第3話「恩人の愛娘、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチが歩く彌勒寺家みろくじけは、広い。

 旧家きゅうかの豪邸を思わせる、和洋折衷わようせっちゅうながらもモダンな雰囲気だ。明治から大正にかけて、もう百年以上も前に作られた建物ではと思わせてくれる。

 そんな中を、貞淑ていしゅくなメイドが迷わず進んでゆく。

 ちょっとした迷宮ダンジョンだが、宗一は恐縮しながらそのあとを追った。


「こちらでお待ち下さい」


 長身のメイドがそう言って、ドアを開いて横に控える。

 改めて見ると、とても綺麗な女性だ。だが、切れ長の瞳も長い黒髪も、どこか人形のような冷たさがある。言葉遣いも、その声音も、透き通りながらもどこか遠ざけてくるイメージだ。

 小さく「ど、どうも」と言って、宗一は部屋に入った。

 メイドはすぐにドアを閉め、行ってしまった。


「ここは……おじさんの仕事部屋かな?」


 その部屋は広く、奥の窓際に大きな執務机しつむづくえがある。映画やアニメだと、ラスボスが逆光を浴びて座るような椅子もあった。他には、壁一面の本棚ほんだなに難しい専門書、そして応接セットのソファとテーブルがある。

 調度品も内装も手がかかったもので、落ち着いた雰囲気だった。

 自然と歩み出れば、ふと本棚のすみに目が止まる。

 小さな写真立てに、奇妙な光景があった。


「あれ……この写真、あいり? いや待て、じゃあ……こっちの男の子は、誰だ?」


 それは、家族の肖像

 多分、七五三しちごさんかなにかの写真だろう。

 両親の前で、晴れ着を着た少女と、その弟らしき小さな男の子。父親はどこか、若い頃のおじさん……彌勒寺恭也ミロクジキョウヤ彷彿ほうふつとさせた。少女が幼少期のあいりだと思うので、まず間違いないだろう。

 だが、恭也の妻は他界しているし、男の子がいたという話も聞かない。

 そして、あいりに無邪気にじゃれつく男児の顔もまた、どこかで見たことがあるような気がした。

 首をかしげていると、背後でドアが開く。


「やあ、宗一君。いろいろ忙しくてね……あまり時間がとれないのだが、久しぶりだな」


 上品な仕立てのスーツを着こなした、長身の男性がやってきた。年の頃は壮年期そうねんきに差し掛かっているのだと思うが、肌艶はだつやもよく表情も若々しい。なでつけた髪もまだまだ黒く、四十代でも通用しそうだ。

 宗一は保護者の恭也に、改めて向き直ると頭を下げる。


「ごっ、ご無沙汰ぶさたしてます! おじさん」

「ああ、うん。そうだね……正月以来、かな?」

「は、はい。えっと」

「今回は無理を言ってすまないね……あいりにはもう、会ったんだって? 今日から早速、勉強を見てもらってるみたいだが」


 内心、宗一はどこかで後ろめたさがあって、落ち着かない。

 この人は死んだ父の古い友人で、学費や生活費の一切を援助してくれる。それなのに、宗一は高校にずっと行っていないのだ。

 だが、恭也はそのことを最初は話題には出してこなかった。

 高そうな腕時計を気にしながら、ソファに座るよううながして自分から腰掛ける。宗一もそれにならった。


「で、だ……多分もう、見ただろう? あいりの右手の」

「あ、はい。あれ、凄いですね……なんなんです?」

「うちの会社で開発している、携帯電話……スマートフォンをさらに超越した、万能多目的デバイスさ。電話は勿論もちろん、メール、ネットからオフィスでの事務、経理、在庫管理……動画に音楽、その他なんでもござれの凄いやつだね」

「まるで異次元レベルですよ、あんなんじゃ……使い勝手からして別物だし」

「だろう?」


 ちょっと嬉しそうに、恭也は薄い笑みを浮かべた。

 元々が技術畑の人間だから、彼にとっては商品である以上に作品なのかもしれない。

 事実、あいりの右手のデバイスは何もかもが新しい。SF小説の世界ではありふれたものでも、それが現実で実用化一歩手前にきているとなると、宗一も興奮を禁じ得ない。

 近い将来、誰もが右手にあれをはめて生活する日がくるかもしれない。

 腕時計型やゴーグル型のウェアラブル端末も今はあるが、価格帯や性能、それゆえの普及率という課題を抱えている。だが、あれはすでに話の次元が違った。


「ま、今はちょっと訳があってね……あいりに使わせている。あいりにだけ、かな? そういう訳で、勉強をみながら少し気にしてもらえると助かる」

「なんか、あのデバイスを守れ、って……産業スパイとかですか? 俺、ただの高校生ですよ?」

「そう、現在絶賛不登校中の、ただの高校生だ」

「うっ、それは……その、すみません」


 冗談めかした口調だったが、ついに受けてしまう。

 それで表情が無意識に暗くなったのだろうか? あわてて恭也は真面目な表情になった。だが、その目は問い詰めるでもなく、とがめるでもなく、優しい。


「いや、ごめんよ。ただ、学校が嫌なら行かなくてもいい。勉強はどこででもできるし、これからもずっとできる。しかし、学生の大きなコミュニティである学校に行かないと、社会が狭くなる。だったら、仕事をしてみるのもいいと思ってね」

「家庭教師、頑張りますよ。その……あいりも、学校、行けてないみたいだし」

「そうなんだよ。彼女はあまり気にした風にしていないが、宗一君よりさらに社会が狭い。世界が狭いんだね。この家から出られないんだから」


 あいりは身体が弱くて、自宅療養の日々が続いている。

 外出用の服、というかパジャマ以外の服を持っていないことから、恐らく長い間ずっとそうなのだろう。

 少し、自分に似ている。

 そして、自分よりもっと切実だ。

 宗一が不登校になった原因は、端的に言うといじめだ。スクールカーストと呼ばれる姿なき階級制度が、最下層に位置する生贄いけにえの人間を探していたのだ。そして、サブカルチャー全般を好む物静かな……有り体に言えば根暗ねくらなオタク少年がターゲットになったのだ。

 グループごとにSNSでやり取りしながら、クラスの大半が宗一を包囲し、排除した。

 思い詰める前に学校に行かなくなったのは、むしろよかったと思っている。


「あいりは、勉強は凄くできるだろう?」

「あ、はい……えっと、家庭教師なんて必要ないんじゃないですか? 今なら、ネットでの通信教育もありますし、バーチャルスクールサービスなんかも充実してるし」


 昔からよく、ネットの普及で距離的な拘束、そして時間的な不都合が解消されると言われてきた。決まった時間に学校へ移動する、その手間がなくなる……家にいながら、好きな時間にオンラインで勉強ができると言われてきたのだ。

 だが、そんな社会はこなかった。

 人間はどうしても、他者と顔を合わせることで社会を成立させているからだ。

 それは一般的には、情操教育じょうそうきょういくに好ましいのは現実の人間関係だと、そう大人達は言い聞かせてくる。だが、その現実から弾き出された宗一は、少し懐疑的かいぎてきだ。

 テクノロジーの進歩は、それを正しく使う限り人間を幸せにする。

 あいりのようなでも、あれだけの学力を得られているのがその証拠だ。

 だが、恭也は大人として一般論にも一定の理解を示す。


「……あいりにはね、友達がいないんだ。私と、メイドの華梨カリン、そして運転手のカナメ君……この三人としか話したことがない。それは、とてもさびしいことだと思ってね」


 父親として真っ当なことで、宗一にも酷く共感だ。

 天涯孤独てんがいこどくになってしまった宗一は、目の前の恭也によって寂しさから救われているのだから。彼は経済的な保護者、法的な後見人である以上に、宗一には大切な人だった。

 そう思っていると、ふと恭也が奇妙なことを聞いてくる。


「それで、だ。宗一君……? 変、というか」


 その質問自体が、妙だ。

 父親である恭也の方が、詳しいはずだ。

 それに、聞くまでもないことだったから。


「あの、おじさん……その、なんていうか、悪いんですけど……あいり、変ですよ」

「ん、まあ……同年代の女の子と比べると、確かに少しおかしいかもしれない」

「少しというか……か、かなり? おかしいですよ。あ、でも、なんていうか……人との距離感? そういうの、ちょっと普通じゃなくて。あっ! で、でも、悪くはないです! あいりは悪くなくて、俺も嫌ではなくて」


 慌ててソファを立ってしまったので、恭也はほおを崩した。


「ありがとう、宗一君。やはり、君に来てもらってよかった。それに、人の勉強を見れるというのは、ちゃんと普段から勉強してる証拠さ。私も安心したよ」

「は、はい……で、あいりはちょっと、いや、かなり変な娘ですけど……でも、仲良くやってけると思います。俺に友達もやってやれって、そういうことなのかなって」

「そうしてもらえると嬉しい。助かるよ」


 そうこうしていると、ノックの音が響く。

 恭也が「どうぞ」と言うと、黒服姿のサングラスをかけた男性が入ってきた。目元を覆ってもわかる、どこか中性的な美形である。すらりと細くて、そして宗一は自分の見識を改めた。

 豊かな胸の膨らみは、彼女が男装の麗人だと教えてくれた。

 恭也は立ち上がると、スーツの襟元を正す。


「要君、もう時間かね?」

「はい、会長。車を回しましたので、お迎えにあがりました」

「ご苦労様、それじゃあ行こうか。すまんね、宗一君。引き続き、あいりを頼むよ。そして……なにかあったら、すぐに教えて欲しい。メールで構わないから」


 それだけ言って、恭也は出ていってしまう。

 要と呼ばれていた女性は、恐らく彼の運転手だろう。宗一を見て少しだけサングラスを下ろし、その下の綺麗な瞳に微笑びしょうを浮かべていた。

 宗一は立ち上がって、黙礼しながら二人を見送る。

 とりあえず、恭也があいりを気にかけていることがよくわかった。父親として当然で、それが当たり前なことは嬉しい。

 だが……妙な違和感があって、その正体がわからない。

 そのまま宗一は、再び現れたメイド、華梨という名の女性に案内されてあいりの部屋へと戻るのだった。

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