第6話「噂の少女、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチの自宅は、都内の小さなボロアパートだ。

 保護者である彌勒寺恭也ミロクジキョウヤが、毎月の生活費を家賃込みで振り込んでくれるからだ。恭也は子供が相手でも一定の自主性を求めてきたし、そのために情報収集すること、判断することの意味を宗一に教えてくれた。

 住めばみやこ、宗一は趣味に使う資金を増やす意味でも、住宅費を最低限にと決断したのだ。

 ワンルームに台所と風呂、トイレ……築三十年程の安い賃貸ちんたいである。


『へー、エンジュってばそんなバイトしてたんだー?』

『けっ、けしからん……リアルJC女子中学生の家庭教師など! クッ、右手がうずくっ! しずまれ、封印されし内なるケダモノよ!』


 今、宗一は広大な平原に立っていた。

 風はなく、草花の萌える匂いもない。

 VRバーチャル空間だからだ。

 現実の宗一は、VR用のゴーグルを装着して、ゲーム機のコントローラーを握っている。いつもの部屋でスエット姿だが、ここではビキニアーマーの女騎士エンジュだ。

 眼の前には二人の仲間が、雑談に応じてくれる。

 このゲームは、VR空間で巨大なモンスターと戦うネットワーク型のアクションRPGである。


「いやいや、デルドリィードさん。バズンさんも。リアルもなにも、中学校行ってないから。中学生じゃないから。その子、身体が弱くてずっと家から出られなくてさ」


 部屋でつぶやく独り言に見えても、仮想現実バーチャルリアリティの世界では相手へと言葉が伝わる。勿論もちろん、声変わりを終えた少年の声が、可憐な少女から発せられるのはしょうがない。

 二人の仲間は、いかついハゲの巨漢がバズン……口調や話しぶりから、恐らく女性プレイヤーだ。そして、やたら雰囲気重視の仰々ぎょうぎょうしい魔法使いがデルドリィード……こちらは同世代か、少し上の同じ男だと思う。

 二人と一緒に宗一は、長らく人気ゲーム『ハンティング・ファンタジア』を遊んでいる。


『して、エンジュよ……おぬし、よもやリアルJCに……嗚呼ああ! 恐ろしい! なんたることか……オレを差し置いて、お主……破廉恥ハレンチである!』

『まぁまぁ、デル。それで? どう、しっかりやれてる? アンタ、がんばんなよー? 不登校になった時は心配したけど、よかったじゃん』

『ええい、バズン! 我の名を略すな……我が名は背徳の大魔導師ウォーロックデルドリィード! 暗黒の深淵アビスより力を得た、高貴なる邪神の信徒なのである!』

『……はいはい、わかったってば、デル』


 二人は、宗一が加わる前から親しかった。

 そして、宗一もその輪に加えて親切にしてくれる。

 無論、個人のこと、プレイヤーの素性はなにもわからない。男か女かも、宗一が思う通りとは限らないのだ。だが、こうした匿名性とくめいせいの高い、アバターを通したコミュニティは宗一にはありがたかった。

 そして、それぞれ自らにプライベートの詮索をいましめる。

 知りたがり屋の詮索好きは、エチケット違反だ。


 二人には、面と向かって恭也に相談するより、何倍も話し易い。

 気楽で気取らぬ関係、ゲーム以外に接点を持たぬからこその気安さだ。

 そんなことを思っていると、バズンがほおに手を当て身をくねらせる。

 やはり中身は女性だろうか……だが、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたるオネエ戦士は溜息ためいきこぼした。


『でも、その女の子にとって……エンジュはきっと、とてもいい変化をもたらしたと思うわ』

「そ、そうですかね」

『アタシも小さい頃、喘息ぜんそくでね……入院してる方が長い一年もあったわ。そんな時、大人は優しいけど、どうしても世界が狭くなるの。選択肢が減るのよ』

「なるほど」


 バズンの話は、少しだけあいりの現状に似ていた。

 バズンの中の人は、幼い頃は喘息に苦しめられたという。学校の行事にも参加できないことが多く、入退院を繰り返す日々だった。そんな病床の時期、会える人も触れられる娯楽も、酷く限定されてしまったのである。


『アタシの頃は、携帯電話なんて商社マンしか持ってなかったからさあ』

『むむ、バズン……お主、いったい何歳なのだ。もしや転生の秘術を使いしロリババァ――』

『おうこら、何歳つったか? 歳の話しないでよね。で……大人は優しいんだけど、勉強のためにとか、読書したまえとか、なんつーか……息苦しいのよ』


 入院していたバズンは、大好きな漫画も読めず、大人が教育的に好ましいと思った本ばかりを読まされた。病室にはテレビがあったが、ファミコンを繋げるのは禁止されたという。興奮すると喘息によくないと、両親が心配したそうだ。

 宗一は一度VRゴーグルを外し、スマートフォンで検索する。

 ファミコンというのは、ファミリーコンピュータ……昭和の時代のゲーム機だった。


『ま、そういう訳でね……今はいい時代よ? その子、もっと楽しまなきゃ。勉強も大事だけど、子供の仕事って遊ぶことだから。十代の今だけしか持ってない感性で、感動を楽しまなきゃね』

「なんか……バズンさん、凄い。か、格好いいですよ」

『我も同意、激しく同意……いつもはおのをブン回してる脳筋のうきんのイメージだからな……』


 宗一と視点を共有するエンジュは、デルドリィードと顔を見合わせた。

 表情まで再現されたCGのキャラクター同士が、目を丸くしている。

 それを見たバズンが、凄むように「ああン?」と身を乗り出してくる。


「でも、バズンさん……その、デルドリィードさんも。なんつーか、いつも……いつも、ありがとうございます。俺も、そう思いますよ」

『やだ、なぁに? 気持ち悪いわね』

『お主が言うか、お主が』


 和やかな笑いが連鎖した。

 現実では不登校児だが、VRゴーグルを被ればいつでも異世界の女騎士エンジュになれる。そこには、現実の立場や年齢、性別を超えた付き合いが待っているのだ。

 それだけが全てではないが、あれば嬉しいというのがゲームの人間関係である。

 やはり、テクノロジーは人間を幸せにする。不幸への危険もはらんでいるが、それを乗り越え克服してこその人間の知恵だろう。そして、幸福とは『』なのかもしれない。

 金銭や時間、身分や生まれに左右されない、自由な選択肢。

 あいりにも、彼女が選ぶ時間を増やしてやりたいと宗一は思った。


「とりあえず、写真の好きな子で。で、ちょっとSNSとか勧めてみたんです。あっ! 当然、俺が細心の注意を払って……まあ、ちょっと危ういこともあったけど」

『なるほど……写真が趣味ならば、インスタグラファーなどがいいかもな』

『この歳の女の子は思春期モードだしねー、注意してみてあげるのよん?』


 この二人、基本的に宗一を否定することが少ない。

 ダメ出しも時にはあるが、なんというか『こうあるべき!』という立場を取らないのだ。多分、それが宗一にとってもありがたいのだと思う。あつがない、悪く言えば無責任だが絶対的な価値観を押し付けてこないのだ。

 何が正しいのか、そして正しさがベストなのか。

 適切な手段、曲げてはいけない道理、その他もろもろ……人の数だけ正しさが存在する。それを恐らく、二人は現実世界の生活で知っているのだろう。

 そんなことを思っていたら、デルドリィードが腕組みフムとうなった。


『よし、その少女もこのゲーム、ハンティング・ファンタジアに呼んではどうかな? 勉強ばかりではなく、遊びも……彼女でもできる遊びを教えてやる、それもまた家庭教師の仕事と言えよう』

『ま、保護者さんがオッケーならアタシも大歓迎よん? このゲーム、基本は四人パーティだし……いつも新規さん、デルにドン引きしていなくなっちゃうけど』

『フッ……我の偉大なる力と存在感、ついつい漏れ出てしまうか……ギルティな』

『ダダ漏れだっつーの』


 意外な申し出に、宗一も真面目に考え込んでしまう。

 あいりは、驚くほど世界が狭い。なにせ、普通のスマートフォンを見たことがなかったのだ。それで珍しくて、つい宗一のスマートフォンをいじってしまったのである。

 ただ知識を教えるだけでは、駄目だ。

 学力以上に、今のあいりに必要なのは経験である。

 今という年頃でしか感じぬものが、世界には満ちているのだ。

 そして、現代のテクノロジーはその一部を、電脳空間へと再現できる。いつか本物を知って感動するためにも、今は現状でできる体験を色々とプレゼントしたい。


「ちょっと、おじさんに聞いてみます。ちゃんと相談しないと」

『ん、そうね。それがいいと思うわ。親はどうしても、我が子に対して慎重になるから。それって当たり前で、責任ある大人として同然だからねん?』

『うむ、我も全面的にバックアップさせてもらおうぞ。フッフッフ、リアルJC……くっ、右目が疼く!』


 またデルドリィードが小芝居こしばいを初めて、笑いが満ちる。

 宗一はこのあと、ログアウトしたらすぐに恭也にメールを送ってみようと思った。基本的に恭也は、宗一にとっては理解のある保護者だ。第二の親と言ってもいい。

 だが、それで以前の違和感を思い出す。


「そういえば……おじさんとあいりって、どうなんだろうな」


 わざわざ宗一に家庭教師を頼んでくるので、恭也があいりに対して無関心ということはない。それに、自社で開発した最高機密レベルのデバイスを与えている。開発者が秘密裏に、身内を使ってテストするのは、なんだかよくありそうな話だ。

 それに、恭也の執務室には愛娘あいりの写真があった。

 おじさんとその奥さん、若い両親の前で晴れ着を着た、あいり。

 その隣に、小さな男の子。


「あの男の子は……俺、ってことはないよなあ。2、3歳くらいだったけど」


 宗一には両親の記憶はないし、物心ついた時には施設にいた。

 恭也が引き取ってくれてからは、以前は楽しめなかった世界が一気に広がったのだ。一人暮らしも最初はトラブル続きだったが、いい経験だった。

 それを今、宗一もあいりに与えてやりたい。

 恭也の広げてくれた世界を、恭也の娘であるあいりにも見せたいのだ。


「じゃあ、デルドリィードさん。それに、バズンさん。もし、その子がゲームをやってみたいって言ったら……よろしくお願いしますね」

『モチのロン! アタシ、大歓迎よん? えっと、中学生くらいの年頃なのよね。だったら、レーティングも加味して全年齢モードで遊びましょ』

血飛沫ちしぶき残酷描写ざんこくびょうしゃ等の演出を切り替えられるからな……フフ、我は今この瞬間、未来に生きてる』


 全くね、とバズンも笑った。

 それから宗一は、もう一人の仲間を一期一会いちごいちえで誘って狩りに出た。部屋とあいりの屋敷を往復する宗一の日々は、分身である女騎士を以前より軽やかに躍動させてる気がするのだった。

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