第4話


 不意の殴打に倒れ込んだ彼女を見やり、男は「早くしろ」と岩陰に叫んだ。潜んでいた仲間達が現れ、彼女の服を破いていく。


「や……めて……」


「こんなところに隠していたか、手間掛けさせやがって」


 男は財布代わりの小袋を奪うと、キティーナの身体を蹴り飛ばした。


「良い身体をしているじゃないか、ちょっと頂こうか?」


「止めておけ、垂れ耳だぞ。穢れが移る……こんなのはな、金だけ盗れば良いのさ――」


 遠くに聞こえた強盗達の会話を……彼女は霞む頭で何度も繰り返した。


 垂れ耳だぞ。穢れが移る――。


「……うぅ、……うっ……! うぅ……ひっく……うわぁあぁん!」


 痣の残る腹を庇うように、彼女は身を丸めて泣き出した。


 大きな尾が、垂れた耳が……力無く萎むようだった。


「これが……これがあるから……! 嫌だ、もう嫌だよぉ……!」


 キティーナは頭上の耳を掴むと、渾身の力で引っ張った。ギリギリと伸ばされる耳は激痛が走り、しかし彼女は構わず引っ張り続けた。


 痛み、哀しみ、恨み……入り交じる感情は果たして、彼女に自傷行為以外を選ばせなかった。


 刹那――彼女の手を掴む者が現れた。


 顔を上げるキティーナ。眼前には……。


「……バフォット……さん」


「何をしていやがる。狂ったのか」


 着ろ、垂れ耳――バフォットは纏っていた服を脱ぎ、半裸のキティーナに投げ付けた。


「わ、私……」


「ほらよ、は手前のだろう」


 膝の上に落とされたもの、それは先程強奪された――小袋であった。


「どうして……どうしてこれを……バフォットさんが……」


 ガリガリと頭を掻きながら、バフォットは面倒そうに答えた。


「村に行く途中、妙な連中に会ってな。『今回も楽な仕事だった』だの『垂れ耳は不用心だ』だのと……声高にほざいていたんだ」


 けれど、強盗はもう来ねぇよ。


 欠伸をしたバフォットは、それから不敵に笑った。


「俺が殺したからな」


 キティーナの目が見開かれた。


「こ、殺したって……それは……」


「殺したよ。一応、俺も山暮らしなんだ……物騒な連中は掃除した方が良いだろうが」


「……でも、それでも殺すなんて……やり過ぎです……!」


 とんでも無い馬鹿女だな――バフォットは溜息を吐いた。


「言っておくぞ。お前が思う一〇〇倍は、世界は最低な奴らで溢れている。お前の垂れた耳を笑う奴らも、金を奪って行く奴らも、そして……俺のような、簡単に人をぶっ殺せる奴もいる」


 黒い尾を振り、バフォットは屈んでキティーナを見つめた。


「お前は……こんどこそ、その世界で生きるんだろう? 生きるってのはな、殺し合いなんだよ。もしかしたら、あの強盗達は病気の子供を抱えていて、仕方なく金を盗ったのかもしれない。お前が薬を作ったせいで……誰かが不幸になるかもしれない、だが――」


「じゃあ、私は死んだ方が良いって事ですか……ハッキリそう言ってくださいよ! お前は垂れ耳だから殺されて当然だって! 生きる資格なんて無いって!」


 サッと伸びたバフォットの手が……キティーナの細い首を掴んだ。


「最後まで聞け、馬鹿女。手前が死ぬのは構わない、今すぐそこから飛び降りろ、何なら俺が突き飛ばしてやる……どうだ、死ねないだろう? 死にたくないだろう?」


 崖の方から吹いた一陣の風が、キティーナの頬を撫でて行き……落涙を促すだけだった。


「生きるしかないんだよ、お前は。間接的に、直接的に誰かを殺してでも……お前は生きるんだ。俺は他人に迷惑を掛けず、壊れて死んでいく奴よりも……足掻いて足掻いて、周りに迷惑を掛けてでも……生き抜こうとする奴を肯定する。手前はどっちだ?」


 膝の上に置かれた小袋が、途端に重みを増し……キティーナは嘔吐いた。


「けほ……けほっ……おぇ……」


「狡く生きろ。賢く生きろ。少しでも他人を思い遣った時……死ぬのはお前だ」


 バフォットは息の荒いキティーナを置き去りにし、森の方へと帰ろうとした。


「ま、待ってください……! バフォットさん……貴方は……矛盾していますよ――」


「よく言うな、世間知らずの癖に」


「他人を思い遣った時、その人は死ぬのでしょう……じゃあ、貴方もその内に死んでしまうって事ですよ……?」


 何を言ってやがる――バフォットは高笑いした。


「思い遣りじゃねぇよ。その岩山は眺めが良いんだ、手前の血で汚れたら困るだけだよ……それに」


 俺は死なねぇよ、強いからな。


 振り返る事も無く、バフォットは森の中へと消えて行った。


 しばらくの間……キティーナは項垂れていたが、果たして立ち上がると――。


 強盗達が隠れていた場所に向かって、彼女は唾を吐いたのである。 

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