電脳パジャマ

ながやん

第1話「彼女の名は、あいり」

 学校に行かなくなってから、初めての春。

 高校二年生として過ごすべき時間の中で、阿南宗一アナミソウイチは見知らぬ屋敷の廊下を歩いていた。豪邸、それも大豪邸である。

 都内の一等地に広がる、城壁のような生垣いけがきの中。

 先を歩くのは、クラシカルなモノクロームのメイドだ。

 彼女は宗一を連れて、奥の離れへと脚を踏み入れる。


御嬢様おじょうさま、あいり御嬢様! 家庭教師の先生がお見えになりました。……失礼します」


 ノックに返事がなかったので、メイドは静かにドアを開け放つ。

 先生などという仰々ぎょうぎょうしい呼び方に、宗一は辟易へきえきしたが……目の前に広がる景色に唖然あぜんとしてしまった。

 そこは、まるでメルヘンの国のような子供部屋だ。

 パステルカラーが調和した室内に、ベッドや机、そして沢山のぬいぐるみがあった。この部屋の主、彌勒寺ミロクジあいりの自室である。確か、今年で14歳になると依頼主からは聞かされていた。

 だが、その姿は室内のどこにも見当たらない。

 腰に手を当て、メイドが溜息を零す。


「……阿南さん、少々お待ちを。また、お部屋を抜け出たみたいです」

「はあ……あの、えっと」

「この部屋でお待ち下さい。決してお屋敷の中をうろつきまわらぬよう」


 有無を言わせぬ怜悧れいりな声だ。

 美人だが、長身も手伝ってどこか威圧的な雰囲気のメイドである。彼女はやれやれといった億劫そうな態度を隠しもせず、部屋を出て行ってしまった。

 見送る宗一はベッドに腰掛け、その柔らかさに慌てて立ち上がる。

 ほのかにいい匂いがして、まるで別世界のような部屋だった。


「……とんでもない仕事を引き受けちゃったな。けど、いい……学校よりはずっといい」


 手持ち無沙汰になって、ついついスマートフォンを取り出す。

 Wi-Fiワイファイ環境が整ってるようで、すぐにネットワークに繋がった。

 同世代の多くがそうであるように、宗一にとってもスマートフォン、そしてネットワーク社会への接続と参加は日常の一部だ。

 それゆえ、その中で居場所を失った一年間は、まるで死んでいたようだ。

 それなのに、今も自分を追い出した人間達を追ってしまう。


「クソッ、クラスの連中……進級して浮かれやがって。誰も……俺の話なんか、しちゃいないか」


 広大なネットワーク社会は、多くの人間に情報やコンテンツの共有をうながした。同時に、その規模が広がり続ける程に……先鋭化したコミュニティがあちこちで生まれ、SNSの排他性はいたせいは強まってゆく。

 宗一も、自分がいるべき教室から弾き出された人間だった。

 何よりショックだったのは、自分を排除した人間の変わらぬ日常だ。宗一のいない喪失感も、宗一を集団で追い出した罪悪感も、誰一人として感じていない。


「ま、いいけどな……春だってのに、代わり映えしない奴等やつらさ」


 新たな標的をいじめている、かつての級友達クラスメイト。その書き込みが行き交うSNSを、そっと宗一は閉じる。スマートフォンをしまって窓の外を見れば、広い庭には桜が咲いていた。

 穏やかな風に舞い散る花びらは、ゆっくりと芝生しばふに落ちてゆく。

 久しく昼間に出歩いたこともないので、宗一はみやびな風景に目を奪われた。

 そして……その中で動くものをみつけて、思わず身を乗り出す。


「ありゃ……お、おいっ! お前……あ、ひょっとして! お前が――」


 窓を開け放つ。

 その先に、大きな桜の木が立っている。

 そして、細い枝の先にパジャマ姿の少女がいた。

 危なげな足取りで、彼女は高く空へと手を伸ばしている。

 宗一の声に気付いた少女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。短く切り揃えた銀髪ぎんぱつに、眼鏡の奥で瞬きする大きな瞳……見るも愛らしい表情は、生真面目きまじめさが滲み出ているようだ。

 まるで桜の妖精のような少女が、口を開く。


「こんにちは」

「え? あ、ああ……ど、どうも。なに、してるのかな?」

「写真を、ってます。撮ろうと、思って」

「……桜の?」

「いえ、外を」


 間違いない、今日から宗一が家庭教師として面倒を見る予定の、彌勒寺あいりだろう。病弱故にずっと自宅療養中だと聞いている。

 彼女の勉強を見てやることが、宗一に与えられた仕事の一つだ。

 そして、もう一つは――


「あっ、外……ここからなら、外が見えます。あの、そこのあなた」

「お、俺?」

「はい。シャッターを、お願いできないでしょうか。わたしと、外とを撮ってください」

「外って……別に何もないぜ?」

「外には、世界が広がっています。まだ見ぬ、世界が」


 そう言ってあいりは、空へと再び手をかざす。

 右手の甲に、が光っていた。それは、手袋と言うよりは一種の装飾のような、紫色の布で装着されている。

 彼女がそのレンズへと、左手の指を滑らせた。

 次の瞬間、驚くべき光景が広がる。

 小さな電子音と共に、あいりの手から光が走る。それは宙空ちゅうくうイメージを結んで、30cm四方程の板になった。まるで、立体映像で浮かび上がったウィンドウのようだ。

 それをアイリは、右手の動きで軽々と宗一に投げてくる。


「シャッター、お願いします」

「え、えっと、ええっ!? ま、待って、これ……」


 目の前に今、あいりが表示した立体映像のウィンドウが浮かんでいる。そして、それはカメラのフレームのように、向こう側のあいりと桜と、外の空とを映していた。

 よく見れば、スマートフォンのカメラアプリの画面に似ている。

 しかし、指での押下おうかを求める点滅は、ボタンでもタッチパネルでもない。

 全てが光学映像で生み出された、それはだ。


「外と、わたしと……あ、もう少し大きいカメラがいいですか?」

「いや、ええと」


 これがもう一つの仕事かと、宗一はようやく理解した。

 彼は臨時で雇われたあいりの家庭教師であり……彼女が持つ新世代のネットワークデバイスを守るよう言われている。何故、彼女がこんな大それた物を持っているか、それはわからない。だが、彌勒寺と言えば有名なITアイティー複合企業、ミロクジ・インターナショナルの創始者だ。

 つまり、その御令嬢ごれいじょうの手に最新鋭の機器があってもおかしくはない。

 そう思っていると、あいりは枝の上で大きく身を乗り出した。


「そうだ、あなたも一緒に写真、写りませんか? 一緒に……あっ」

「危ないっ!」


 咄嗟とっさに宗一は駆け出す。

 それは、あいりが桜の枝から転げ落ちるのと同時だった。

 両手を広げて滑り込んだが、容赦なくパジャマ姿のお尻が頭上に落下してくる。そのまま下敷きになって、宗一は芝生の上に伸びてしまった。

 思ったより、重い。

 これがリアルな女子中学生の体重なのか。

 だが、柔らかさと温かさは確かなリアリティで着衣越しに浸透しんとうしてくる。


「ん、大丈夫ですか? 平気、ですか」

「あ、ああ。とりあえず……降りてくれると、嬉しい」

「……です、よね。ごめんなさい」


 裸足はだしのあいりがおずおずと背中から降りる。

 そのまま立ち上がった彼女は、きょとんとしたまま宗一を見下ろしてきた。

 最高に情けなくて格好悪かったが、宗一は手を差し出して握手を求めた。


「えっと、ども……俺、宗一。阿南宗一だ。君の勉強を見に来たんだ」

「あっ、今日だったんですね。先生が来てくださるのは」

「その、先生ってのは照れるな。むずがゆい。できれば、もっとこう――」

「……じゃあ、先輩。宗一先輩、彌勒寺あいりです。よろしくお願いしますっ」


 あいりは、ガシリ! と宗一の右手をつかんだ。

 そのまま繋いだ手と手を、ブンブンと大きく上下させる。

 妙なむすめだと思った時には、力強く引っ張り起こされた。

 リアル中学生、思ったよりも力が強い。


「って、中学校行ってないんだっけ……俺と同じだな」

「何か言いましたか? 宗一先輩」

「い、いや……とりあえず、部屋に戻ろうか。メイドさんも探してたしさ」

「はいっ、先輩」


 これが、奇妙なパジャマ少女、あいりとの出会いだった。

 彼女の手に光る異次元のデバイスは、この瞬間から記録し始めた。宗一という人間があいりにもたらす全て、一緒に経験する全てを。

 そして宗一も、とある事件と共にあいりをいつまでも心に記憶することになるのだった。

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