第22話彼と彼女の守りたいもの1

 目を開いた瞬間、耳に飛び込んできたのは鋭いエリオスの声だった。


「リエット、起きろ!」


 焦りを含んだ声に飛び起きたリエットは、慌てて外へ出ようとして思いとどまった。幌布を通して忍び込む光の中で、本の外に出ているジークリードの姿を見つけたからだ。


「ジーク、もしできるなら、念のため本の中に早く潜っちゃって」


 とっさにジークへ囁き、入り口の覆い布から顔だけを出す。

 そしてエリオスの呼びかけの理由を目の当たりにした。

 既に日が昇った森の中、馬車を囲むように十数人の緑のサーコートを纏った兵士達がいた。緑は森の国、クレイデルの色だ。


「それ以上出てくるな。そして隙を見て逃げろ」


 馬車の前にいたエリオスは、既に剣をかまえている。

 クリストやグレゴール、ハインツも同様に、馬車を背にしていた。

 行商人がいない。

 そう気付いたリエットは、焚火をしていた場所のあたりに転がる行商人の姿を見つける。動かない。でも血が流れているかどうかも見えない。

 気絶しているだけであるよう、リエットは祈った。


「どういうこと? 見張ってくれてたのに……」


 さすがに敵がいた町から近いということもあり、行商人を含めた面々が辺りを見張っていたはずだった。

 リエットは、見つけたところで悲鳴をあげるだろうとハインツにけなされ、エリオスにゆっくり休むように言われて、それとなく見張り番からは外されてしまったが。


「俺達も気付いた時には、もう囲まれてたんだ」


 悔しそうに言うエリオス。

 どうしよう、とリエットは思う。リエットが加勢したぐらいで、どうにかなるだろうか。こちらはたった五人だが、敵は三倍以上いる。

 考えていたリエットの首元に、冷たい感触がした。


「え……」


 リエットは自分が何をされているのかは想像がついた。

 だれが、と首を動かさないよう視線だけをめぐらせれば、すぐ右手にいたハインツが剣をリエットに向けているのがわかった。


「どう……」


 喉を動かそうとすると、刃先に皮があたったのかちりりと痛んだ。

 ここからエリオスを無事に逃すための芝居とか、そういう理由ならばここまで刃を首に当てる必要はない。

 理由は、驚愕したエリオスが尋ねてくれた。


「ハインツ、何をしている!」


「見ての通りです。エリオス殿下、あなたを脅そうと思いまして」


 あいかわらずのしかめ面のまま、ハインツが淡々と述べる。


「このままでは、もうすぐレーヴェンスは火の海に没します。その前に脱出なさるようにお願いをしていましたが、聞いてくださいませんので」


「それがなぜ今だ!? クレイデルの奴らが周りを囲んでいるというのに!」


 そこまで言ってから、エリオスもようやく気付いた。

 獲物が仲違いするなど、あきらかに襲ってくれと言わんばかりの好機だ。それなのにクレイデル兵は皆、こちらを静観している。

 クリストが唖然としてつぶやいた。


「まさかお前、殿下を逃がすために敵と通じたのか……?」


「敵と通じたわけではないのです。エリオス殿下を王位に就けるために、クレイデルと協定を結んだだけで」


「なぜだ!? どうして兄上がいるのに、俺を王位にと望むんだ!」


 理解できない、とエリオスが戸惑いの表情を浮かべる。


「国内貴族の、しかも男爵程度の階級しか持たぬ娘の子供より、あなた様の方が王として理想的だからですよ」


 ハインツはあっさりと答える。


「クレイデルは長年我が国と戦ってきた敵国。恨みはあるでしょう。しかし城を焼き尽くされ、他国によってばらばらに支配されるより、私たちは良い方法を模索したのですよ」


 ハインツは初めて、口の端を上げて笑った。


「王妃殿下はクレイデルとも縁がある国の王女。妃殿下ご自身の協力は得られませんでしたが、私とその有志はクレイデルと交渉をしたのです。結果、国の半分を割譲する代わりに、エリオス殿下を王とするならば、レーヴェンスを存続させることを約束させました。そのためにはクレイデルの王女とも婚姻を結ぶよう要求されておりますが、それは仕方のないことでしょう」


 ハインツはいかつい顔に笑みを張り付ける。


「さぁ、エリオス殿下。私とともにクレイデルへ避難いたしましょう。クレイデルの王女と婚姻が結ばれたなら、クレイデルは炎妖王を止めると約束しています」


「なんということを……」


 エリオスはもう、呆然とつぶやくばかりだった。


 仕方がない、とリエットは思う。

 戦争を利用して、自分達の利があるように動く者はごまんといる。

 それを目の当たりにしては、何を言えばいいのかわからなくなってもおかしくはない。


(さて、どうしよう)


 リエットは考える。

 ジークには本へ帰れと言ってある。とっさの判断にしては上出来だ、とリエットは思った。彼が殺されてしまったら、打開策をなくす。リエットの望みも叶わない。


 この様子だと、何があってもエリオスは無事でいられそうだ。クリストとグレゴールも隙をつけば逃げられる可能性がある。

 たぶん、一番危ないのはリエットだろう。


「う、裏切り者っ!」


 グレゴールが叫んだが、彼もまた剣をふりあげることさえできなかった。

 そのとたんにリエットが殺されると思ったからだろう。

 優しい人たちだ。

 そう思いながら、リエットは小さく息をついて目をとじた。


「エリオス殿下、自分の意志を貫き通したいですか?」

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