第25話彼と彼女の守りたいもの 4

 逃げようとしていたジークは、あきらめたかのようにため息をついた。


「うん、まぁ外に出ようか?」


 馬車の中で座ったまま、外で立ち続けるエリオスと話すのは変だと思ったのだろう。外へでたジークに続き、リエットも馬車を降りる。


 そこはまだ森の中だった。

 突然のことだったのか、グレゴールは御者席にいるままだし、クリストも馬から下りていない。

 にしても、ジークは自分の状況をどう説明する気なのだろうか。隣に立つ彼に荷物を背負わされながら、リエットはふと思い出す。


 そういえばジークは、あと何分ぐらい本の外に出ていられるのだろう。

 説明する前に彼が本に戻ってしまったら、自分が事情を話さなくちゃいけないのだろうか。リエットはそう思いながら、怖い表情をしているエリオスに向き直る。


「兄上、まずはご無事でなによりです」


「エリオスも元気みたいでよかったよ」


 にっこりと笑うジークに対し、エリオスの眉間に皺が深く刻まれた。


「で、今までなぜ失踪したのか、先ほどはどこからやってきて、どういう事情でリエットとお知り合いになったのですか?」


 聞きたい事をいっぺんに話したエリオスに対し、ジークは「あ~」と言い難そうに視線をさまよわせた。


「じゃあ時間がないから、はしょって説明すると」


「時間がないってどういうことですか」


 エリオスの質問の連打にもめげず、ジークは続けて言ってしまった。


「闇の魔術書を読もうとしたら、ベルタに本の中に封じられちゃって逃げた。その後で本を読んでくれたのがリエットで、今闇の術を習得するためにがんばってる」


 じゃっ、と言ってジークはリエットの手首を掴んだ。

 術で移動する気だ。リエットはそう思って身構えたが、エリオスはその行動を見切っていた。


「逃がしません!」


 腕をつかまれたジークが「うぅ」と呻く。エリオスまで一緒に連れて行ってしまう可能性を考えたのか、魔術での移動をやめたようだ。


「兄上、どうして魔術書などに手を出したんです、私にも相談せずに!」


 そのままエリオスはジークに抗議した。


「言えば止めるだろう?」


「あたりまえじゃないですか! 死んでしまうんですよ!」


「死ぬ?」


 リエットは目を見開いた。

 魔術書を読むと、死ぬというのだろうか。理解できずにいると、エリオスが教えてくれた。


「君は何も知らなかったんだろう。普通の魔術書でも、習得する際に死ぬ者は多いんだ。けど炎妖王の術や闇の術はそれだけじゃない。術を使う時に、命が代償になってしまうんだ」


「命と、引き替えの魔法なの?」


 リエットの問いに、エリオスが重々しくうなずく。この真面目一辺倒そうなエリオスが、リエットを騙すとは思えない。では、本当なのだ。


「え? じゃあ敵国の炎妖王の術師は?」


「あれも命という代償分燃え続けた後で、死ぬ」


「そんな……」


 では、ジークはそれを知った上で魔術書に手を出したというのか。命と引き替えに国を守るために。


「炎妖王の術師はきっと、国を救うために術を習得したわけではないだろうと思うけどね。おそらくは誰かを人質にとられて、強制されたに違いないよ。可哀想だがもう助けられない」


 軽い調子で重い言葉を告げたのはジークだ。

 彼はリエットと目が合うと「ごめんリエット」と謝った。


「教えないまま協力させて悪かった。けれど君が怯えて本を読むことを拒否したら、別の人を捜している間に国が滅んでしまうと思って」


 リエットは何と返していいのかわからなかった。

 ジークがエリオスに会いたくなかった理由はわかった。死のうとしていることを知られたくなかったのだろう。


 同時に、リエットの心の中に穴があいたような感覚に陥った。


 ジークが死んでしまう。

 自分の隣にいて、今も手を繋いでいてくれる人が。


 苦しくても、ジークが抱きしめてくれるとやわらいだことを思い出す。

 そうやって彼はずっと、家族を守っていくと想像していた。それを遠くから眺めるだけでも、少しはましな気分でこの後生きていけるかもしれないと思っていたのに。


「なぜ兄上なのです! ベルタに頼むわけにはいかなかったのですか!」


 エリオスが絶叫する。


「彼女は死にたくなくて、足掻いた末に本の術を手に入れた人だよ。そんな人に、死を命じるなどありえないよ、エリオス」


「でも!」


「一番慣れている僕が、今一番効果的と思われる方法を試すだけなんだ」


 ジークは毅然とエリオスに告げた。


「政敵にやる命はない。だから今まで僕は戦ってきた。けれど国のためなら。家族を救うためなら、僕は自分を捧げられる」


 ゆるがない決意に、エリオスは呆然とジークを見つめていた。

 もうジークの心を変えられない。そう悟って、けれど死なせたくなくて、心が葛藤しているのだろう。


「それでも、お止めいたします」


 沈黙の時間を破ったのは、女性の一言だった。

 ざあっと馬車の中から、千切れた本のページが吹き出してくる。


 とっさにリエットを抱え、ジークが馬車の前から逃げた。

 一度空へ舞い上がった千切れた紙は、エリオスの側に舞い降りて集まり、一人の女性の姿へと変わる。

 長い黒髪の魔術師ベルタだ。


「もう来たのか」


 ジークの言葉に、ベルタは表情も動かさずに答えた。


「かなり遠うございました。私が本と本の間を転移できる距離は、もっと短いので。しかも魔術書には転移できませんし」


「がんばるね」


「国王陛下のご命令でございます。殿下は王国の再興に必要な方。かならず閉じ込めてでも国外へ脱出させるようにと」


「それはお断りだ」


 ジークはにこやかに言った。


「父上達の気持ちもわかる。だけど、国民を見殺しにして逃れた王に、誰が従う? それぐらいなら、先刻、おばかさんが提案した国土半分は差し出して王様はエリオスにって計画の方が、マシなんじゃないかと僕は思ってしまうんだよ」


 そう思わないか、と話を振られたエリオスは、戸惑いの表情を浮べる。

 一方のベルタは冷静だった。


「そのような事については、私の預り知らぬことです。私は誓約した王の指示に従うだけ」


 行動理念がはっきりしている彼女は、ゆらがない。彼女の周囲に、いつのまにか紙が舞い始める。

 それに気を取られたのか、エリオスの手から力がぬけていった。


 ジークの肩から、彼の手が外れる。

 その時を待っていたのか。事態についていけないリエットを抱き寄せ、ジークは言った。


「ではまたね。これが今生の別れになるかもだけど」

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