はい? あ……先輩っ、宗一先輩っ。来ちゃいました』


 そのキャラクターを操っているのは、あいりだった。

 宗一にはすぐにわかった。

 言われてみれば、キャラメイキングで作成された小柄な体つき、すらりとスレンダーな痩身そうしん、そして眼鏡こそしていないが大きな瞳にショートカット……間違いなく現実のあいりに酷似こくじしている。

 なにより、一目であいりとわかったのには理由がある。

 とても嬉しくない、まったくもって危なっかしい彼女らしい理由が。


「なあ、僧侶さん。えっと……キャラの名前な」

『どうしたんですか? 宗一先輩。あれ……宗一先輩っ、女の子になってますよ?』

「ばっ、馬鹿! 名前を、リアルネームを連呼するな! それにお前、あのなあ」

『わぁ、なんか……ちょっぴりえっちじゃないですか? 先輩の趣味ですか? ……おっぱい、おっきいのが好きなんですか?』

「ペタペタ触るなっ、っていうか」

『あ、じゃあ記念に――』

「話を聞け、それと写真はあとで! あとで撮らせてやるから!」


 彌勒寺あいり。

 それが、目の前のキャラクターを操る少女の名前だ。

 そして、

 そのままあいりは、自分のフルネームを入力してキャラクターを作ったようだ。ゲームではよくあることだが、ネットワークを介したゲームではまずい。非常にまずい。

 基本、現実での個人情報は極力ネット上では伏せるのが好ましい。

 あくまでネットゲームは異世界、別世界……自分もその中のキャラクターである以上の情報発信は危険なのだ。トラブルの元である。


『あらぁ? なに、エンジュのお知り合いかしらん?』

『の、ようだな……フッ、我にはわかる、わかるぞ! ……って、おいおい、すげえリアルネームっぽい子じゃんかよ。エンジュ、それやばいって』


 思わずデルドリィードがになってしまうくらい、やばい。

 苗字みょうじと名前、これは個人情報の中でもトップクラスに重要なものだ。何故なら、区役所等の行政機関でも、病院や商業施設でもそう……名はたいを表す、名前こそが個人を特定する最初の基準になるからだ。

 そのことを宗一は、バズンとデルドリィードが見守るなかで説明する。

 あせるあまり、しどろもどろになりながらの言葉。

 だが、呑気のんきにあいりは『そうだったんですかぁ』と大きな目をしばたかせる。


「とにかく、お前っ! ちょっとキャラを作り直してこい」

『は、はぁい』

「いいか、本名そのままは駄目! 絶対っ、駄目! なんか、そうだな……現実ではありえない名前、もっとこう、ファンタジーな名前にしろ!」

『ファンタジーな名前……夢があるってことですねっ。わかりました』


 一度あいりは、ログアウトした。

 光になって消えた僧侶は、このVR世界からいなくなる。

 ほっと胸をろしていると、バズンとデルドリィードが左右に立った。そして、ニヤニヤしながらひじ小突こづいてくる。


『なぁに? 今のが例の子? ねえねえ、そうなの? そ・う・い・ち、先輩っ』

『クッ、リアルJC女子中学生……しずまれ我の右手! くそぅ……許せん。許せんぞ、宗一先輩!』

「や、やめてくださいよ! リアルネームはやばいですって」


 だが、二人は『先輩』『先輩』『宗一先輩』とからかってくる。

 一定の気遣いがあって、三人だけにしか聴こえないパーティチャットである。これは、指定したキャラクター同士でだけの会話を成立させるシステムで、周囲の無関係なキャラクターには声も言葉も届かない。

 それでも、厳密にはネットゲーム上で個人情報を口にするのは危険だ。

 マナー違反で、キャラ同士のメール等でも避けるべきである。

 そんなことを考えていると、五分程であいりが戻ってきた。

 先ほどとほぼ同じ容姿だ。

 ただし、何故なぜか胸が大きくなっている。


『先輩っ、作り直してきました』

「お、おう。どれどれ……ってか、駄目! はい、やり直しっ!」

『駄目、ですか? ファンタジー、ですよ?』


 キャラ名は、ある意味でありえない。

 ありえないと言われたら、ちょっと宗一はヘコむ。

 そこには『』という名前の僧侶が立っていた。

 どうしても彼女は、名字と名前がくっついてないと駄目らしい。そして、どこがファンタジーなのかと問い詰めたくなった。

 だが、ふとステータスをながめていたデルドリィードが口を挟んでくる。


『待たれよ、エンジュ。このキャラ……初期ステータスとしてほぼ最高、滅多に出ない数値なんだが。それに、初期スキルもユニークレアスキルばかり満載だ』

「……マジ?」

『マジだ……クククッ! 敬虔けいけんなる信徒の乙女よ、神はなんじを祝福しておる! ぶっちゃけ、数百万分の一レベルのレアキャラぞ!』


 改めてステータスを見て、宗一も驚く。

 あいりのキャラ、阿南あいりは生まれたてのLvレベル1……それにしてはステータスが高い。今後の成長率にも響く上に、初期スキルがどれも入手困難、あるいはキャラ作成時にしか入手できないものばかりだ。

 つまり、強運のもとに生まれた強キャラ……消せばもう、二度とお目にかかれないだろう。

 ぽややんとしているあいりに、バズンがしなを作って微笑ほほえむ。


『ま、あいりちゃんってもともと実名っぽくないし、いいんじゃないかしら? 消すのもったいないわよ。名字はないほうがよかったわね、でも。ただ、これ以上アタシ達で騒いでると、それが原因でこの名前がリアルネームだってばれちゃうしネ』


 渋々しぶしぶ宗一は、あいりのキャラを認めた。

 こうしてあいりは、鮮烈せんれつなネットゲームデビューを飾ったのである。

 とりあえず四人は、あいりのたっての希望で記念写真を撮影して冒険に出かけるのだった。

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