悩みの重さは3ペタグラム

「コーヒー、こちらに置いておきますね」

「ラン、ご苦労。ねえ、だいぶ緊張もほぐれてきたんじゃない? 口調も柔らかくなってるわ」

 ええ、と彼女は館の主に笑いかける。努力は惜しみません。

 さあ、そろそろ本題に入るべき頃合いだ。ランは主人へ手術中、侍医が“あんなことやこんなこと”をしていたことを伝えようとするが……。

「え? 覚えていらっしゃらないのです?」

「失神していたから……。気づいたら頭に包帯がまかれていて、寝室に横たわっていたのよ」

 ランは、悩んだというより苦しんだ。ミリに手術中の出来事を伝えたほうが良いのか否かを。だが、いくら残酷なことをされたからとはいえ、このままああいった遊びが続くのであれば、思い切って話したほうが良いかもしれない。

「あのー、申し上げようか迷っているのですが、ミリ様の手術がどういうモノだったかなどは、把握しておきたいとかありますでしょうか?」

 とうとう、である。結局は本人に聞くのが手っ取り早くて効率がいい。最善の手だ。

「なら逆にあなたに聞くけれど、自分が手術されているところを見ていたいの?」

「そういわれてしまえば、見たくはありませんけれど……」

「私も魔女である前に、ひとりの人間なの。感性とか、感情は一般的だから」

 自分と同じといわれ、なおかつ一方では突き放される言葉とは、誰でも真正面から向き合っていられない。ランは一礼して、トレーを手に、そのまま立ち去るしか術はなかった。


 ☠


「フラール様」

「どうぞー、入って」

 主人に突き放されたメイドは、もう一人の雇い主へと話をするしか方法はない。返ってきた返事は軽やかなもので、徐に気持ちがほぐれていく。

「あなたとふたりきりで話をするのは久しぶりな気がするわ。いつも仕事が大変でお話できなかったものね」

 ランは畏まりながら首肯する。ミリの姉、フラールが背負う雰囲気こそ軽やかなものの、部屋の装飾がまるで皇族の書斎のような印象を与えてくるからだ。ぎっしりと詰まった本棚。所蔵されている一冊一冊が豪奢な装丁の、重みあふれる書物だ。シャンデリアは部屋の主要な部分をやさしく照らしており、対する隅のほうには影が出来ている。その陰翳には、花瓶が置かれていて、差された花は妖気ささえ醸し出していた。

「あら、お花が好きなの?」

 ランの視線に気が付いてか、フラールはそんな質問を投げかけた。この質問に「ええ」と軽く答えられると、椅子から立ち上がってランの側へと寄る。

「お花って、見事なものよねー。自分の性器を恥ずかしがるそぶりも見せず、これでもかってくらいに主張しているもの」

「へ?」

 予想だにしなかった主張。

「ラン、あなたも随分と大胆な人なのねー」

 クスクスと笑われてしまう。やはりこの館の住民はどこか変だ。先ほどのフラールの言葉通り、ランは彼女と話す機会がほとんどなかった。だから彼女が変人であることを見抜けなかった。とはいえ、いくら変人とはいえ流石にエリー医師よりも癖の人物ではなさそうだ。そう信じたい。

とにかく、ここに来たのはエリー医師のことで相談をするため。予測をしても仕方がないのだ。ただでさえメイドの後ろには家事が山積しているのに、いちいち気持ちを揺さぶられていては時間がいくらあっても足りない。

「そのー、単刀直入に聞きますけれど、エリー医師って、どういった経緯でこの宿にいらっしゃるのですか?」

「あら、彼女は私が招待したのよ。ミリに、いいお医者さんがいるって教えたら、何も聞かずに採用してくれたのよ」

「え! なら、物申しますが、あの方は控えめに言って異常です。狂っています」

 意図せず、普段使わないような語が口から発せられる。自分でも意外過ぎるほどの焦りぶりだったが、それを止める手立てはない。ただ、言葉がすべて出て行ってしまうのを待つしかなかった。

「エリー医師、ミリ様が頭痛に苦しんでいるってだけの理由で、頭蓋を切り開いたんですよ!? おかしいですよね。完全に正気の沙汰ではございません」

「あら、彼女、もうそこまでしてくれたのね。さすが私が見込んだだけあるわ」

「……へ?」

「だから、さっきも言ったけど、エリーさんは私が自分ので選んだの。彼女なら、うまくやってくれるって思ってね。で、あなたの情報が本当なら、どうやら私の選択は間違っていなかったみたい。いや、出来すぎているわ」

「あ、あの」

 目が点になる、とはまさに今のランを示す慣用句だ。もしくは開いた口が塞がらない、か。

「でも、そういう絶好の機会を、悉く仕事で見逃しちゃうのよねー、私って。その日もちょうど買い出しに行っていたし」

「フラール様!?」

「ああ、ミリの脳みそを見られるだなんて、貴女、どんなに幸運なんでしょう。ねえ、どんな感じだった? 質感は? つやとかハリはあった?」

「」


 ☠


 ランは今日一日でいろいろなことを学んでいた。いや、学びすぎた。整理をしてみると、とりあえずフラールがこの館で最も“ヤバイ人”であり、彼女の病的愛情が様々な人物へと伝播している、という構図らしい。さて、こうなったら彼女がミリを助けるために残された手はひとつ。エリー医師への直談判だ。

「お邪魔します……」

 二回のノックが部屋に響いていったのを確認し、ランは診療室(もとい、地獄)へと足を踏み入れる。


 アラ、イツゾヤノメイドサンジャナイノ。イラッシャイ


「うわっ、その狂気じみた話し方止めてくださいよ!」

「ふふ、しょうがないですね。良いでしょう」

 あっさり止めてくれたことに感謝しつつ、ランは本題へ。

「えーと、どうやらお話を聞いて回ったところ、貴女はフラール様の命でこちらに従事なさって、またミリ様に猟奇的な治療を施しているということですが……」

「ええ、その通りですね」

 ここまでは予定通り進んでいる。ランは自分の心を落ち着かせるために深く呼吸をする。目の前に座るエリーは、血みどろの白衣を着ているのだから、これくらいしないとまともに目を見て話すことはできない。

「その、出来れば、ミリ様をああいった自己満足的行為に巻き込まないでほしいのですが、どう、でしょうか」

「うーん。ま、それでもいいでしょう」

「本当ですか? ありがとうございます!」

「まあ、そうなると私の娯楽が無くなってしまうから、かわりにあなたが私の“おもちゃ”になってくれr――「エリー様、今後も私のご主人様を、よろしくお願いします」


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