第2話

 どうして私の「過去」を知っているの? 誰? 何でこの時間に? 手に持っているそれは――。


 絶句するキティーナに構わず、男はゆっくりとベッドの方へと歩み寄った。後退りをしたくとも出来ない彼女は、膨らんだ尾を抱き締めるだけである。


「い、嫌……来ないでください……!」


 投げ付けられた枕を手で払い、男は名刺に似たものを彼女に見せた。


……この意味が分かるか、川瀬亜季」


 執行者――この三文字が意味するもの。キティーナはそれをすぐに悟り……。


「……殺すのですか……私を……何もしていないのに……」


 執行者の男は「分かってくれて嬉しいよ」と頷き、持っていた棒状の何かを横に薙いだ。


 ジャキン、と音を立てるそれは……かつてキティーナが前の世界で見た、日本刀に酷似していた。


「項を見せろ。一撃で終わる……安心しろ、死にはするが元の世界の輪廻に戻れるんだ」


「……また、あの世界に……私が……」


 お前なんか、この世界から消えれば良いのよ。


 自殺の元凶となった女の、嫌らしく反吐の出るような台詞が脳裏に浮かんだ。


「あぁ、戻るんだ。この世界に居場所は無い、在るべき世界でもう一度――」


「嫌だっ! そんなの……絶対に嫌だっ!」


 キティーナが叫んだ。男は溜息を吐きながら顔をしかめる。


「私は……私はこの世界で生きる、今度こそ幸せになるんだ! 生きる世界ぐらい……選んでも良いでしょう!」


「駄目だ。お前のような転生者が増えたから、俺達はてんてこ舞いという訳さ。……さて、もう良いだろう? 垂れ耳のキティーナさん」


 ギシリ、と床を踏み締める音が響いた瞬間。


 キティーナの柔らかな髪が……紫煙のように揺らめいた。


 何で私が死ぬの? まだ願いも叶っていないのに? どうして私は、いつもこんな結末なの? 私を受け入れる世界は……何処にも無いの?




 ねぇ私。




「死にたくない」


「……ん? な、なっ……!」


 彼女の美しい目に輝きは無く、水の涸れた井戸の如く――暗い、温度の無いものだった。


 細く、艶めかしさすら見受けられる肢体から、長く金色に輝く体毛が生えていく。


 手足からは鋭く凶暴な爪が伸び、顔は餓えた狼を思わせたが……口端は目の下辺りまで裂け、禍々しい猛獣のようであった。


 闇に煌めく双眼が動き、後を追うように光の軌跡が現れる。やがてそれは静止し、小便を漏らして立ち尽くす男を見据えた。


「……あぁ……ツイてねぇ――」


 刀を放り投げ、男は小屋の外へと駆け出した。


 自らの運気を嘆く男の心臓は、それから三秒後に鼓動を止めた。


 正確には――噛み砕かれた、という表現が正しかった。




 夜が終わり、朝焼けが訪れた。


 気付いた時には……キティーナは元の姿に戻っていた。


 草原には鮮血が、そして訪問者肉塊が飛び散っている。


 キティーナは鉄臭い顔を洗い、なるべくに触れないよう……木の枝で一箇所に纏める。


 常夜灯として燃え続ける暖炉から火を採り、薪に点火してから「肉の山」の上に置いた。


 パチパチ、と時折脂の爆ぜる音が聞き、不快な程に漂う臭いを嗅いだ彼女は、しかし表情を変える事は無かった。


 転生者を殺す、執行者――。


 もう、来なければ良いけど。


 立ち上る煙に倣い、彼女は晴れた空を見上げた。

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