第4話「とんでもない娘、あいり」
長身のメイドを追って、再び廊下を歩く。
それにしても、広い屋敷だ。
レトロな洋館が建つ敷地自体が、かなり広い。
ぼんやりと庭を眺め、舞い散る桜を見て
「あっ! しまった……」
「どうかされましたか? 阿南先生」
立ち止まったメイドが肩越しに振り返る。
「い、いえ……あいりの――」
「あいり
「ハ、ハイ……あいり御嬢様の服、おじさんに頼むんだった。パジャマしかないって言うからさ」
その言葉に、メイドは宗一へ向き直った。
確か名は、
華梨は少し周囲を確かめてから、小さく上体を屈めてきた。
「……阿南先生もそうお思いですか?」
「ま、まあ」
「私も御嬢様には、もっと衣服や身の回りの充実をと旦那様にお願いしたいのです。ですが私は
「なんか、大変なんですね」
少し華梨のイメージが変わった。
そう思って見詰めていたら、華梨は
程なくして、再び宗一はあいりの部屋へと戻ってきた。
「あっ、先輩っ。おかえりなさい。……父様、お元気でしたか?」
「あ、うん。ただい、ま、って……お、おいおい、あいりっ!」
思わずあいりを見て、宗一は声を荒げてしまった。
彼女は、机から離れてカーペットの上に寝転がっている。テーブルには紅茶とケーキが運ばれているが、まだ手付かずだ。
そして、あいりは……うつ伏せに両脚をバタバタさせながら、携帯電話を見ている。
それは、宗一のスマートフォンだった。
「バカ、人の携帯を触るなって!」
「あ、これ……やっぱり携帯電話なんですか? スマートフォン、っていうんですよね。初めて見ました」
「こら、返せっ!」
あいりの手から、慌ててスマートフォンを取り上げる。
どうやら、写真を収めたフォルダを見られてしまったようだ。あまり変な被写体を
そして、
見られて困るものがなくても、嫌なのだ。
大多数がそうであるように、携帯電話は個人の空間を凝縮したものだかから。
「先輩、いろんな写真持ってますね。外、凄いなぁ……」
「あのな、あいり。……ちょっとお前、そこに座れ」
「はいっ。それで先輩、そのスマートフォンにあった写真、あの紅白の塔はなんですか? あと、お寺とか神社とか、プラモデルとかご飯とか。ゲームみたいなのも――」
「いいから、座って」
起き上がったあいりは、瞳をキラキラさせながらペタンと座る。本当に
だが、ここは心を鬼にして「正座」と声を
あいりは首を
「あいり、お前はこの家でしか暮らしてないから……だから、俺は怒らない」
「……怒って、ますよね? 少し、凄く、怒ってますよね」
「怒ってない! あ、ゴメン……でもさ、あいり。俺の話を聞いてくれ」
宗一は慎重に言葉を選びながら話した。
携帯電話は、完全に持ち主だけの世界だ。今の時代、多くの個人情報が詰まっている。友人関係や会社の人間関係、生い立ちや趣味、人によっては性癖なんかも入っているのだ。それを他者に見られて、どうぞどうぞと喜ぶ人間は少ない。
そして、相手がどう思っていても、他者のプライベートを除くのはマナー違反だ。
高度にネットワークが発達した今の社会で、必要不可欠なエチケットなのだ。
そのことを話したら、あいりは少しキョトンとしていた。
だが、どうやら
「あ……えと、ごめん、なさい。……その、スマートフォン、珍しくて」
「今度から気をつけろよ。お前はさ、これから友達だってできるかもしれないし、ほら、あれだ……かっ、かか、彼氏? とかだって。そういう時な、絶対にしちゃいけないこと、踏み込んじゃいけない場所ってあるんだよ」
「そう、ですよね。わたしと違って、普通はそういうの……ありますっ。わたし、わかりますっ」
「お、おう。……いや、お前だってあれこれ見られたらヤだろ? 自分がされて嫌なことは、まず人にはしない。自分は自分、人は人……全く同じじゃないが、基準としてはまず無難な――って、おいっ!」
不意に身を乗り出したあいりが、宗一の右手を
そして、自分の手の甲に……右手に光る大きなレンズへと押し当てる。
小さな音と同時に、あいりの右手が輝き出した。
「わたしも、先輩に全部見せますっ。お
「待て! 待てあいり、手! 手が」
温かくて、柔らかくて、そして小さくて。
宗一の手の中で、レンズから無数の光が飛び出した。
そして、またたくまに周囲に立体映像で写真が乱舞する。全て、あいりが撮影したものだろう。その数は膨大で、あっという間に部屋中の空間を満たしてしまった。
世界の一部を切り取る写真の数々に、宗一は驚く。
「……家の写真ばっかだな。そりゃ、そうか」
「はいっ。わたし、誰かに見せたかったんだと思います。それに、誰かに……その誰かに、来てほしかった。そう思ってたら、先輩が来てくれたんです、よ?」
「お、おう……けどな、今度から気をつけろよ? 他人の携帯電話にはノータッチ、持ち主不在時に突然鳴り出しても、残念だけど黙って見てるしかない。トラブルの元になるからな」
「は、はいっ。気をつけます、先輩」
「ん、まあ……あとは、なんだなあ。あいりの写真、沢山あるな」
自撮りも含めて、全てこの家の敷地内だ。
でも、あいりは周囲を取り巻く写真をあれこれ説明してくれる。
庭を時々通る、まるまると太った猫。
地下室の階段と、その先の鍵が掛かったドア。
広いキッチンで、忙しく働くコック達。
車庫に並んだ外車の数々。
他にも、
何気ない日常が、彼女ごとこの屋敷に凝縮されて閉じ込められていた。
「わかった、わかったから。あいり、もう怒ってない。次から気をつけてくれればいいからさ……そ、それより、手」
「手、ですか?」
「そう、手。離して、くれよ……その、なんかさ」
「は、はいっ。えと、離しましたっ」
あいりは不思議そうな顔をして、そっと手を離した。
本当に妙な女の子で、鈍感で天然なところがあるらしい。
顔を赤らめるでもなく、じっと宗一を見詰めてくる。
まるで子犬だ。
「とりあえず……今日はもう、勉強はいっか。写真、もう少し見せてくれよ」
「は、はいっ」
「……外の写真も、そりゃ欲しいよなあ」
「先輩? 今、なにか……?」
「なんでもないよ、あいり。お茶、冷めちゃったな」
見上げれば、天井を漂う写真は魚の群れのようだ。
静かにゆっくり回って巡り、宗一とあいりに向けられている。
思い出という名の星座を浮かべる
しかも、宗一は奇妙なことに気付いた。
「なあ、おじさんとは……撮らないのか?」
「父様は、お忙しいんです。いつもちょっとしか、会えなくて。写真も、また今度、って」
「そっか……そういや、さっきも急いでたみたいだったしな」
「お仕事、大変、ですよね。宗一先輩も……お仕事、大変ですか? わたしの、家庭教師」
「いいや? ただまあ、そっちはともかく、これから友達としてやってくつもりだから、簡単な仕事じゃないかもな」
友達という言葉に、あいりは目を見開いた。
彼女は鼻息も荒く、フスー! と何度も大きく
本当に
宗一が部屋に置いていったスマートフォンは……ロックがかかっていた。
宗一しか解除のパスワードを知らない、完全にロックされた状態だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます