第3話

「……あぁ、じゃあ七日分は確かに。ほら、金だよ」


「は、はい! いつもありがとうございます!」


 萎んだ風呂敷を畳み、キティーナは雑貨屋の店主に頭を下げた。


 彼女の手には財布代わりの小袋が握られ、決して多くはないが……それでも薬師キティーナの顔を明るくさせた。


「あ、そうだ……お酒と食べ物、売って貰えませんか?」


 店主は面倒そうに腰を上げ、「どれにするんだ」と戸棚を開けた。


 垂れ耳を微動させながら、キティーナは「それと、それと……」と楽しげに商品を選んでいる。


 彼女の気付かぬ遠い場所から――複数の鋭い視線が向いている事も知らずに。




「一杯買ったなぁ……風呂敷が重いよ」


 傾斜のある山道を行くキティーナは、と丸く太った風呂敷を揺らしている。


 時折目に付く薬の材料を見付けては、「後で採りに来よう」と位置を頭に刻んでいた――その頃であった。


 慌てた様子で土を踏む音が背後に聞こえた。


「えっ――」


 前屈みになって歩いていたキティーナの身体が、ガクンと前方に倒れ込んだ。


 何が起きたの――。


 訳も分からず、しかし彼女は衝撃から風呂敷を手放してしまった。夜に食べる予定だったパンが、そして……。


「……お、お酒が……」


 大事な酒瓶が割れ、中身が全て地面に染み込んでいた。


 彼女は風邪を引いたというバフォットの為、上等な酒を差し入れようと決めていた(薬は要らない、と彼はそっぽを向いた)。


「あ……か、返して……返してください!」


 消えて行く酒に構わず――彼女を急襲した強盗達は、ポケットから飛び出していた小袋を奪い……。


 一目散に何処かへと消えて行った。


「……そうだ、お酒……集めなきゃ……」


 しかし彼女の願い通りに酒は戻らず、割れた瓶によって手を怪我するだけであった。


 たった一分足らずで――彼女の稼ぎが、食料が、そして……。


 思いやりが打ち壊されたのである。


 キティーナは割れた瓶を道の外に埋めると、土だらけのパンを手で払いながら歩き出した。




「……はいよ、今回の金だ。今日は何も要らないんだろう」


「はい、ありがとうございます……そうだ、この前なんですけど……」


 時が流れ、キティーナは再び雑貨屋で薬を納品していた。


 この前、強盗に遭いました。余り山を歩かないとは思いますけど、村の人にも注意するよう言っておいてくれますか――。


 話し終えた彼女を見つめ、雑貨屋は「あぁ、言っておくよ」と長く天を向いた耳を動かした。


 ふと、彼女は振り返った。


 何となく、見られているような……。


 気のせいかな――キティーナは風呂敷を畳み、店主に一礼する。


 彼女の見やった方角に、人の影は何処にも無かった。


 この日、キティーナは早足で山道を進む。


 以前のように強盗に襲われたくない……ただそれだけを思う彼女は、金を入れた小袋を上着の中に入れ、抱き締めるようにして自衛した。


 少し進んでは振り返り、少し進んではまた振り返る。


 見えぬ悪の影に怯える彼女の足下には、貴重なキノコが生えていたが……果たして気付く事は無かった。


 あの岩山を越えれば帰れる!


 小屋への目印としている岩山を認め、キティーナは俄に安堵した。


 その時――切り株に腰を掛ける男を見付けた。彼も獣人であり、唸り声を上げて俯いている。


「あの……大丈夫ですか?」


「うっ……うぅ……」


 腹痛だろうか? 確か薬の在庫が小屋にあったはず……。


 元来、人を疑う事の出来ない彼女は、不用心にも男に近付き、その顔を覗き込んだ。


 世の中は、自分の思うよりも悪人が多いんだ。


 不調のはずであった男が笑い、思い切りに殴り飛ばされた時――彼女は身を以て学んだ。

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