第3話

ユリヤは知らなかったが、このじっとりと濡れた犬がベルカと名付けられたのは、この「ベルカ」という文字をかいた女の子の母親のせいである。


長月頼子がイオンモールのペットショップで見かけたとき、娘の樹梨はグズっていた。目当てのゲーム機が売り切れていて買えなかったためだが、誕生日にと約束した手前、このまま帰るわけにもいかず進退極まっていたとき、ウィンドウ越しにベルカがいた。犬種はシベリアンハスキーで、少しブームをすぎていたけど切れ長の目が可愛いかった。樹梨はカッコいいと言った。ポチエナみたいやと機嫌を直したからよかったものの、ポチエナとはなんだか珍妙なアダ名をつけるなと感心した。後で再放送のポケットモンスターアドバンスジェネレーションをみたとき、博士を襲っていたのがそうだと知った。


旦那の信太郎に電話で事情を話して購入の許可を得た。名前は何にするのというと、お母さんが決めてという。お母さんが決めていいの? と責任をおいたくないから笑顔で聞くと、うん、と大きくうなずく。

シベリアンハスキーなので、ロシアっぽいのがいいか、じゃああれや、スプートニクに乗った犬の名前にあやかろうか、じゃあ。

クドリャフカとかはどう? なんか長いからやぁ。ジュチュカは? 言いにくいからやぁ。じゃあ、ベルカかストレルカ。ええ、それならベルカかな。言いやすいし。

そうして、15年がたちベルカは老犬となり、樹梨たちは爆風に曝され、ユリヤと出会った。


彼の後ろでひび割れたアスファルトに爪を擦らせながらトクトクとついてくる。

学校だからついてこないで

うぉん

ベルカは後をついていく。


校門をくぐると桜木があって、山から吹き下ろす風に花片が散っている。校舎のガラスはほとんど砕け散り、桜とガラスが排水溝につまっている。

学校の運動場からは焼け焦げた臭いがする。ぶよぶよと地面が揺れているから、見ると、すべて人の死体だった。


ベルカの叫びが轟いた。何事かと後ろを振り返ると、二本脚で立って尾でバランスをとる全身が鱗の生物がいた。ワニのようだが、もっと近いのはコモドオオトカゲか。だがそれらとは根本的に違うのは、それの周囲に浮かぶ目玉のようなものの存在だろう。ベルカが吠えるから気づかれたのだと、ユリヤは舌打ちをした。


咄嗟に、ベルカの尻を叩いてできるだけ遠くまで走ることにした。ついでに、袋に入ったシャウエッセンを撒いたが、苦し紛れであることは承知であった。


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