第2話
赤く燃え上がる暖炉の傍で、亜季は腐った椅子に腰を掛けていた。
身体を火で炙っていくにつれ、段々と生きている実感が湧いて来るようだった。
自らに生える尻尾と出会い、それから彼女は二つの発見をした。
一つは歩き回った末に見付けた古い山小屋である。
恐らくは誰かの休憩場所として利用されていたものであり、最低限生存は可能な設備があった。
そしてもう一つ――。
亜季はソッと頭を撫でた。
生前なら髪の毛以外何も無かった頭部に、垂れた動物のような耳が生えていたのだ。
山小屋の近くにあった池に自身の顔を映したとき、垂れた耳はピクリと動いた。
彼女が眉をひそめたり、近くの物音に耳を傾ける度に、その耳は微かに動いた。
もう私は人間じゃない。
ファンタジーでよく見る「獣人」になってしまったんだ……。
目鼻立ちは確かに亜季のものであった。
しかし髪は金色に――向日葵色、と表現した方がしっくりと来た――染まり、ペタリと垂れた獣の耳、そしてフサフサと動く尻尾。
水面に揺れ動く容姿は、第二の人生が始まった事を告げていた。
亜季は身体を充分に火で炙り、生気を完全に取り戻した後……。
小屋の隅に捨て置かれている、古びた服を纏った。
黴臭く、薄汚れたものだったが――それでも亜季の心は浮足立っていた。
今まで酷い目に遭ったんだ。文字通り……身も心も一新して、第二の命を謳歌しよう。
それぐらい、私にだって許されているはず。
ドアを開け、目を覚ました草原とは逆方向の山林へと亜季は向かった。
揺れる尻尾を撫で、亜季はこの瞬間「川瀬亜季」という名を捨てた。
幼い頃に読んだ絵本、そこに出て来た大好きなキャラクター。
今の亜季と同じく獣人で、心優しく可愛らしい女性……。
亜季は彼女から名を拝借し、自らに第二の名前を与えた。
「私は……キティーナ。獣人の、キティーナ」
込み上げる高揚感は彼女の耳を微動させ、尻尾を左右に激しく振らせた。
亜季改めキティーナは、木に生っていた果物を齧りながら山林を歩いていた。
この土地に自生する果物に知見があった訳では無く、「これは食べれそう」と感じただけである。
しかしながら……その「何となく」といった感覚は、獣人となった自分の大きな武器であると彼女は思った。
食用のものからは良い雰囲気、オーラが出ているようであり――非食用のものはその逆であった。
試しにキティーナは「悪い」オーラを放つ、リンゴに似た赤い果実を一つ採って食べてみる。
途端に口内が燃えるように熱くなり、吐き出した。
唐辛子を何倍にも辛くし、また耐え難い味だった。
この実験を他の果実や植物にも同等に行ったが、全て個々が放つオーラの印象と結果が異なる事は無かった。
これならば、当分は食料に困らない。
キティーナの尻尾が揺れ動く。
彼女は嬉々としてスキップをした。
しばらく歩いていると、山中に再び小屋を見付けた。
恐る恐る近寄ってみると、中からは微かに物音がした。
誰かいるのかもしれない。訪ねてみようかな。
川瀬亜季として生きていた頃、彼女は社交的な性格ではなかった。
話し掛けられれば愛想笑いが関の山で、そこからの関係作りが実に苦労したのである。
だが今は――彼女は獣人のキティーナとして生きている。
昔のような暗い性格は捨て去り、友好的な獣人として生きるべき――キティーナは考えた。
ドアの前に立ち、控えめにノックをする。ピタリと物音が止んだ。
「あ、あのぅ……私、この辺りに引っ越して来ましたので、御挨拶に……」
この辺りに住所や占有地といった概念は存在しているのかな。
そもそも……言葉は通じるの?
この挨拶が余計なトラブルを起こすのでは……と彼女は顔をしかめた時、小屋から野太い男の声が聞こえた。
「……何者だ、お前」
幸いにも言葉は通じた。
しかしながら――明らかに彼女を警戒している声色だった。
キティーナの尻尾が股の間を潜り、耳は更に垂れた。
なおも彼女は一目会おうと言葉を続けた。
私は友好的な獣人になる、絵本のキティーナのように……優しく、誰とでも仲良く出来る人になるんだ。
「わ、私はキティーナと申します。最近、その……引っ越して来たので……です、はい……」
しばらく無言が続いた。物音は相変わらず聞こえない為、諦めて帰ろうとした瞬間だった。
閉められたドアが、ゆっくりと開いたのである。
「挨拶が終わったのなら立ち去れ。いつまでも居座る気か?」
キティーナは慌てて家主に一礼しようとしたその時――。
男の頭部に、大きな獣の耳が生えている事に気付いた。
彼もまた、キティーナと同じく獣人だったのである。
「あ、貴方も……その、獣人ですか?」
「だからどうした」
男は耳を震わせ、短い尻尾を左右に一度振った。黒く、攻撃的な形をしている。
「いえ……はい、私以外にも……沢山獣人がいるのかな、と」
ケッ、と小馬鹿にするような声を上げた男は、遠い彼方を見やった。
「いるよ。村意識の強い、クソのような奴らだ」
男は踵を返して小屋の中へ入ろうとした矢先――。
「……あの、何か顔に……?」
鋭い眼光が、怯えるキティーナの顔をジッと見据えた。
「あぁ……お前、いや……そうか、そうだったのか」
頷きながら男は扉を開け放つと、屋内の粗末な椅子を指差した。
「最初から言えよ。お前……『こっちの世界』出身じゃないだろう?」
キティーナの垂れた耳が、ほんの少しだけ――上を向いた。
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