第17話兄弟王子に関する考察 3

 その日、エリオスは何匹かの空くらげを見つけては、立ち止まっていた。

 しかし日が暮れかけた頃には、人里が近づいたせいか見かけなくなる。


 かなりまばらになった林の中を進みながら、エリオスは残念そうな表情をしていたが、前方からかなりの勢いで走ってくる馬車を見つけた瞬間、真剣な表情に変わった。


「グレゴール」


 一言指示をすると、速やかに熊のような騎士が進み出て馬車に向かって先行した。

 馬車と併走するように馬を走らせた騎士グレゴールは、御者台にいる男と何事かを話した。その後ゆっくりと馬車は止まる。それからグレゴールが戻って来て報告した。


「レーエンの町にクレイデルの兵がいます!」


「え?」


 こんな前線から離れた場所にまで、とリエットは驚く。

 その間にもエリオスは素早く判断を下していく。


「何人だ?」


「十数名という話ですが、実数は確認していないと!」


「とにかく確認が必要だ。大人数を動かしているのだとしたらまずい」


 そしてエリオスはリエットを見る。


「リエットはあの行商人の馬車に乗せてもらえ。そのまま避難しろ。……クレスト」


「はっ」


 うなずいたクレストは、馬車へと馬を近づけて御者に告げた。


「この娘を馬車に乗せてやってくれ。そのまま避難しろ」


 言われた御者台の男は、しわの目立つ顔に驚いた表情をうかべながらも、うなずく。


「というわけだ」


 クリストはそう言ったかと思うと、幌のついた馬車の後ろに回り、布が上げられたままの出入り口へリエットを放り投げた。


「ちょっ!」


 リエットも慌てて足から着地した。が、揺れにバランスを崩してその場に尻餅をつく。


「せめて一言説明してくれても!」


 抗議しようとした時には、クリストは町へと向かいはじめたエリオスを追い、さっさと馬を走らせていた。声など届くわけがないし、届いても振り返らないだろう。

 リエットは彼らの後ろ姿を見送った。


「死なないで……」


 両手を組み合わせ、リエットは祈る。

 ジークリードが間に合うまで、彼が救いたいだろうエリオス達が死なないようにと。



 リエットが乗った馬車は、さらに道を戻った場所にある、深い森の途中で止まった。

 急いで走らせた馬が疲弊して、休息が必要になっていたのだ。さらに遠くへ逃げたいのなら、少しでも馬を休める必要があった。


 道から外れた林の奥に馬車を隠せたなら良かったのだが、そうもいかなかった。馬車の持ち主は行商人だったようで、小さい馬車ながらも幌の中は箱に入った荷物で一杯だったのだ。


 あまり奥へ入りすぎると、重さのせいで車輪が上手く動かず、腐葉土や枝の転がる場所から道へ戻れなくなってしまう。

 だから馬車は道からほんの少し外れた固い地面の続く場所へ、押し出すだけに留めた。


「まぁ、ここは少し曲がり角になった場所だから、向こう側からすぐ見つかるとは思わんが」


 壮年の行商人はあきらめの良いことを言いつつ、馬を軛から外し、草を食べさせたり水やりをはじめる。

 リエットも何かしようかと思ったが、馬の世話などよくわからない。

 だから明るいうちにと乾いた木の枝を探してきた。


 火を付けるのは、待つ。

 状況によっては、木が燃えて立ち上る煙が敵に居場所を知らせる狼煙になってしまう。だからエリオス達が無事に戻って来て、安全が確認できるまで待つしかない。


 そのまま行商人とリエットは、息をひそめるように静かにしていた。

 やがて辺りが暗くなり、さすがに明かりは必要だろうと、行商人が一つだけランプに火をつけた。


 それからややあって、道を行く馬の足音が聞こえてきた。

 足音はゆっくりだ。余裕があってそうしているのか。それとも辺りを警戒しながら歩く敵なのか。


 行商人と共に、念のため物陰に隠れる。

 そうして様子をうかがっていると、ふわんと僅かに光る物が近くをただよっていった。

 淡い暖色の空くらげだ。

 そのささやかな明りを捕まえた馬上の人物の姿も、ようやく確認できる。


「エリオス王子?」


「無事だったか」


 応えてくれたエリオスは、暗くてよく確認はできないものの、怪我をしている様子もない。

 彼と、彼に従う騎士達も馬を下り、馬車の側までやってくる。


「敵は……」


「少人数だったから、俺達だけで対処してきた」


 熊男のグレゴールが説明をしてくれて、ようやくリエットはほっとした。


「もう大丈夫だとは思いますが、念のため町へ逗留するのはやめるべきでしょう」


 クリストの言葉に、エリオスがうなずいている。

 一行は、ここで野宿をすることになった。


 ハインツ達は、エリオスのために簡易的なテントを張った。

 その間に心の余裕ができたリエットは、行商人から必要な物を買うことにした。行商人は店をたたんで逃げ出す途中だったため、かなり様々な物を持っていたのだ。


 水筒は昨日の宿泊所にあったものを貰っていたので、その他の石鹸などの雑貨の他、気の良い行商人はナイフを譲ってくれた。


「私は行商通行証を使って西のサーリスまで行くつもりでね。逃げるところがなかったら、同国人のよしみだ。尋ねてくるといい」


 行商人はそう言って避難先や自分の名前も教えてくれた。

 リエットはそれにも礼を言う。

 けれど自分の避難先については言葉を濁した。リエットは、避難するつもりはなかったからだ。


 その後行商人の好意で、リエットは馬車の中で寝かせてもらうことができた。行商人自身はテントを持っていたのでそちらを使うようだが、さすがに女性のリエットをそのままにしておけなかったのだろう。

 申し訳なくて辞退しようと思ったが、それを聞いたエリオスが気を遣って自分のテントをと言い出したので、慌てて行商人の薦めに従った。


 そうして馬車の中に入ると、ひとりきりになったことでほっと肩の力が抜ける。

 借りた毛布と行商人から買った外套にくるまり、角灯の明りを引き寄せてリエットは転がった。


 取り出した黒い本を開く。

 読めばジークリードが出てきてしまうが、そこは忠告しておいて、彼になんとかしてもらうしかないだろう。幸いに馬車の中なので、気付かれずに隠れることもできるはずだ。

 それにこんな近くまで敵兵が侵入してきているのだ。読むのを急がなければならない。


 何気なくめくったページは、本の前の方だった。

 目を通しはじめたリエットは内容に目をまたたき、そして胸が痛くなる。

 そこにかかれているのは、元々の騎士アーベルの物語だ。けれど内容は、既にリエットとジークリードが経験した、あの白い影の話だった。


 アーベルもまた、白い影に囲まれた。

 彼らの言葉にはアーベルもすぐに気付く。自分が傷ついた記憶が掘り返されたのだから。


 アーベルは思わず影を斬りつけた。けれど彼らはいなくならない。その場を逃れようと走っても、白い影はいつのまにか周りをかこんでいる。

 やがて辛い言葉をあびせられた彼は、その時の思いを再燃させる。そのとたんに白い影はアーベルの中に吸い込まれ、苦しさに呻く彼だけが残された。


 心は辛くてたまらなかった。けれど体は無事だ。だからアーベルは先をめざし――。


 そこまで読んだ所で、リエットの意識は本の中へと吸い込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る