第2話「へんてこな少女、あいり」
一言で言うなら、
どこかおかしい、明らかに変だ。
しかし、それは
「先輩、できました」
「あ、ああ、うん。じゃあ、ちょっと採点するから待ってて」
あいりの学力は極めて優秀だ。
自分の家庭教師なんて、必要ないのではと思う程度に。
今も中学二年生レベルの数学を試してみてるが、教えれば何でも素直に吸収してくれる。要領良く覚えて、飲み込みも早かった。
こうして小テストをやらせてみても、それははっきりしている。
だが、やっぱり妙なのだ。
「え、えっと……なあ、彌勒寺さん。その」
「あいり、です」
「えっ?」
「あいりって呼んでください、先輩」
「え……ま、まあ、じゃあ……あいりさん」
「さん、はいらないんです」
「……あいり」
「はいっ」
何故か彼女は、いつもじっと
視線を感じて集中できないが、
それと、やはり彼女の部屋で二人きりだと気になることがもう一つ。
「あいり、その……着替え、ないのか? 会ってからずっと、パジャマだけど」
そう、あいりはずっとパジャマ姿だ。
上下揃いのシックなグレーのパジャマ。イエローのアクセントが
パジャマ、つまり
あいりはさっきからずっと、着替える気配がない。
「あ、えっと……服、持って、ないです」
「……へ?」
「でも、パジャマなら沢山ありますっ。あ、違う柄にしましょうか。かわいいのもありますよ、えっと……あと、お色気むんむんな感じのも」
「い、いいっ! いいから! ……服、持ってないだって?」
この大豪邸に住んでて、着る服がないとあいりは言う。
宗一には、ちょっと信じられない。
彌勒寺の家はあの有名な、ミロクジ・インターナショナルの創始者の家系である。
だが、ふと思い出す。
あいりはずっと、身体が弱くて自宅療養中なのだ。
「ま、いっか。悪かったな、あいり」
「なにがですか?」
「いや……パジャマでも、いいよ。勉強とは関係ないしさ。でも、今度おじさんに会ったら言っておく。あいりもいくら外出しないからって、服がなきゃ不便だろ」
「不便、ですか」
あいりは胸元を
ほっそりとした白い
まったくもって無防備、そして
きっと箱入り娘なんだろうと、宗一は思うことにした。
「あ、そういえば。先輩はどうしてわたしの家庭教師を引き受けてくれたんですか?」
「ああ、おじさんが……つまり、あいりのお父さんが俺の保護者みたいなもんなんだよ。学校に行かないなら、アルバイトを頼めないかって」
「……じゃあ、先輩は先輩じゃなくて、兄様なんですか?」
「どっ、どど、どうしてそうなるっ!」
グッとあいりが顔を近付けてくる。
学習机に並んで二人、思わず宗一はのけぞった。
「……俺、さ。両親がいないんだよ。オヤジもおふくろも記憶にない。でも、オヤジの古い友人だっていうおじさんが、学費からなにから支援してくれてて」
「じゃあ、わたしと一緒ですねっ。よかったあ……わたしも、父様にお世話になってるんです」
「そりゃね、実の娘だから当然でしょ」
「です、よね……そう、ですよね」
施設で育った宗一に、あいりの父である
おかげで高校に進学もできたし、都内のアパートに一人暮らししている。アルバイトをして、何不自由なく暮らさせてもらっているのだ。
だから少し、肩身が
今、宗一は学校に行っていないのだ。
逆に、恭也が自分を頼ってくれたのは嬉しかった。
「ま、そういう訳だからさ。あいりもしっかり勉強しな。でないと、俺みたいに……まあ、もうなってるか。学校、いつから行けてないんだ?」
「学校……見たこと、ないです」
「……ずっとか。ん、なに、考えようによっちゃ大人になってからでも取り戻せるさ」
「はいっ」
笑うあいりの笑顔が、とても愛らしい。
無条件の信頼を
妹がいたら、きっとこんな感じだろう。
そう思っていると、あいりは「ん」と天井を見上げてなにかを考え、ぱっと目を見開いた。
「そうだ。あのっ、先輩。写真、
「えっ? 俺の?」
「先輩の写真、欲しいですっ」
「なんでまた」
「駄目、ですか?」
あいりは自分の右手を、胸の上で抱き締める。
手の甲に光るレンズに、困った顔の宗一が映っていた。
そういえば、あいりは先程言っていた。写真が好きだと。恐らく、外に出られない彼女には趣味が限られているのだ。恵まれた家に生まれ育っても、持って生まれた肉体は自分では選べない。
「ん、ま、まぁ……いいけどさ」
「わわ、ありがとうございますっ。やっぱり先輩、いい人ですね」
あいりが左手の指を、右手のレンズに走らせる。
小さくリン、と音が鳴って、空中へと立体映像が投影された。それは、パソコンの画面で見るウィンドウのような四角い
先程宗一も触れたが、驚くべき技術だ。
二十一世紀になって、ほぼ四半世紀……西暦2024年。
スマートフォンの爆発的な普及と進化は、ちょっとした停滞に
だが、あいりの持つそれは違う。
これが、あの恭也が守れと言った次世代の新型デバイスだろう。
「先輩、笑ってください」
「ど、どうやって。ハ、ハハ……」
「笑顔が硬いです。こちょこちょしますよ?」
「わかった、笑う! 笑うから待てっ!」
ひきつる笑顔で、宗一はあいりが手を添えるウィンドウを見詰める。
シャッター音が響いたが、あいりは一枚で気がすまないようだ。
そのまま宙空に浮かぶファインダーをトンと押して、泳がせる。そして、
「次は一緒に。記念写真です」
「あっ、あいり! くっついて……ちょ、お前っ!」
「先輩、笑ってください」
「笑えないぞ、あいり! そ、その……ちょっと、くっつき過ぎ、で」
「こちょこちょしますよ?」
「笑う! 笑います! けど、なんつーか」
遠慮なくあいりは、ぴったりと身を寄せてきた。
腕を抱くようにして頬に頬をくっつけてくる。
そうして彼女は、遠隔操作で光のファインダーを操った。
シャッター音が再び鳴るまで、宗一には長い長い一瞬が過ぎていった。ほのかに鼻孔をくすぐる、甘い匂い。果樹園の空気のような、見えない
だが、あいりは気にした様子もなくツーショットの写真を撮る。
ドアがノックされたのは、そんな時だった。
「写真、撮れました。先輩、ありがとうございますっ。あ……どうぞ」
「御嬢様、失礼します」
ドアが開いて、先程の長身のメイドが現れた。
目も覚めるような美人だが、
彼女はお茶の準備ができたのでと言い、今から運ばせる
先程までの後ろめたさが突然襲ってきて、宗一は慌ててあいりから離れて立ち上がる。
その時、
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