第3話「恩人の愛娘、あいり」
そんな中を、
ちょっとした
「こちらでお待ち下さい」
長身のメイドがそう言って、ドアを開いて横に控える。
改めて見ると、とても綺麗な女性だ。だが、切れ長の瞳も長い黒髪も、どこか人形のような冷たさがある。言葉遣いも、その声音も、透き通りながらもどこか遠ざけてくるイメージだ。
小さく「ど、どうも」と言って、宗一は部屋に入った。
メイドはすぐにドアを閉め、行ってしまった。
「ここは……おじさんの仕事部屋かな?」
その部屋は広く、奥の窓際に大きな
調度品も内装も手がかかったもので、落ち着いた雰囲気だった。
自然と歩み出れば、ふと本棚の
小さな写真立てに、奇妙な光景があった。
「あれ……この写真、あいり? いや待て、じゃあ……こっちの男の子は、誰だ?」
それは、家族の肖像
多分、
両親の前で、晴れ着を着た少女と、その弟らしき小さな男の子。父親はどこか、若い頃のおじさん……
だが、恭也の妻は他界しているし、男の子がいたという話も聞かない。
そして、あいりに無邪気にじゃれつく男児の顔もまた、どこかで見たことがあるような気がした。
首を
「やあ、宗一君。いろいろ忙しくてね……あまり時間がとれないのだが、久しぶりだな」
上品な仕立てのスーツを着こなした、長身の男性がやってきた。年の頃は
宗一は保護者の恭也に、改めて向き直ると頭を下げる。
「ごっ、ご
「ああ、うん。そうだね……正月以来、かな?」
「は、はい。えっと」
「今回は無理を言ってすまないね……あいりにはもう、会ったんだって? 今日から早速、勉強を見てもらってるみたいだが」
内心、宗一はどこかで後ろめたさがあって、落ち着かない。
この人は死んだ父の古い友人で、学費や生活費の一切を援助してくれる。それなのに、宗一は高校にずっと行っていないのだ。
だが、恭也はそのことを最初は話題には出してこなかった。
高そうな腕時計を気にしながら、ソファに座るよう
「で、だ……多分もう、見ただろう? あいりの右手の」
「あ、はい。あれ、凄いですね……なんなんです?」
「うちの会社で開発している、携帯電話……スマートフォンをさらに超越した、万能多目的デバイスさ。電話は
「まるで異次元レベルですよ、あんなんじゃ……使い勝手からして別物だし」
「だろう?」
ちょっと嬉しそうに、恭也は薄い笑みを浮かべた。
元々が技術畑の人間だから、彼にとっては商品である以上に作品なのかもしれない。
事実、あいりの右手のデバイスは何もかもが新しい。SF小説の世界ではありふれたものでも、それが現実で実用化一歩手前にきているとなると、宗一も興奮を禁じ得ない。
近い将来、誰もが右手にあれをはめて生活する日がくるかもしれない。
腕時計型やゴーグル型のウェアラブル端末も今はあるが、価格帯や性能、それゆえの普及率という課題を抱えている。だが、あれは
「ま、今はちょっと訳があってね……あいりに使わせている。あいりにだけ、かな? そういう訳で、勉強をみながら少し気にしてもらえると助かる」
「なんか、あのデバイスを守れ、って……産業スパイとかですか? 俺、ただの高校生ですよ?」
「そう、現在絶賛不登校中の、ただの高校生だ」
「うっ、それは……その、すみません」
冗談めかした口調だったが、つい
それで表情が無意識に暗くなったのだろうか?
「いや、ごめんよ。ただ、学校が嫌なら行かなくてもいい。勉強はどこででもできるし、これからもずっとできる。しかし、学生の大きなコミュニティである学校に行かないと、社会が狭くなる。だったら、仕事をしてみるのもいいと思ってね」
「家庭教師、頑張りますよ。その……あいりも、学校、行けてないみたいだし」
「そうなんだよ。彼女はあまり気にした風にしていないが、宗一君よりさらに社会が狭い。世界が狭いんだね。この家から出られないんだから」
あいりは身体が弱くて、自宅療養の日々が続いている。
外出用の服、というかパジャマ以外の服を持っていないことから、恐らく長い間ずっとそうなのだろう。
少し、自分に似ている。
そして、自分よりもっと切実だ。
宗一が不登校になった原因は、端的に言うといじめだ。スクールカーストと呼ばれる姿なき階級制度が、最下層に位置する
グループごとにSNSでやり取りしながら、クラスの大半が宗一を包囲し、排除した。
思い詰める前に学校に行かなくなったのは、むしろよかったと思っている。
「あいりは、勉強は凄くできるだろう?」
「あ、はい……えっと、家庭教師なんて必要ないんじゃないですか? 今なら、ネットでの通信教育もありますし、バーチャルスクールサービスなんかも充実してるし」
昔からよく、ネットの普及で距離的な拘束、そして時間的な不都合が解消されると言われてきた。決まった時間に学校へ移動する、その手間がなくなる……家にいながら、好きな時間にオンラインで勉強ができると言われてきたのだ。
だが、そんな社会はこなかった。
人間はどうしても、他者と顔を合わせることで社会を成立させているからだ。
それは一般的には、
テクノロジーの進歩は、それを正しく使う限り人間を幸せにする。
あいりのような
だが、恭也は大人として一般論にも一定の理解を示す。
「……あいりにはね、友達がいないんだ。私と、メイドの
父親として真っ当なことで、宗一にも酷く共感だ。
そう思っていると、ふと恭也が奇妙なことを聞いてくる。
「それで、だ。宗一君……あいりになにか、妙なところはないかな? 変、というか」
その質問自体が、妙だ。
父親である恭也の方が、詳しい
それに、聞くまでもないことだったから。
「あの、おじさん……その、なんていうか、悪いんですけど……あいり、変ですよ」
「ん、まあ……同年代の女の子と比べると、確かに少しおかしいかもしれない」
「少しというか……か、かなり? おかしいですよ。あ、でも、なんていうか……人との距離感? そういうの、ちょっと普通じゃなくて。あっ! で、でも、悪くはないです! あいりは悪くなくて、俺も嫌ではなくて」
慌ててソファを立ってしまったので、恭也は
「ありがとう、宗一君。やはり、君に来てもらってよかった。それに、人の勉強を見れるというのは、ちゃんと普段から勉強してる証拠さ。私も安心したよ」
「は、はい……で、あいりはちょっと、いや、かなり変な娘ですけど……でも、仲良くやってけると思います。俺に友達もやってやれって、そういうことなのかなって」
「そうしてもらえると嬉しい。助かるよ」
そうこうしていると、ノックの音が響く。
恭也が「どうぞ」と言うと、黒服姿のサングラスをかけた男性が入ってきた。目元を覆ってもわかる、どこか中性的な美形である。すらりと細くて、そして宗一は自分の見識を改めた。
豊かな胸の膨らみは、彼女が男装の麗人だと教えてくれた。
恭也は立ち上がると、スーツの襟元を正す。
「要君、もう時間かね?」
「はい、会長。車を回しましたので、お迎えにあがりました」
「ご苦労様、それじゃあ行こうか。すまんね、宗一君。引き続き、あいりを頼むよ。そして……なにかあったら、すぐに教えて欲しい。メールで構わないから」
それだけ言って、恭也は出ていってしまう。
要と呼ばれていた女性は、恐らく彼の運転手だろう。宗一を見て少しだけサングラスを下ろし、その下の綺麗な瞳に
宗一は立ち上がって、黙礼しながら二人を見送る。
とりあえず、恭也があいりを気にかけていることがよくわかった。父親として当然で、それが当たり前なことは嬉しい。
だが……妙な違和感があって、その正体がわからない。
そのまま宗一は、再び現れたメイド、華梨という名の女性に案内されてあいりの部屋へと戻るのだった。
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